5‐4
桟原優歌のマネージャーを務めるも、信頼を裏切り、彼女を拉致、監禁した人物。津曲や笠原らと協力し、その凶行は未遂となったが、桟原優歌に軽度ではあるが火傷を負わせることとなり、芸能界も引退した。
私は、思わず、自分の眼光が鋭くなったことを自覚する。7年たった現在も、条件反射的に、身構えているのだろう。
「そう、怖い顔しないでくださいよ。いまは更生して、桜岡と結婚前提で付き合ってるんですから」
そう言えば、妻からの情報で、刑期を終えて出所した、と聞いた。それなりに長い刑期だったらしいが、模範囚だったのか、仮釈放されたらしい、と。
「ええ? 市川と付き
桜岡はコクリと頷いた。
「何でや? この男は──」
しかし、そう言いかけたところで、市川に言葉を被せられた。
「そんな顔しないでくださいよ。ちゃんと更生しましたから。いやぁ、
珍しく、妻が言い返さない。でも睨みつけているあたり、納得はしていない様子だ。桜岡は、困惑の表情を浮かべている。
「どうも、このクルーズの参加者は僕らを入れて12人。しかもみんな、夫婦やカップルやらで、どこかしこで因縁があるような6組。おもしろいじゃないですか」
「……どこかおもしろいんだ?」
私は、ついに我慢がならず、低い声で言った。「おもしろいわけないだろう。きっとアンタなんだろう? 俺たちを襲って、この船に乗せたのは」
「襲って? 僕はそんなことしませんよ」市川は、外国人のように両手を横に軽く挙げて首を傾げ、さぁ、という感じの小憎たらしいジェスチャーをする。
「じゃあ、どうして俺らはここに連れてこられた? アンタはなんでここにいる?」
「我妻さんがここに連れてきた理由は分かりません。僕が連れてきたわけじゃないんですから」
「嘘をつくな!」私は柄にもなく、声を荒らげた。
「僕らだって被害者なんですよ。タクシーに乗ったら、目的地とぜんぜん違うここまで、連れてこられたんだから」
「はぁ、そんなことあるんか?」
「市川さんの言うことは本当です」ここで遮るように桜岡が言った。「タクシーに乗ったら何でか急に眠たくなって、気づいたらこの船にいました。それは市川さんも同じで、私が眠くなったときには、すでに眠っていました。普段、車で寝つくことがない人なのに」
「悠華が言うんならホンマのことなんやな。確かに、売れっ子タレントのマネージャーたる者、体力勝負やからな。市川も自分のタレント差し置いて寝るわけにはいかん」
あっさりと妻は、桜岡の発言を信じた。しかし、そこで新たな疑問が生まれたが、私の気持ちを代弁するかのように津曲が言った。
「もし、何かの意図で眠らされたとしたら、どうやって?」
「何かを吸わされたかもしれません。いま考えると、タクシーは、運転席と後部座席が、透明なアクリル板と透明なシートで、完全に分離されてました。コロナ対策って言ってましたけど、本当は、その眠くなるガスか何かを、運転手が吸わないようにするためかもしれません」桜岡は説明した。
「笑気ガスか吸入麻酔薬が充満していたのかな」三浦光之が言った。このあたりは、さすが、医療職であると感じる。
「ということで、僕たちも参ってるんですよ。しかも、クルーズをチャーターしてまで、手の込んだ芸当ですよ」市川は、やや困り顔をしてみせた。
†
その後、各夫婦やカップルが、ここにどうやって連れてこられたを聞いた。
まず、藤村夫妻は、ある日突然、『サウザンド・リーブス探偵事務所』の社長に呼びつけられ、夫婦で潜入捜査をしろと言われたらしい。どうやら、藤村の妻、郁も同事務所の探偵だそうだ。社内恋愛を実らせた形となるが、夫婦ともに探偵。お互いに不倫の現場の数々を目の当たりにし、男女の数多の修羅場を肌で感じた2人。考えただけで胸焼けのするような組み合わせだ。
