5‐8
ソリピーの悲鳴を聞いて駆けつけたのは、乗客12名全員ではない。
私と耀を除くと、妻、津曲、桜岡、市川だ。つまりここにいるのは6人。
残る4人は、自室に
もっとも、厳密には、現場には医師はいないから、死体と確定したわけではないが、一目で死を確定できるほどの出血である。部屋の壁や閉ざされた小窓、天井にも飛散した血。そして、脇腹にはどこで調達したのか分からないが、剣が刺さっているのだ。やけに柄の部分の長い剣が。
「か、笠原さん!!」私は、死体に近づこうとした。しかし──。
「あ、あかん! もう助からへん。それに、現場を荒らすことになる!」と、すぐさま妻は制止した。津曲はポケットに手を入れ、冷静を保っている。
きっと妻の中では、これはゲームの中の『事件』ではなく、リアルな事件だと思っているのだろう。だから、現場に立ち入るのを拒んだ。しかし、珍しく妻の思惑は外れることになる。
ピンポンパンポンとの音が船内に鳴り響いたからだ。
『乗客の皆様。予告通り、事件が発生しました。事件現場は喫煙所。4階デッキ、船首側の螺旋階段横です。被害者は笠原久嗣さん。すぐにお集まりください!』
そして、再びピンポンパンポンの音。
「な、これは殺人企画だったのか!」私はとうとう、まだ見ぬ黒幕に激昂した。
「市川、あんたやないやろうな!?」
この声は、妻だ。しかし、妻の声とは思えないくらい低く、そして突き刺すほどの冷徹さ、冷酷さを
「何でですか?」市川は怯む様子なく、どこか飄々とした態度で返す。
「アタシの知る限り、キュウジに恨みを抱く可能性があるのは、こん中ではあんただけや!」
そうだ。7年前、市川は桟原優歌だった妻を拉致しようとして我々に阻止された。それに一役買っているのが笠原久嗣である。
「そんな、ひどいなぁ! 動機だけで決めつけないでくださいよ」
「……」
意外なことに、それ以上の追及を妻はしなかった。やはり動機が思い当たるだけで、それ以上の確証がないのだろう。
1分も経たぬうちに、三浦夫妻、藤村夫妻が集まり、これで全員となった。美羽は、この短時間でシャワーでも浴びたのだろうか。髪型と服装がさっきと違う。
現場を見た彼/彼女らは、
「こ、これは、ミステリーでよく見る、ク、クローズド・サークルじゃ、ないの? へ、へへへ……! こ、殺されるか、ち、沈没して死んじゃうかの、どっ、どっちかなんだね……! へへへへへへ……!」
美羽は怯えのあまり、顔が引き攣りながらもどこか笑っている。精神的に臨界点を迎えている。
「落ち着け、美羽!」
そう言うのは、夫の光之。しかし、美羽は聞く耳を持たない。
「ぜ、全員、死ぬの! この船に乗せられた時点でね! ひゃー、ハッハッハッハッ!!」
なぜか高笑いする美羽。完全に、気が触れてしまっているが、分からんでもない。私自身、他殺死体を見るのは初めてだ。かなりの動揺を押し殺しながら、平静を保っている。美羽の混乱が誰かに伝染しないことを祈る。特に
「落ち着きや! あんた1人イカれてもしゃーないんや! これが解決すべき『事件』言うてる以上、助かる方法を考えや!」
妻は、冷静に美羽を
しかし、
『皆様、お集まりのようですね? さて、この事件が起きたことにより、留意事項その3に係る、ヒントの提示条件が達成されました!』
「は!?」
「何だと!?」
ここにいる者たちは口々に、驚きの声が上がる。私もどういうことなのか理解できない。
『6組あるパートナーシップのうち1つに働きかけがなされ、条件達成のための結果が表れたためです。それではヒントです──』
頭の整理がついていかないが、ヒントは流れる。
『剣が刺さって死んでいますが、ミスリードかもしれません……』
何、凶器は剣ではないというのか。私は、いわゆるミステリー小説に執心しているわけではないが、何故これみよがしに凶器の剣が刺さっているのだろうか、と疑問を抱いた。凶器は隠したいもの。この大海原の上は、その凶器を隠すのに絶好なロケーション。喫煙室には開閉できそうな小窓がある。そこからなら、いくらでも隠滅ができそうなものなのに。
しかし、船内アナウンスは考える暇を与えない。
『ミスリードということは、刺殺以外の可能性も? あ、刺さっているのは間違いありません。でも直接の死因ではないかもしれないということです。これが食事の後っていうことも関係あるかも??』
何だ何だ何だ? やけにヒントが
ヒントの続きは、私を震撼させるものであった。
『今回のヒントはこれだけですが、有力情報を最後に。先ほどは働きかけによりもたらされる結果でヒントが発動する旨、言いましたが、スペシャルなことに、我妻夫妻に対して働きかけ達成された場合は、何と! 真相解明することなく、ミッションクリアとなります。明後日の午後2時がデッドライン。どうぞ、引き続き、お楽しみくださいませ~~』ピンポンパンポン。
「は? 聞き間違いやろ! どーゆーことや!?」
「何で俺らなんだ!?」
妻と私が口々に、アナウンスに抗議するが、このアナウンスは、先ほどから一方通行。こちらの質問には一切対応しない。
「あかん! ふざけとる!」憤慨する妻。
「ねぇ、このアナウンスのことって信じてもいいのかなぁ?」
不気味なほど意味深な声で、船内の誰かに問う声。三浦の妻、美羽である。錯乱していた先ほどとは打って変わって、なぜかせせら笑っている。
「どういうことや?」
「私ね、分かっちゃった……。働きかけによってもたらされる結果って、ずばり言うとね、パートナー関係の解消だと思うの。だってさ、このお兄さんが死んじゃったでしょ。そしたら、ヒントが自動的に発動された」
「っていうことは、ヒント発動の条件は、誰かが死ぬってことでしょうかねぇ?」そう言うのは桜岡のパートナー、市川妙典だ。
「最初は、私もそう思ったけど、それなら、働きかけによってもたらされる結果だなんて、回りくどい言い方しないと思うんだよね。その働きかけが、死ぬことなのか、死ぬこと以外でもいいのか分からないけど、それによって別れることに意味があるんじゃないかなぁ?」
パニックになっていたとは思えないほど冷静で、一理ある分析。しかし、すかさず、妻が物申す。
「別れるだなんて、抽象的や。別れを宣言すりゃええんか? そんなら、いまここで、離婚届書く真似をして、ミッションクリアしたら復縁すりゃええやんか」
妻の発言もまた一理ある。『別れ』を誰がどうやって判断するのか。如何様にもイカサマが可能な発動条件である。
「具体的なことは分からない。それはおいおい試していくんでしょ? 例えば、妻が夫を殴っただけじゃ、発動条件になり得ないみたいだから」
これは、さっき廊下で藤村妻が船の揺れで私に寄りかかったときに、妻に私は攻撃されたが、アナウンスは流れると見せかけて、結局流れなかった。
「だから、殺しも含めて、もっと不可逆的な証拠を残す必要があるかもしれないってことですか?」今後は、市川が言う。
「そう。例えば、パートナーを寝取るくらい行為が、発動条件だったりしてねっ!」と、満面の笑顔でウインクする。
美羽の笑いの意味が理解できたが、同時に冷や汗が流れた。
そして、なぜか名指しで、我々夫妻がターゲットにされることに、言いしれぬ強い不快感を覚えた。
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