5‐2

「『我妻夫妻をこの船に監禁した。命が惜しくば助けに来られたし。ただし、もう一人の探偵助手を連れてくること』って非通知の留守電が入ってたんですよ。ボイスチェンジャーで音声を変えた状態で」

 津曲が言う。

 ずいぶんとストレートなメッセージである。何となく、こういう脅迫めいたメッセージは、往々にして罠だったりするのだが……。

「実際にすぐ、我妻さんに電話かけましたが、電源が入ってないって言われるし、事務所はもぬけの殻。いよいよ気になって、この船に乗り込んだってわけです」

「どうやって乗ったんだ? どこから出た? 乗組員は誰かいたのか?」

「一気に質問しすぎっすよ。この船は千葉港に碇泊ていはくしてました。乗組員はいませんでしたが、乗るときに甲板にキュウジさんがいたんすよ!」

「キュウジさん?」

「我妻さん! 覚えてないんですか? 奥さんがまだサジコ様だったとき……」


 そう言われて急に思い出された。『四天王』の1人で、サジコ様こと『桟原さじきはら優歌ゆうか』の熱烈なファン。確か本名は……。

笠原かさはら久嗣きゅうじ

「あー、そうそう、思い出した」

「キュウジ、とんの?」

「そうなんです。我妻さんは久嗣さんと7年ぶりなんすよね? 俺も4年ぶりくらいに会うんです」

 ING78は、桟原優歌が電撃結婚&脱退(芸能界引退)のあと、下火になった。桟原の代わりを務めるほどの逸材はメンバーにはいなく、また、桜岡悠華だけでは、ING78は以前の勢いを取り戻すことはできなくなった。桟原脱退の1年後、桜岡も脱退し、その翌年にING78は解散となった。おそらく、キュウジと津曲はそれ以降の疎遠になってしまったのだろうと推察する。

「そうそう7年や。めっちゃ久しぶりや! どうしとん?」

 妻は、旧知の仲間との再会を喜んでいる。外に出て船酔いが改善したのか、非常に元気である。

 『四天王』ゆえ、ファンの中でも特別な存在だろう。それこそING78が無名だった時代から、最前列で応援し続け、全国にその名を轟かす足がかりとなったファン・オブ・ファン。たまたま依頼を受けたことをきっかけに知り合い、成り行きで結婚した(と言ったら怒られるが)私とは、付き合ってきた歴史がぜんぜん違う。そんな妻が、7年ぶりの再会を喜ばないわけがないのは理解できるが、嫉妬を感じないといえば嘘になる。

「キュウジさんも結婚したそうなんすよ!」

 何と。一瞬でも嫉妬してしまったが、大丈夫のようだった。

「お? 誰と!?」

「それがね! 何と驚いたことに──!」

 津曲がそう言った瞬間、今度はともの方向から誰かが上がってきた。

「こんにちは! ご無沙汰してます。サジコ様ぁ」

 噂をすれば影が差すとはこのことだ。現れたのは、7年ぶりでちょっと老けた久嗣と、

「はじめまして、ですかね? 『剃り込みピーナッツ』の『ソリピー』こと蘇我そが孫子まこです!」

「ご無沙汰やなぁ! あ、ごめん、テレビに出てたときは関西弁封印しとったんや」

「全然構わないですよ。ギョートくんから、では関西弁を話すと聞いてます。それより、会うの7年ぶりですかね?」妻と蘇我孫子と名乗る人物は、初対面ではないようだ。


 それよりも、私は二重に驚いていた。お笑いコンビ『剃り込みピーナッツ』は、ギョートくんこと中山なかやま行徳ゆきのりが、桟原の追っかけ(四天王の1人)として知られていたが、その相方と笠原久嗣は結婚したのだ。そして、そもそも『剃り込みピーナッツ』の相方って女だったことにもびっくりした。これは単に私が芸能界に疎く、知らなかっただけのことであるが。

