4‐17

 10メートルくらい後方に吹き飛ばされたが、津曲の身体がクッションになって、俺の衝撃は和らいだ。

 一方の津曲は、気を失っている。額から血が出ている。

「津曲!」と呼びかけたが、同時に、衝撃で助手席の扉が大きく開いている。

 まずは、桟原からだ。

 火勢はさらに増しているが、そんなこと関係ない。


「桟原さん!」俺は、ぐるぐる巻きの桟原を助手席から引っ張り出した。

 脚はちゃんとくっついている。擦り傷や切り傷はあるだろうが、大きな傷やひどい火傷はなさそうだ。


「た……、探偵さん?」桟原の意識が戻り、俺は安堵する。

「いま出します! ひもを解くのは後です!」

 あともう少しで担ぎ出して、安全なところに避難できる。そして、津曲の方をなんとかせねば、というときだった。


 4度目くらいの爆発が俺と桟原を襲う。

 俺は咄嗟に、桟原を身体でカバーしたが、俺のトップスに火が燃え移る。


 俺は気が動転したが、桟原と津曲をなんとかせねばならない。

 燃え移ったまま、俺は20メートルくらいダッシュし、さらには津曲を同じところまで避難させた。


 しかし、俺の身体の火は依然燃えたままだ。

 やばい、これでは俺が丸焦げになってしまう。そのとき、俺の全身は、泡に包まれた。


「大丈夫かい!?」

 男の声だ。泡でその姿は確認できないが、おそらく後ろを走っていたトラックか何かが、異変に気づき車を停めて、車載消火器で俺に燃え移った火を消してくれたのだろう。

「あ、ありがとうございます」と泡でしどろもどろになりながらも、感謝を伝えた。

 俺は、その場でへたり込みたい気分だったが、津曲が気になる。


「津曲!」

 俺は、泡にまみれ、ベトベトの身体で津曲の傷を確認する。

 後頭部から出血。しかし、ドクドク出ている感じではなさそうだ。俺のポケットにあるハンドタオルで、止血すると、津曲が目を覚ました。

「探偵さん……。すんません」

「謝るのはむしろ俺の方だ。とりあえず、安全なところに避難するぞ」

「サジコ……様は……?」

「生きてる!」


 あとは、桟原のぐるぐる巻きの紐を解きたい。

「待っとってな」と桟原に伝えた後、消化器をかけてくれた男性に「あ、すみませんが、彼の頭を止血してください」と言った。ん? よく見ると、見たことのある特徴的な顔。

「ギョートくん?」俺は少し驚いた。連絡がつかなかったのではなかったか。

「そうだけど、こっちは任せて、サジコ様を急いで!」

 首肯して、直ちにロープで縛られた桟原のもとに行こうとした瞬間。


 一人の男が奇声を上げて猛進してきた。見たことのない狂った形相をした市川。その手には金属の光沢が炎で赤く反射する。

「やばい!」俺は叫んだ。


 市川が先か、俺が先か。火傷と衝撃で満身創痍まんしんそういの身体を再び奮い立たせ、桟原のもとに駆け寄った。何とか守らねばならない。

 市川にタックルを仕掛けたいが、桟原を挟んで180°向こう側にいるので、それができない。


 俺は身体で桟原を包み込むことによって、凶刃からブロックするしかないと判断した。しかし、市川のナイフの切っ先が速い。

「桟原ぁ!」

 そのとき、桟原も渾身の力を振り絞って立ち上がり、俺のもとに飛び込んできた。俺はすぐに桟原をキャッチし、身体をひねる。同時に俺の右上腕に、穿刺痛が襲った。

 

