1‐6

 美羽は依頼に来たときとは違い、オシャレな格好をしてきた。依頼に来たときは、比較的落ち着いた服装だった。9月も終わり頃だが、まだ暑い。今日の彼女の服装は、ノースリニットとフレアスカート。色はともにネイビーだが、見事に決まっているのは、彼女がかつて芸能人だったということを知ったからだろうか。シニヨンの髪型に耳にはピアスがあしらわれて印象が明るい。彼女の中で何かが吹っ切れたのだろうか。


「調査はどうでしたか?」

 やはり美羽の気持ちは前のめりな感じがする。でも、実は美羽に確認したいこともあるので、単純に結論から述べるのは気乗りしなかった。

「奥様、まあ、ゆっくりお話します。一つ確認したいのですが、奥様、最近、自分の容姿に悩みを持っておられますか?」

「なぜ、急に私に質問を??」美羽はいぶかしげな表情を見せた。

「念のための確認です。私の下した結論が正しいかどうか、裏付けになるかと思いまして」

「ま、まあ、女ですから容姿には人並みに気を使っていますけど」

「美容外科に相談したいくらいの悩みがありますか?」

 すると急に美羽は目を丸くした。「何でそんなことを?」

「あ、すみません。ちょっと複雑な案件に感じたので、我々スタッフで推理し合った結果です」

 『探偵』=『推理』とはやや短絡的で、依頼人には容易に使いたくなかったが、ここではあえて使った。それくらい事情が入り組んでいると思われるからだ。

 私は続けた。


「まずですね、金曜日ですが、ご主人さまの勤務の後、尾行をさせていただきました。そのとき隣に女性がいました。これがそのときの写真です」

 美羽は食い入るように写真を眺めている。「これが浮気相手ですね! やっぱり!」

「いや、結論は急いではいけないです。この女性は、薬園台病院の形成外科の先生です。以前は美容外科に勤められていたようですが、7月頃にいまの病院に転職しました」

 宗像医師の情報は、ランジェリーショップ店員の鶴岡から聞き取ったものだ。宗像とはかねてから交流があったという。

「じゃ、どういう関係なんです?」

「あの、失礼を承知でお話しますが、奥様は、以前タレントの美羽みはねさんとして活躍されていらっしゃいましたね?」

「な、何で気付いたの!?」美羽は驚きを禁じ得ない。

「優秀なスタッフがいるものでして……」

 美羽にとってその情報は隠したい情報だったのだろうか。若干不機嫌そうな表情を見せた。

「失礼ながら、奥様のことも調べさせていただきましたが、10年ほど前にデビューされ、2年ほどグラビア、ドラマなどを中心に活動されたが、その後引退されている。結婚で引退したのかと思いましたが、そうじゃなさそうだ」

「ええ、私のことを調べたら出てくるでしょう。『豊胸疑惑』って」

 私の言葉を先読みするかのように彼女は言った。そして続ける。「それが、今回の調査とは何の関係が……」

「まあ、聞いてください。疑惑の真偽はおいておいて、あなたはきっとネット上で誹謗中傷を浴びたのではないかと思います。当時すでにSNS社会は始まっていて、エゴサーチで自分の評判を調べられますからね。それが嫌で芸能界を引退された」

「そう。そのとおりですよ。あのときは自分の人生でいちばん輝いていたと思うけど、反面いちばんストレスを感じていたときだったと思う。ファンが増えるのと同じくらい、アンチが増えてってね。でも、一般の人になってからは、輝きはないけど人生は充実していた。見えないアンチから攻撃を受けることがなかったし。特に主人と出会ってからは……」

 美羽の表情は複雑だった。かつての栄光を懐かしむような、でもいまの平穏も愛おしむかのような、どこか憂いを帯びた表情に見えた。

「そのご主人さまとは、引退してから2年後にご結婚され、その後、子どもにも恵まれています」

「ええ、いまは幸せです。だから主人が浮気をしているとはどうしても信じたくなくって! どうなんですか? 主人は!?」

 どこかやはり美羽は、不倫についてシロかクロか結論を求めたがるきらいがある。それが私にとって微かに不気味に感じた。

「いや、焦らずに。ちゃんとお伝えしますから。それで先ほどの質問に関連するんですけど、あなたが自分の容姿を人並み以上に気にしているかどうかが、絡んでくるんです?」

 美羽は、どこか釈然としない顔をした。

「先ほど言いましたとおり、女ですから気にしてますよ」

「あの、ゴホン」私はひとつ咳払いした。デリケートな話題だが仕方がない。「セクシャル・ハラスメントに感じられるかもしれませんが、調査結果に関わることなので、あえてお聞きします。出産、育児の中で奥様は体型が崩れてしまわれた。でも、奥様の中では、その事実が受け入れられず、悩んでおられた。特に、昔、グラビアアイドルとしてもご活躍されていたあなたにとっては。違いますでしょうか?」