「我妻さん! さては剃り込みピーナッツが男女で結成されてたってこと知りませんでしたね!?」

 ギクリとする。津曲は妙に鋭いことがある。そして、それをズバズバと突きつけてくる。

「え、あ、まぁ」

 だって、剃り込みピーナッツのギョートくんは、モヒカンがトレードマークである。モヒカンが『剃り込み』と掛けているのなら、相方もモヒカンかスキンヘッドあたりと想像される。そうであれば、男性だと思うのが自然だ。いまとなっては完全な思い込みであるが。

「ソリピーはピーナッツが大好きが高じて、そういう芸名になったんです。一応、一般常識レベルとして、我妻さん、知っといてくださいよ」

 いきなり初対面の女性の前で恥をかかされてしまった。別にいまさら気にしないが、それにしても、お笑い芸人と言えど、芸能人。女性芸人という割には、女優として活躍しても遜色ないくらい、容姿が整っている。身長は170 cmくらいあって、モデルのようだ。


「ギョートくんの紹介で結婚したん?」

「ええ、そんな感じです。でも肝心のギョートくんのほうが、独身貴族なんすよね」

 いつの間にか、馴れ初め話に切り替えた妻。

「そっかぁ、ギョートくん、ほんまに人はええねんけど、肝心の押しが足りひんのやわ。こー、ガツンと行かなアカンねん。うちもな、強がぜんぜんアタックせぇへんから、アタシから仕掛けたんや! そしたらイチコロやった。逆に仕掛けへんかったら、強も永久に独身貴族やったで?」

 ずいぶん語弊があるな。依頼人だった妻(桟原)が強引に結婚を決めたはずだが。

「そりゃ、No.1ナンバーワンアイドルにアタックされて、断る男はいないでしょ。我妻探偵さんは世界最高の幸せ者ですよ」

 嬉しい半分、妻に日々、制裁を喰らわされている、と教えたら、どういうリアクションを示すだろうか。口が裂けても言わないけど。


 妻は、笠原久嗣とソリピーに会ってから、とにかく機嫌が良い。

 私は、この船で待ち構える試練や、放ったらかしになっている沙や杏のことが心配である。心配だからといって、何をすることもできないのだか、それを割り切って、心配しても無駄だと思わん限りの、気持ちの切り替えを見せる妻の、はがねのメンタルに舌を巻いた。


「何だ? 騒がしいな?」

 今度は、再び舳先の方から、低い声が聞こえる。妙に聞き覚えのある声。

「藤村!?」

 現れたのは、サウザンド・リーブス探偵事務所の探偵、藤村だ。驚きを禁じ得ない。この船は、私たちとゆかりのある人間ばかり乗せているのか。

「あ? 我妻じゃないか? 何でこんなところに」

「こっちが聞きたい。どうして藤村がいるんだ?」


 藤村ふとし。身長は180 cmを超えるが、私と違うのは肥満体型であること。威圧感と、どこか人を見下すような顔つきがしゃくだ。しかしそれは、藤村が辞めた私に対して、良く思っていないことの現れなのかもしれない。つまりは、お互い様ということか。

 巨漢の藤村の影にすっぽりと隠れて、1人の女性が顔を出す。小柄な体型、ショートボブの妙齢の女性。なかなかの美人であるが……。

「藤村ふみ。藤村の新妻です!」

 これにもまた私は驚いた。先ほどから驚きっぱなしである。藤村太と釣り合いが取れないほど、容姿が対極的な妻。嫉妬は感じないが、この男のどこが魅力的だったのか、声を大にして問いたい気分だ。


 ここに来て、次々と自分たち以外の乗客に会っているが、藤村の妻を除いて、みんな私か妻とつながりがある人物。そしてそれ以上に気になったのは、男女のペアであることだ。津曲と耀を除いて、婚姻関係にある。これは何かしらの意図があるのだろうか。

 個人的に、あまりこの男の助けは借りたくないが、謎の船に乗せられて、運命共同体とも言える状況。

「藤村、この状況。何か推理できるか?」私は問うてみた。

「ああ、いろいろと胡散うさん臭いぜ。この船……」藤村は、淡々とおのれの見解を語り始めた。

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