3‐11
優は、まったく意に介さず続ける。
「でな、あのカウンセリングのあとな、『施術』と称して、別室で催眠をしかけてきよるんや。いま考えると、あの『施術』がいちばんキツかった。だって、お香を焚きながらやるんや。濃度は薄いとは言うても、さすがにどうかなりそうだったけど、疑問に思ったことがあった。松本のおっさんは、このムンムンの大麻の中でどうして平然としてられるんか? そして、アタシらをここに誘い込んだ意図は?」
私も気になっていたことだ。完全に黙りこくって私は聞き続けた。
「まず、松本のおっさんはな、大麻草の品種改良を重ねに重ねていたんや。もっとも、手を貸していたのは信者なんやけど、交配によっていろんな品種を作り出し、大麻らしくない葉の形のものを開発した。加えて、香りの強くないもの、薬効も副作用を極力抑えたものを開発した」
これが、警察が大麻の特定になかなか至らなかったというのが2つ目の理由だ。
「でも、これだけやと、おっさんに作用が及ばん説明にならん。そこで出てきたのは、
そう、これが3つ目の理由である。しかし、そんなことまで気づいたとは。妻の慧眼に閉口する。
「あと、もう一つの疑問。何でアタシをここに連れてきたんか。これは単純明快な理由や。アタシを精如会に引き込むことで広告塔とし、会のさらなる拡大を謀ろうとしとったらしい。ここ千葉にはアタシんこと知っとる人も多いからな。ほんま腹立たしいことや」
話を聞くうちに、私は一つの疑問が浮かんだ。断定的に話しているが、どうやってここまでの推理の証拠を掴んだのだろう。
「でもこれだけの情報は、どうやって知り得たんだ。憶測はできても確証はないだろう?」
「何や、そんなのおかしな話やない。あのおっさんが喋ってくれたんやから」
「はあ?」私は素っ頓狂な声を出してしまった。私も松本に会っているが、極めて慎重で抜かりのない男のような印象だった。「どうやって聞き出したん?」
「簡単に言うとな、私があのおっさんに催眠を仕掛けた。このおっさん、薬物に対する防御はしてるけど、催眠に対する防御はしてないんやないか。なら、毒を以て毒を制すやないけど、うまく話に乗っかるふりをして、信頼を得させて、あとは見よう見まねで催眠仕掛けたらいろいろ聞き出せるんやないかと思ってな。一応、これでも昔、催眠術師の真似事をしたことがあったんでな。まぁ、結果的にはうまくいったと思っとるけどな」
「まじで。無敵だ……」
催眠術師の真似事と聞いて、何のことかと思ったが、すぐに、確か7年前くらい前にそんな情報を小耳に挟んだことに気づく。しかし、そんな遥か前の経験と、松本の見よう見まねで、おそらくかなりの機密情報と思われる内容を聞き出したことに再三再四驚愕する。
「そんでな、拮抗薬を入手した。そうしたらもはやこっちのもんや。まず、沙と杏をアタシの実家に預け、俊ちゃんを警察に通報し、すぐにガリツマちゃんと耀ちゃんを連れて、強を助けに行った。拮抗薬を服用していれば、どんなに大麻を燻らせても、副作用を打ち消すことができるからな」
「それであとは腕っぷしで片づけたというのか……」
「ああ、こう見えて、元・ボクシング部やからな。アタシは」
そう見えて、優はいまもなお鍛え抜かれた上腕二頭筋を見せつけながらシャドーボクシングを披露した。いつも専らその拳は、私を成敗するために振るわれているが、今回ばかりは人命救助と正当防衛という形で機能したようだ。
今回も妻は凄まじく強く、そして凄すぎた。
思えば、『凄い』っていう漢字には『妻』という漢字が入っているな、とどうでもいいことに気づいて苦笑いする。
†
かくして、今回の大捕物は、我妻『優』探偵と助手(津曲&耀)の活躍によって遂行された。私は活躍できなかったばかりかむしろ足を引っ張った形で、不甲斐ないことこの上ないが、それをいちいち津曲や妻たちが責め立てることはなかった。何だかんだ言って、私が無事に救出されたことを大いに喜んだ。
珍しく4人が我妻興信所に集まり、そして解散した。私は妻と2人で車に乗って自宅に向かう。
「強さぁ、あんた、まだ書斎欲しいんか?」
私はドキッとした。そうだ、まだこの件で揉めていたのだ。
正直、書斎は欲しかった。でも助けてもらった恩から、諦めざるを得なかった。ここでもし抗おうもんなら、あの精如会の信者たち同様に、打ちのめされるに違いない。
「あ、いや──」もう必要ないんだ、と本心に背きながら答えようしたときだ。
「書斎やけどな、『サービスルーム兼』という形でな、作ったろうかと思うてる。よう考えたらな、アタシの昔世話になったメンバーとか大阪の友達とかいるわけよ。酒飲んで泊まらなあかんこともあるなと思うてな、4畳弱の狭い部屋やけど、
「え?」
私は、妻がこんな優しさを見せてくれたことに驚いた。
「疑っとるんか? ほら見てみ」
そう言うと、スマートフォンにデータとして保存された間取り図を私に見せた。確かに、二階の一角、洗面所のほど近くに、3.7畳の部屋が設けられている。確かに『書斎』と書かれていて、窓こそないが想像以上に広い。おまけにテレビ端子まで設置されている。コンセントも充実している。エアコンの図まで。私は、感極まった。
「何や? 不満か?」
そんなことあるわけがない。私は、柄にもなく涙がこぼれそうになり、ごまかすために子供のように頭をブンブンと振った。
「あとな、夜、音楽を聴いても、沙や杏たちを起こさんように、吸音パネルを入れといた。強、ジャズ好きやろ?」
「うん」と頷いたが、ちょっとやりすぎな気が。確かに音楽は聴くが、大音量ではない。音量が大きすぎると読書に集中できない。書斎にしては広めのスペースと、窓はない代わりに、テレビ配線と充実したコンセント……。私は一抹の不安が頭をよぎった。「でも、その吸音パネルって、ひょっとして……」
「お、さすがはアタシの旦那。多目的室ってことだから有効活用せんとあかんねんと思うてな」
「もしかして……!」
「そ! YouTuve実況部屋としても活用させてもらうで! ありがたいことにな、『関西弁でゾンビを
私は思わず、さっきの涙、返してくれと言いたくなったが、それを呑み込んだ。
†
自宅マンションに到着する。車を降りて、機械式駐車場が降りてくるのを待ちながら、妻と車の横で佇む。やはり家は落ち着く。
沙と杏は、明日迎えに行くと言っているらしい。だから、今夜は久しぶりに妻と二人きりである。妻と二人きりの夜なんて、いつ以来だろうか。
そんな下心を察知したかのように、優は科を作る。
関西弁のイントネーションがロマンティックな夜にミスマッチだが、それは優のアイデンティティだ。否、美女の関西弁は、却って一定数の男どもを興奮させる。
私は、思わず無言で首肯した。何年ぶりの
そのときだった。
何者かに背後から首を絞められた。
意識が遠のいていく中、物理的な衝撃音がした。
この音が、妻が鈍器で殴られた音だと気づくのに一瞬の間を要した。何者かによって無敵の妻も思わず膝から崩れ落ちた。
「優!!」と私は声にならない声を叫んだが、その声を発したと同時に、私の意識は暗闇の中へ霧散していった。
【Case 3 おわり】
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