5‐5

「は!? 美羽、何言うてんねん!」

 妻は言うまでもなく、かなりの剣幕で美羽に詰め寄った。しかし、美羽はまったく怯んでいない。

「言葉のとおりだよ。私は、あの調査で旦那の不倫を確定させるはずだった。どうせ別れるなら、慰謝料をぶん取っとこうと思って。でも、調査結果はまさかの。計画は台無しだけど、別の探偵にほいほい依頼するほど、うちは家計が潤ってない。だからね、私は、我妻さんに責任を取ってもらいたいの」

「は? 我妻興信所うちの調査結果に、ケチつけるんか?」

「そーいや、探偵さん。私が元・芸能人だってことを見抜いてたな。あれ見抜いたの、桟原さんあんただったんだね。ともかく、私は、我妻夫婦あんたたちにそれ相応の代償を払ってもらう」

「ふざけんなや!」

 なんだ、この女は。先ほど再会を喜んでいたときとは、全然態度が違うじゃないか。美羽は情緒が不安定なのか。依頼に来たときも服装の印象が変わったりして、うすうすは感じていたけど。

「私はね、あの調査結果は納得してないけど、我妻探偵さんの男としてのフェロモンは、すごい感じてるの。あなたは余っちゃうけど、何ならうちの旦那をあげるから、それでよね」

 修羅場になる。もう見ていられない。元・ボクシング部の妻に、血祭りに上げられる寸前だ。寿命が2年は縮まりそうなハラハラを押し切って、止めに行こうとした瞬間──、鈍い痛みが走った。

「何、あんた、鼻の下伸ばしてんねん!」

 目にも留まらぬ素早い動きで、妻の右ボディーストレートが私の鳩尾みぞおちに見事決まっていた。何で美羽ではなく私が……。まったくガードも心の準備もなかった私は、その場でうずくまる。

 船酔いでベスト・コンディションからは程遠いはずなのに、夫への肉体的制裁の威力は、普段と何ら変わらなかった。

 津曲よ、ちょっとは部下としてフォローしてくれよ、と思ったが、似合わないことに右ポケットに手を突っ込んで、格好つけている。


 そのときだった。ピンポンパンポン、という音。よくデパートとかで、迷子のお知らせとか何かをアナウンスするときに聞かれる音だ。

『今日は、皆様、遠路はるばるお越しいただきありがとう! この船は、あなた方12名の貸し切りとなってます! 今回の船旅は、この船内で起こる事件を解決してもらうのが趣旨です!』

 突然始まったアナウンス。スピーカーから、耳障りなほど大きなボリュームで、明らかな機械音のような音声が流れ出す。

 当然、ここに集結する12人は、何事か、という顔で困惑する。

『ルールを説明します! この船旅は2泊3日です。明後日の午後2時までに、参加者のみんなで協力して、事件を解決すれば、見事ミッションクリアです! レストラン内のレジ横にある呼び鈴を鳴らしてから、事件の真相を語ってください! ただし、真相を語るチャンスは1回です』

 何だ。この船旅はゲームだというのか。安堵あんどしたような、でもここに連れてこられた経緯が経緯だから、安堵してはいけないような、複雑な気持ちが交錯する。


『いくつか留意事項があります。留意事項その1、子供や家族の身の安全は確保されているので、事件解決に全力をあげてください』

 私の胸の内を読み取ったかのような留意点。子供の安否はもっとも心配されるところだった。しかし、この言葉を信じて良いのだろうか。やはり心配であるが──。

『ここで、子供がいるのは我妻夫妻と、三浦夫妻の2組。事情を話してそれぞれの実家にあずけてもらっています』

「事情って何や? どうやって怪しまれず、こんなにも長期間それが可能なんや?」

 妻が間髪入れずに言った。この言葉には怒気をはらんでいる。しかし、それに対する返答はなかった。


『留意事項その2、レストランにおいてある食事は、自由に摂ってもらって構いません。基本的にはレンジやガスコンロで温めるだけで食べられるものなので、事件解決の邪魔にはならないと思いますが、気に入らなければ食材もありますので、調理をしてもらっても構いません』

 何だ、さっきからこの留意事項は。こういうのって、よく分からないけど、もっと事件解決の助けになるようなものを出してくれないのか。事件解決に直接関係のないものばかりで、げんなりする。

『なお、食事には毒は入っていませんので、ご安心を……』

 さりげなく物騒なことを言う。未だにこのゲームの目的は分からない。


『続きまして、留意事項その3。事件の解決が困難なときは、ヒントを出すこともできます』

 やっと来たか、と。早く事件を解決に導いて、ミッションをクリアして、娘たちを迎えに行かねばならない。しかし、その後の言葉は不可解なものだった。

『ただし、無条件ではヒントは出ません。この参加者たちに対して、何かしらの働けかけをして、ある結果をもたらしさえすれば、ヒントが発動します』

「ある結果? 全然分かんねぇよ」そう言ったのは、藤村の夫の方だ。

『具体的には言いませんが、いま参加者が2人1組になっています。例えば、我妻強さんに対しては奥さんの我妻優さん。津曲創さんに対してはビジネス・パートナーの姫野耀さん、市川妙典さんに対しては恋人の桜岡悠華さんと言った感じです』

「あたしが、いつ津曲あなたのビジネス・パートナーになったんだよ?」

 耀は津曲の方を見て睨んでいる。「まぁ、そんなこと言わんと……」

「キモっ」耀は先輩の津曲に対しても容赦がない。

 アナウンスは続く。『その関係性というのがキーポイントです。参加者に、特定の結果が生まれればヒントが発動します。働きかけの手法は問いません。続きまして、最後──』

「おいおいおい、何なんだよ、それは!?」再び藤村の夫が声を上げる。しかし、無情にも『留意事項その4です』と、こちらの質問には答えない。


 しかし、この留意事項その4が最も忌まわしいものであった。

『期間内に解決できなかった場合、または1回の解答チャンスで誤答した場合には、このクルーズ船は沈没します!』

「な、何だって!?」そこにいた全員が、悲鳴や叫喚にも似た声を上げた。かくいう私も含めて。誰しもが耳を疑う内容だった。

『留意事項は以上4点です。ではスタート! 健闘をお祈りします!』


「何やそれ!!」怒号が飛び交う中、ピンポンパンポンと、あまりにも空気を読まない不釣り合いな音階が奏でられた。

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