4‐15

 津曲から問われた都賀は、虚ろな目のまま、口を開けた。

「ツマちゃん、僕は今日で親衛隊を外れるよ」

「はっ!? どうしてっすか? その前に何でここにいるんですか?」

 津曲は信じられない、と言った顔で、都賀に詰め寄る。

「隣りにいるの、探偵さんだよね? 僕がサジコ殿下に手を出したことしっかり見てるんだよ?」

 桟原の敬称はいろいろあるみたいだが、それをいちいち指摘できるような雰囲気ではなかった。

「ど、どういうことっすか?」

 津曲は状況を掴めていない。いや、掴みかけているのだが、頭の片隅で認めたくないのかもしれない。

「僕は、ずっとここ最近、サジコ殿下にストーカー行為を働いてた。そしてついに昨日の夜、理性が抑えきれず、襲ってしまった……」

「ま、まじっすか? 市川さんから、マンション付近をつきまとっている男がいると聞いていたけど」

「それは僕なんだ。今日、ここにいるのも、サジコ殿下に会いたくて……」

「サジコ様なら、さっきライブで会ったじゃないですか? でも出待ちにはいなかった」

「二人きりで会いたかったんだよ。仮に襲ったとしても。ツマちゃんは、探偵さんとストーカーを調査しに来たんだろう? さあ、俺を通報してくれ」

 都賀は、うつむきながら拳を握る。


 10秒ほどの沈黙。しかし、俺にはどうも腑に落ちない点があった。沈黙を破ったのは俺自身だ。

「都賀登戸さんですね、単刀直入に伺います。あなたは誰かに指示されてここにいるんですか? 昨日の夜の行動も?」

 つとめて冷静に聞いた。

「いいえ、僕自身の意志です。殿下を僕のものにしたくて……」

 都賀は目をぎゅっと強く閉じながら言った。何かの未練を振り払うかのごとく。

「本当にそうなんですか? 俺、信じられないっすよ。いちばん、グループのこともメンバーのことも、大切にしてきたノブトさんが」

 津曲が悔しそうに言う。


 ここに来て、都賀の発言は嘘だと思い始めていた。他のファン、そして桟原本人による都賀の評判もしかりだが、どうもその言葉に信憑性がないのだ。

「もし、あなたが本当に自分の意志だけでここにいるのなら、いくつか質問に答えてもらっていいですか?」

「え?」

「津曲さんと違って、私はあなたのことをよく知らないが、でもどうもあなたが自分の意志だけでここにいることが信じられないうちの1人なんですよ、私も」

「どういうことですか?」


「まず、疑問なのは、昨日の夜、あなたが彼女を襲撃して、私にその顔を見られた。私は昨日の朝から夜まで、彼女に付きっきりだから、ストーカーを調査している探偵だってことくらい、あなたなら容易に想像できるはず。そうであれば、当然、今夜もその探偵はそのストーカーを調査するために、家の前で張っていると思うはず。だったら、普通今日は襲撃を諦めるはずだ。それでもなお、ここにいるのは何故? 自ら捕まることを望んでいるかのようです」

「そ、それは……、そんなこと考えるよりも前に、理性を抑えられなかったんです。特に今日で、卒業するんですから」

「そうですか。でもちょっとにわかに信じられないですね。だって、彼女は芸能活動を辞めるわけじゃない。ソロデビューもしてるそうじゃないですか? 会おうと思えばチャンスは今後もある」

「……」都賀は押し黙っている。

「それに、何であなたは、彼女のマンションがここだってことを知ってるんですか?」

「か、簡単です。ストーカーですから」そう答えるが、口調にはまるで覇気がない。

「いや、聞くところによれば、ここはまだ引っ越して1ヶ月もたたないらしいですね。だから、素人考えですが、いくら熱烈なファンでもそう簡単に割れる情報じゃないと思うんですよ。きっと誰かに教えてもらった。そう仮定すると、自ずと一つの可能性にたどり着くんですよ……」

「もしかして──」津曲の目が見開く。

「そう、市川さんに言われて、ここにいるんですよね?」

 俺はとうとうその言葉を言った。実は途中から感じ始めていた可能性であったが、どこかでそうであることを否定していた。言い換えれば、そうではないことを望んでいた。


「……いいえ、ち、違います」

 しかし、少し空いた沈黙と、歯切れの悪さが、暗にそれが嘘であることをほのめかしていた。

「じゃあ、何で、のこのこと私たちの前に現れたんですか? 本当にあなたが自分の意志でストーカーをやっていたのなら、私だったら探偵を見た時点で逃げるか隠れるかしますね」

「……」

「誰かの指示じゃないと説明がつかないんです。そしてそれが市川マネージャーさん以外あり得ない」

「……」やはり都賀は押し黙っている。

「教えてください。ノブトさん」

 10秒ほどの沈黙を破り、都賀は言った。

「観念します。あなたの仰ったとおりです」

 津曲は、都賀が白状したあとも、信じられない様子で突っ立っていた。

「何で、マネージャーさんがノブトさんにそんなことを? 何のために?」

「先に言いますと、マネージャーさんが僕にストーカーをやらせることでどんなメリットがあるかは分かりません。でも、僕は従わざるを得なかった」

「何で従わざるを得なかったんです?」

「市川と僕は、簡単に言うと親戚なんですよ」

「親戚? 本当なんすか!?」驚いたのは津曲だ。

「はい。僕の父親の姉が、市川妙典ただふみの母親なんです。僕の父は、地元西船橋にしふなばしの小さな居酒屋やってるような平凡な親ですが、市川の母親は女優なんです。都賀つが江見えみって聞いたことないです?」

