1‐5

 三浦光之は車の中の私の存在には気付いていない様子だ。彼は家に入ろうとしたが、なぜか少し躊躇ちゅうちょしたように玄関前のポーチを上ったり下りたりしている。家に入りにくいのだろうか。そして一つ深呼吸をして、意を決したように家に入っていった。

 何だったんだろうと思いながら、私は車を降りて光之の家を眺める。現代的と言うべきか、ベッドタウンの狭小地に建てたと思われる、2階建てのごく普通の現代的な一軒家だ。西に隣接する家と外観がよく似ていることから、注文住宅ではなく建売たてうりに見える。一方で、東隣の家は、狭小地ながら注文住宅らしからぬ、オシャレなデザインの家である。千葉市は東京都心部まで電車で一時間ほどかかるが、総武本線沿線の土地は高い。場所にもよるが、一坪当たり100万円くらいはする。きっと建売でも高いのだろうな、とマンション住まいの私は思いながら、3分くらい経過。

 そのとき突如、家から女性の怒号が聞こえた。

 思わず私の方が身をすくめた。誰の怒声だろうか。美羽の声色に似ているようにも思えるが、依頼に来たときの雰囲気とはまるで合致しない。


 そしてさらに1分ほどが経過し、時計は9時50分。帰ってきたときの服装と同じ格好で、光之が玄関から出てきた。私は咄嗟とっさに電柱の後ろに身を潜めた。

 光之に何があったのか聞き出したいくらいだが、それはできない。あくまでも私は美羽から依頼を受けているのだ。


 それからしばらく光之は自宅の前をうろうろし、リビングの中を覗き込むような素振そぶりを見せたりしたが、結局また新検見川駅の方に向かって歩いていく。そして光之の家はまた静かになった。



 結局それから2時間弱ほど張り込みをしていて、夜11時半すぎに再び光之は戻ってきた。彼はその間、遅くまで営業しているコーヒーショップで、1人スマートフォンをいじっていたのだ。

 光之の2回目の帰宅は、先ほどとは異なり平穏に終わった様子だ。しばらく観察していたが、何もなかったので、私は帰宅した。


「ご苦労。どうやった?」妻は私が帰ってくるなり問うてきた。

「君の言ったとおりだったよ」

「せやろ? 見たか! アタシの推理!」

 妻は『ドヤ顔』だ。でも、今回も本当に恐れ入った。私の推理の方が浅薄だったようだ。妻は続ける。

「でさ、アタシはアタシで、ちょっとリサーチしてたんよね」と言う。「もちろん依頼内容は漏らしてへんよ」と付け加えながら、ノートパソコンとスマートフォンを取り出す。

「どんなことを調べてたの?」

「実はさ、依頼人にピンとくるものがあってね」

「ま、まさか、知ってるの?」

 妻は、実は過去にいわゆる『業界人』だったことがある。いまはその世界から離れているようだが。

 業界やゴシップに疎い私には、時代の妻をほぼほぼ知らないが、妻はその世界でも顔が広かったらしく、いまでもコネクションがあるという。限られた人としか付き合いのない私とは正反対である。

「結論からするとビンゴ! アタシすごいやろ! ね、すごいって言って」

「すごい! すごいです。最強です。無敵です。天下無双です」

「よく分かってらっしゃる」

 妻はご満悦だ。妻は自分が無敵であることを自覚している。いや、実際無敵である。自他ともに認める『無敵妻』だ。



 翌日の土曜日、さっそく美羽からメールが入っていた。調査結果が気になるのだろう。

 美羽は気がはやっており、今日にでも調査結果を聞きに行きたがっていたが、妻の推理を踏まえた上で、どうしても聞き込みをしたいところがあった。でも一人で行くのがはばかられる場所なので、津曲を同行させる。ちなみにこのエクストラな調査に関しては、依頼人から料金を徴収しないつもりだ。


「あー、名前が思い出せないんですけど、黒髪に赤いメッシュの入ったセミロングの店員さん、昨日の夜も出勤してた方なんですけど、今日出勤してます?」

『えっと、あ、鶴岡つるおかですかね。今日おりますけど、代わりますか?』

「いえいえ、大丈夫です。では失礼しまーす」

 そう、用事があるのは件のランジェリーショップである。店員の所在は妻に確認してもらった。こういうときは本当に助かる。私や津曲では怪しまれることが容易に想像できる。

 本当は、ランジェリーショップに同行させるのも女性である妻がありがたいのだが、小さい子供を連れて行くのはかえって難しい。電話調査も考えたが、何を見ていたのか、商品を実際に確認しておきたいという気持ちもある。私は相手、時間が許す限り、会って聞き込みを行いたいと思っている。


 なお、妻のリサーチによると、依頼人である三浦美羽は、何と元・グラビアアイドルだったらしい。ご自慢のスタイルを武器に一時期人気を博していたとか。確かに容貌は整っているように思えるが、私はスタイルまで注意が向かなかった。どうしても私にはそういったところを観察する度胸がなかった。

「道理で美人だったんですね。でもそんなにスタイル良かったっけな?」

 これが津曲の率直な感想らしい。彼の発言も当てになるような、ならないような感じなので、どこまで信用できるか分からないが、聞き込みを行えば分かるかもしれない。


 船橋駅のランジェリーショップに着く。昨日の夜、光之らに応対した店員が今日もいた。『鶴岡』という名札をつけている。探偵であることを明かして、聞き込みを行う。津曲はメモ係だ。

 そして、聞き込みを行ううちに、妻の推理とぴったりで驚愕した。妻は別に美羽と懇意にしているわけではない。もちろん連絡なんて取り合っていないが、妻は妻で、かつてお世話になった人を伝って、情報を引き出していたようだ。しかし、それにしても本当にそうだったとは。裏取りは完璧に行われた。

 依頼人にメールを返した。報告すべき事項をまとめたいので、早くても明日の日曜日になることを伝えて、彼女は了承してくれた。



 そしてその日曜日がやってきた。

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