「この野郎!」

 俺は、残された力をすべて使い切るように、市川の弁慶べんけいの泣き所めがけて思い切り蹴る。

「あんぎゃあ!」

 獣のような声を上げながら悶絶する市川。ナイフは俺の右腕に刺さったままだ。ナイフがないのを確認するやいなや、ギョートくんが市川に突進する。

「やっぱりあんたか。芸人仲間でも、市川マネージャーの不穏な行動が噂になってた!」

 そう言いながらタックルする。おどおどした芸風とは一転、鮮やかに決まり、市川は確保された。

「市川妙典を現行犯逮捕します!」

 ギョートくんは今でこそ芸人だが、元・海上保安官という経歴を持つ。普段、お茶の間に見せる頼りなさそうな芸風とは裏腹に、見事な確保劇だった。


 †


 ほどなくして、消防車、救急車、パトカーが近づく音がした。

 スープラは見事に黒焦げだった。おそらくギョートくん以外の全員が、まずは病院に運ばれることだろう。


「探偵さん。ありがとうな」

 ロープを解いて両手が自由になった桟原だったが、怪我と精神的なショックの影響か、足腰が立たない。

 俺は、ナイフが刺さったままの右腕で桟原を支えた。いま下手にナイフを抜くと出血を助長することが分かっているので、抜けないのだ。

「それより、桟原さんは、大丈夫なのか?」

「大丈夫に見えるんか。こんなん見て! あんたが、早う市川の正体暴いて、阻止しとれば、アタシがメッセ近くの高速で、市川あいつの腕に噛みつかへんでも良かったんやわ!」

「は? 事故は桟原さんのせ……?」

「どうせ、あのまま市川に拉致されても死んでたんは同じ。だったら、一か八かで懸けたんや。メッセ近くの高速道路で事故があれば、さすがに探偵さんでも気づくやろうと思うてな」

「……」

「生まれてはじめて、神頼みしたんやで。あの不器用な探偵さんが助けてくれはるようにな」

 桟原は柄にもなく涙を流した。

「でも、結局アタシに怪我を負わせてもうたんや。命は助かったけど、心の傷は負った。契約不履行や。探偵さん、罰として……」

「罰?」この期に及んで、こんな満身創痍の状態で、まだこんな戯言ざれごとを言うか、と心の中で毒づいた……が。


「罰として……、¢£%#&□△◆■」

 桟原の声は小さくて聞き取れず、そのまま力尽きたかのように瞳を閉じてしまった。


 

 俺、桟原、津曲、そして犯人の市川は救急車で病院に運ばれた。幸い、全員意識があるというが、念のため、数日間の入院を余儀なくされる。

 皮膚科と脳神経外科と整形外科との混合病棟らしい。津曲も仲良く(?)同じ部屋の隣りにいる。桟原は、それなりに煙も吸引しているかもしれないということで、大事を取って一晩だけICUに移されたと聞いたが、その後は同じ病棟に転棟となったらしい。点滴棒を引いて歩いていたら、噂を聞きつけたと思われる芸能リポーターらしき人物が、面会を試みようとして、ナースに謝絶されていた。

 一方、市川はすでに逮捕に充分値する罪だが、負傷しているので身柄を確保し警察の監視下において入院し、怪我が改善すれば逮捕となると思われる。

 この高速道路で起きた、車の炎上事故、もとい事件は、ニュースやネット記事、雑誌などを大きく賑わせた。トップアイドルがグループを卒業した当日に、マネージャーに誘拐され、その道中で車が炎上し、救助者の中に売れっ子芸人がいる。なかなか聞かないニュースだ。芸能に疎い俺でも断言できる。

 

「津曲さん、我妻さん」

 入院2日目の夕方、ナースの1人に呼び出された。「桟原さんが呼んでます。451号の部屋に来てもらえますか?」


 さすがはアイドル。小生意気なことに、助けた側の俺らを呼びつけてくるとは、と思ったりもしたが、大部屋の男部屋にトップアイドルが入ることはできないし、かと言って談話スペースで話すとなると騒動になる。

 そして予想されたとおり451は個室。それは別に良いのだが、その部屋の前に来て、書かれている名前を見て目をひん剥いた。


 『我妻優』と書かれていた。


「どうぞ、お入りください」とナースに促されたので、俺らは桟原の個室に入る。

「ちょっと? どーゆーことですか? 名前違うじゃないですか?」開口一番俺は言った。

「何や、トップアイドルが入院してるってのに、体調気遣う言葉も言えへんねんか?」と桟原は言うが、顔は笑っている。

「我妻優って何です?」

「病棟で、桟原優歌とは名乗れへんやろ?」

 そっか、と合点がいきつつも、我妻はどういうことか。

「あんとき言ったやろ? 罰だって」

「罰??」何のことか分からないが、ひょっとして、あの聞き取れなかった発言のことか。

「罰として、責任取ってアタシをめとり、死ぬまでアタシを守るため、心を尽くすこと……、って言ったはずやで。聞いとらんかったん?」

「……はぁ!?」

「ま、マジっすか! おめでとうっす! 探偵さん!」

「ちょ、ちょっと待て! 落ち着け!」そう言いながら、明らかに俺がいちばん落ち着いていなかった。

「つまりな、この我妻優ってのは、いまは通称やけど、将来の本名なんや」


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