4‐18

 どうやら、桟原優歌の本名は『桟原ゆう」と言うらしい。

 ING78に入ったとき、桜岡悠華もいて、そのときから2人の才覚を見出していた音楽プロデューサーが、『Wゆうか』として認知されるように、『歌』という漢字をくっつけたという。

「ファンの間では有名な話っすよ」と、津曲は鼻を鳴らす。


 その前に、俺は眼前のアイドルが、俺の伴侶になると一方的に宣言されるも、気持ちの整理がついていない。というか、他人事のように聞いている。

 俺はそもそも結婚願望なんてなかったし、この女はアイドルだろう。アイドルってのは恋愛禁止じゃなかったのか、というのは先入観だろうか。


「卒業したから、ええやろ」

 さらっと、桟原は言った。芸能界のしきたり(あるかどうかは分からないが)とかファンの想いとか、まるでそっちのけだ。ここには、最古参の追っかけの津曲だっているのに。桟原は続ける。

「ついで言うと、芸能活動も一旦やめようと思うてる」

「……!?」

 一瞬聞き流しそうになったが、聞き流してはいけない発言だった。大ニュースではないだろうか。

「ま、マジっすか?」

「だってさ、アイドルになって、命狙われたんだよ。本当に死にかけたんだよ。命張ってまでやる仕事やないねん。、旦那もできたことやし」

「はぁ?」

 俺を勝手に旦那にしたことも納得いっていないのに、呼ばわりされて、さすがにイラっときた。

「はぁ、やねぇよ。アタシと結婚したい男は5万、いや50万人はおんねん。そん中から、探偵さん、あんたが選ばれたんや。光栄と思いや」

 俺はその50万人の1人に勝手に入れられている。そもそも結婚願望すらなかったものを。

「……そ、そんなこと」確かに無二の美人だということは認めるが、俺だって男としてのプライドがある。あえて釈然としない顔をしてみせた。

 そのとき、ざわざわ廊下が騒がしいことに気づいた。看護師の声だろうか。いや、複数人いるように見える。何だろうか。そう思っていると、いきなり扉が開いて人が入ってくる──、と同時に。

「じゃぁ、これで既成事実にしてやる」

 桟原は点滴に繋がれているにも関わらず起き上がり、俺に飛びついた。そして0.3秒後、唇に柔らかい感触が伝わる。

「さ、桟原さん!?」俺は流石に戸惑った。

「キャー! キスしてます!!」

「スクープだ! 写真撮れ!」

 入ってきたのは、看護師の制止を振り切って入ってきたおそらく雑誌記者らだ。

「お、スポーツ日々の日比谷ひびやさんと日比野ひびのさん。発表します。アタシ、この人と結婚することにした!」

「えー! 大スクープだ!」

「もう一個言うと、芸能活動は一旦やめることにした」

「まじで! ダブルでスクープだ!」

「ついでにもひとつカミングアウトするとな、アタシ、コテコテの関西弁なんや!」

「なんと! トリプルでスクープだ!」


 当然ながら、明日のスポーツ日々の一面は桟原のニュースで埋まり、ワイドショーを賑わすことになる。俺の名前は出してくれるな、としきりに懇願したので、何とか一般男性として紹介されたが。



 市川は、女優の都賀江見の息子であり、同じく俳優を志していたようだ。親の七光りで、俳優としての力をつけ始め、ドラマや映画などで起用され始めたが、彼には決定的な短所があった。それは、女性に対して衝動的に手を出してしまうことであった。あるとき、その衝動がついに爆発してしまうことになった。共演した女優に対する性的暴行で逮捕された。親の力によって、示談成立、不起訴処分となったものの、彼の役者人生を棒に振ることになった。

 しかし、親の力で芸能界の裏方に回ることになる。最初は、不祥事の件があり、マネージャーを引き受けてくれる芸能人はいなかったが、偶然、桟原のマネージャーが(桟原の厳しさを理由に)辞めてしまって、空いていた。桟原は一度ドラマで都賀江見に世話になったようで、多忙の彼女にとってマネージャー不在は厳しい状況だと言い、市川をマネージャーとして迎え入れることに前向きだった。アイドルのマネージャーということで、不安があったが、桟原は話してみて決めたいと言った。

「不祥事のことは承知や。もう、絶対せーへんねやな?」

 その問いかけに、市川は「はい」と答え、マネージャーを受けることになった。

 3年くらいマネージャーをしてきて、軌道に乗り順調に見えたが、ING78の新入りメンバーが市川のタイプだったのか、盗撮を試みようとした。そこを桟原に見つかってしまった。最初は否定していたが、桟原に問いただされ、発覚してしまう。憤慨した桟原は、ING78卒業後はマネージャーとして契約しないことを心に決める。同時に市川に対して対応が冷たくなり、市川は桟原に対して恨みを持つようになった。


 桟原は、今回の経緯について、桟原の憶測を交えながらであるが、話してくれた。


「で、強は、はじめから市川を疑っとったんちゃう?」

 いつの間にか呼び方が、探偵さんから下の名前の呼び捨てになっている。

「ある程度は……。思えば今回の依頼はおかしな点が多くありましたよ」

「さすがは探偵さん!」津曲がはやし立てる。


「まず、ストーカー調査を探偵にしてきたことに疑問を持っていた。ストーカー規制法によって、ストーカー行為者に警告を与えたり、逮捕したりすることが権限づけられたのに、警察には相談しないという。芸能人だからスキャンダルにしたくないというのは分からんでもないけど、これだけ確固たるストーカーの存在を認識しておきながら、日本を背負って立ってるトップアイドルの命を、警察でなく個人探偵に預けるのは、いくらなんでも不自然だ」

「そうやな。強はお見通しだったか」

「これだけじゃまだ、市川さんがストーカーだとは思わなかった。でも、不自然な点は他にもあった。桟原さんが、マネージャーによる送迎を固辞し、電車での移動に固執していたこと。マネージャーを信用するなら、間違いなく車での移動が安全だ。なのに、しなかった……」

「確かにそれは不自然ですね」津曲は言う。

「だから、俺は、同時にもう一つの疑念が湧いた」

 考えてみれば当然ながらたどり着く疑念。でもこれを言って良いかどうかは躊躇われたが、ここまでの大怪我を俺や津曲に負わせたのだから良いだろう。俺はゆっくり息を吐く。

「すべては桟原さん、あなたが仕組んだ茶番ですよね?」

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