 俺でも知っている名前だ。もう60歳代になっていることだろうが、ちょっと前はよくドラマや映画に出演していた。テレビに疎い俺だって知っている。最初に市川に会ったとき、誰かに似ているなと思ったが、都賀江見だ。端正なルックスは、母親譲りなのだろう。

「実は妙典は、母親と同じように俳優の道を目指してたんです。でも、ある理由で、役者の道を目指せなくなった。でも元来親の影響もあって交友関係の広い人間だから、マネージャーの道として、当時たまたまマネージャーが不在になって、新しい人を探していたサジコ殿下のマネージャーとなった」

 桟原はファンには優しいが、おそらく仕事にはストイックな性格なのだろう。加えて気性が荒いから、マネージャーにも辛く当たっていたのかもしれない。ゆえに、マネージャーは代わる代わる就いては辞めての繰り返しだったのだろう。そして、現在の市川に至っていると推察される。


「僕は、デビュー当時からING78メンバー全員を応援してきました。それが、偶然、市川がサジコ殿下のマネージャーになったことで、市川が僕に近づいてきたんです。チケットのSS席を格安で譲ってくれたり、特別に楽屋に入れさせてもらってメンバーに会わせてくれたり。僕はずいぶんと気前がいいなと思いながらもそれに甘えました。あと、父の居酒屋が『コロナ禍』の経営難で傾きかけたときも、市川、いや都賀江見の援助でなんとか持ち直しました。そういう恩もあったりして、市川とは仲はんです」

「良かった、ということはいまは違うんでしょうか?」

「僕はいまでも対等の関係で付き合いたかったんですが、あるときから急に僕を支配関係に置くようになりました」

 いかにもありそうな話だ。結局お金がある人間が強くなる。


「ちなみに、市川さんは、何ていう名前で活動してたんだ?」

「『都賀ただふみ』です。母親の旧姓で活動してました」

 すぐに私はスマホで調べることにした。

「『都賀ただふみ』で検索したら『婦女暴行』って出てきたぞ」

 都賀登戸は黙っている。

「ひょっとして、市川さんはノブトさんをストーカーに仕立てて、探偵さんにそのように認識させて、サジコ様を狙ってるんじゃ……」津曲が言うと、「あ、電話っす」と言って、受話ボタンをタップした。

 電話の相手は誰か分からない。しかし、見る見るうちにその顔が青ざめていくのが分かった。

「どうした? 誰なんだ?」

「久嗣さんからです。千葉駅前で張ってたけど、サジコ様の姿は見当たらなかった。サジコ様以外のメンバーがバスから降りてきたからおかしいなと思っていたら、どこかでサジコ様が抵抗する声が聞こえた、と」

「え!? まじか!?」

「久嗣さんが言うには、どこかに連れ去られたかもしれない、と」

 泰平ボケしていた心臓が急にドクンと早鐘を打つ。そして、津曲は続けた。

「サジコ様は。どこかに連れ去られた可能性もあるとのことです」

 いちばん想定しておきたくなかったことが、目の前で起こってしまっている。



「津曲さん、桟原さんが拉致されるとしたら、どこだ!?」

 俺は焦りながら言った。

「分かんないっすよ。サジコ様が拉致されたことなんて、いままでなかったっすから」

 そりゃそうだと思いながらも、俺は気が気でない。

「でも、何か推理できんか。最前線で、ファンとして桟原さんを支えてきた身として」

「何もヒントがなきゃ無理です。探偵さんこそヒントはないんですか?」

 逆に問いかけられてしまった。俺にはぶっちゃけ、その推理の材料となる情報がなかった。相手はアイドル。言われたことを淡々とこなすのみで、自分から積極的に情報を追い求めようとしなかったかもしれない。つまりはすべて受け身だったのだ。

「残念ながらない……」

「探偵さんは、サジコ様のこと、どう思っていらっしゃるんです?」

 思ってなんて、津曲にしては聞き慣れない尊敬語を使ってきた。どちらかというと、俺を軽視するような発言が多かった中、何の風の吹き回しだろうか。

「俺にとっては依頼人──」

「聞き方を変えます!」言下に津曲は言い直した。「サジコ様のために命、張れますか?」

「な?」

「張れないんですか!?」津曲は語気を強める。

「何でそんなことを言う」

「探偵さんなのに、色恋に鈍そうなので、単刀直入に言います。サジコ様は、探偵さんに気があるんですよ」

「え!?」俺は少しの間、言葉を失った。

「長年のファンなら分かる。探偵を雇うというのは、自分のプライベートを晒すということ。もともとアイドルとしてファンサービスはピカイチだけど、反面、プライベートなことはいっさい口にしてなくてベールに包んでいたんです。そんなサジコ様が探偵を雇うことなんて、裸を見せる行為に等しい」

 俺には理解できず押し黙っていた。探偵だからたまたまプライベートを知る立場になり得ただけの話であって、俺が探偵じゃなかったら、知ることはなかっただろう。因果関係が逆転しているようだが、ファンの見解は違うというのか。

「探偵さんが、サジコ様のことを大切に思ってるなら、どうか命懸けてください。そうであれば、俺らも命懸けて守りに行きます」

 そのときの津曲の目は、輝いていた。オタク全開でお世辞にもルックスは良いとは言えないが、そのときだけは間違いなく男前だった。

「──上等だよ。命の1つや2つ、あの小生意気なアイドルに捧げてやるよ」

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