と、思いきや、私の妻も、たまに操作に協力し、最近では、女性探偵希望の依頼人の調査まで請け負う始末。道理で一挙手一投足が
続いて、笠原とソリピー夫妻。2人は、テレビの収録があると言われ、ここに来たという。しかし、ソリピーはまだしも、笠原までなぜついてきたのか。
「僕、実は、ソリピーのマネージャーでもあるんです」
なるほど、剃り込みピーナッツと笠原は、コンビ、アイドルの追っかけ仲間、夫婦という、非常に密接した三角形を結成しているというわけだが。
「じゃ、ギョートくんもいるんですか?」桜岡が言った。
「それが、来てるはずなのに。船に乗ったらいなくなったんですよ」
「いなくなった?」私と妻と津曲と桜岡の声が重なった。
「ええ。乗るときは甲板の上にギョートくんはいました。でも、いざ船に乗ったら、それっきり見かけなくなって……。船は出港するし、電波は繋がらなくなるし」と、ソリピーは頭を掻きながら言った。
「どっかに隠れてるんじゃないですか?」そう言ったのは津曲だった。「いじられ芸人だから、どっかに隠れるように指示されていているとか」
「あー、ありえますね。ドッキリを仕掛けられてるとか」同調したのは藤村郁だ。
ドッキリか。正直、そんな楽観的なオチなら大歓迎だ。正直、私はこの状況をとても愉しめない。拉致同然で連れてこられ、どこかに運ばれている極めて危険な状況なのだ。娘二人の安全すら確認できない。妻はあくまで何事もないかのように気丈に振る舞っているが、これは演技だ。目の前に犯人がいたら、怒り心頭のあまり、速攻、強烈なボディーブローを喰らわせているはずだ。
そして、残る三浦夫妻だ。この中では、いちばん飾りっ気がなく没個性的な(と言ったら怒られるが)男女ペアだろうか。
しかし、ここにどうやって連れてこられたか、聞き出したところ、三浦の妻、美羽から最も衝撃的かつ不可解な回答が返ってきた。
「私たちは、略奪愛をしにこの船に乗り込んだんですよ!」
「略奪愛!?」
三浦夫妻以外の全員が、
「そう! 私たち、夫婦やってるけど、もう関係性は冷めてるんです。そして、お互い、次の恋人を探そうとしている」
地味な印象の三浦美羽とは正反対の発言だ。にわかに信じられないでいると、美羽から「我妻探偵さん」と呼びかけられた。
「……な、何でしょう」嫌な予感が、アレルギーにも似た
「先日、あれは、9月くらいだったかしらね。主人の不倫調査を依頼しました。で、結果、シロっておっしゃってましたよね?」
「ええ」ほんの2か月くらい前の話だから、よく覚えている。
私は、薬園台病院の形成外科の女医と一緒に食事をして、てっきりクロだと思いこんでいたが、妻がその推理を覆した。
「あれ、大間違いなんですよ。私たちの夫婦関係はあのときすでに破綻していて、夫が不倫しているのも分かっていて調査を依頼したんですよ。この節穴探偵さん!」
そう発言した美羽の表情は薄ら笑いを浮かべていた。そして不似合いな眼鏡を取ると、妖艶なまでに
純粋にショックだ。妻の推理が誤っていたというのか。しかし、あの調査の中で、実は一つだけ引っかかっていた点があったのだ。光之が帰宅し、家の中から女性の怒号が聞こえたのだ。あれが、夫婦関係が破綻していたという裏づけだと言えなくはなかった。
そんなことをあれやこれや考えていると、美羽はさらに追い打ちをかけた。
「探偵さんを、略奪しに来ました」
妻の面前で言われ、私が、冷や汗をかいたのは言うまでもなかった。
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