「ほ、本当に、セクハラですね」美羽の表情はちょっと怒っているように見えた。「どこがどう調査結果に関わるかわかりませんが、そのとおりです。でも出産、授乳で体型が変わるのは、きっと世の中のほとんどの女性がそうだと思いますよ。確かに昔の私は身体を売りにしていたけど、いまは業界から離れて長いですから……」

 そういうものだろうか。私が基準にできるのは妻だけだ。妻は娘を2人産んでいるが、体重も体型もまったく変わっていない。やはり我が妻は無敵であると、こんなタイミングで再確認する。

「ご主人さまは、その悩みをキャッチされていたんだと思います。でもデリケートな話題だから、ご主人も奥様にその件に触れることができなかった。だから秘密裏に、美容整形とか、下着とかを見に行っていたんだと思います。そしてその現場を私がたまたまキャッチしてしまった」

「嘘? それって本当なの? このひと、浮気相手じゃないの?」

「ええ、この先生は宗像先生。美容外科に以前いた先生ですが、同時にご主人さまとは、いとこの関係にある親戚でした」

 この情報も、ランジェリーショップ店員の鶴岡が教えてくれた。それを裏づけるように、宗像は既婚者であり、旧姓は三浦だという。

「そんな、主人にそんないとこがいるなんて知らなかった」

「親どうしの兄弟関係も疎ければ、いとことも疎遠になるでしょう。でも宗像先生が薬園台病院に転職したのを機に久しぶりに再会したのでしょう。同時にいとこであることも気づいた」

「何と……」

 美羽の表情は喜びなのか落胆なのか、単に驚きなのか。私にはよく分からなかった。

「ですので、私の調査としては、ご主人さまは不倫をしていない、と結論づけています。ですのでご安心ください」

「あ、ありがとうございます」

 浮気・不倫の調査結果がシロと分かって、安心する依頼人と、疑ってしまい自分を恥じる依頼人と、二通りに分かれると私は思っているが、美羽は後者のように感じた。



「良かったっすね、シロで」

「ああ、そうだな」

 私は津曲の言葉に気のない返事をしていた。

「ま、あんなキレイな奥さんだから、浮気するほうがどうかしてますよ。きっと昔はもっと美人だったんだろうな。あー! 羨まし!」

 また始まったよ、と私は心の中で呟いた。美人妻を持つ旦那に対してやっかむ傾向がある。津曲は悪いがいわゆるオタクっぽい風体ふうていだから、そこがマイナスではないかと思う。一方で、美人ゆえに気の強い妻だと苦労するぞ、と忠告してやりたい気分だ。

「で、我妻さん。この推理、奥さんが考えたんですか?」

「ま、そのとおりだな」私はちょっとバツが悪い。本職の私の推理を、書類上は興信所ここの職員だが、素人のはずの妻の推理が見事なまでに覆したのだ。

「さっすが、はすげーな」

「上司の妻を、ニックネームで呼ぶな」

 なお、このニックネームは、妻の旧姓に由来している。

「言っとくけど、俺は奥さんのファンですよ」

「知っとるわ。いまに痛い目に遭うぞ」

 これは冗談じゃない。妻は本当に怒らせたら恐いのだ。

「美人妻にイジメられるのなら本望っす。我妻さんが羨ましい!」

「この、ド変態が!」

 津曲のちょっとマゾヒスティックな性癖には辟易へきえきする。しかも、私までも同じに見られているのは甚だ不本意である。



 美羽の依頼を報告した日の夕方に帰宅すると、恐ろしい光景が待ち受けていた。まったく予期していない 出来事に私は面食らった。

「こないだ、うてきたもらったものやけど、違うやろが!」

 エプロン姿ながら、仁王像のような形相の妻に、右ボディーフックを喰らったのだ。

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