4‐13

「えぇええええ!!?」

「嘘でしょー! 嘘だと言ってくれ! サジコ様ぁ!!」

 幕張メッセ全体がうねり出すようなどよめきに包まれ、客席の方々から突然の卒業発表を受け入れられない声が上がっている。

 それは、この会場内でいちばんファン歴が浅い俺ですら、卒業を惜しんでいるのだ。古参のファンであればあるほど、驚きと悲しみは深いだろう。


「私は、ずっとファンの皆さんに支えられて、神セブンという恵まれたところでパフォーマンスができました。でも、私が長くいればいるほど、後輩のメンバーのチャンスが奪われていくとも感じています。いまこそが、この座を譲るときでないかと思いました。芸能活動は今後も続けていきたいと思いますが、これまで私を育ててくれたING78のメンバー、ファンのみんな、それからスタッフの方々に感謝しながら、今日をもって卒業をさせていただきます!」


「いままでING78をありがとう!」

「俺は、サジコ様をこれからも応援し続けるよ!」

「サジコさんの考えを支持します!」

「サジコー! 愛してる! 俺と結婚してくれぇ!」

 一部大それた声援もあったが、桟原の発言を支持する声が見られ始めた。そして「サジコ! サジコ!」と『サジココール』が鳴り響く。


 卒業発表後は、ともにチームを最前線で牽引してきた戦友桜岡から、花束贈呈がなされた。そして、ラストに、桜岡とダブルセンターを務める楽曲『DOUBLE U』を歌う。

 最後は大団円でライブが終了する。ライブ中に何か起こるのではないかという心配は、杞憂きゆうに終わり、これといったトラブルはなく安堵する。




 お世辞抜きで良かった。それが率直な感想である。鳥肌が立ったまま治まらない。

 これが仕事でなくて、普通に客として来れたら、もっと最高だろう。もっとも、無料で観させてもらっているのは役得やくとくだが、普通にお金を払って観に行きたいと思わされるくらいの、良い意味での意外性があった。

「良かったっしょ? 我妻探偵さん」

 胸の内を見透かすように、にやにやしながら津曲は問う。

 黙って首肯する。素直に最高だったと言えない、自他ともに認める照れ屋な性格である。だんまりが、最大の肯定であることが津曲に伝わっただろうか。


 残念ながら余韻には浸っていられない。依頼を遂行している最中だ。このあと、ファンが出待ちする場所に向かわねばならない。

 一言、ありがとうと感謝の言葉を伝えて、津曲のもとを去ろうとすると、

「これからどこへ?」と呼び止められた。

「出待ちとやらがあるんだろう?」

「ありますよ。ING78のメンバーはで有名っすから、暗黙の恒例行事となってます」

「君もそれに行くのか?」

「もちろんです」


 出待ちの場は、幕張メッセ裏口の関係者用出入り口だが、もはや多くのファンが殺到している。

「運がいいと握手やサインもOKしてもらえるんすよ」

「そうなのか?」

 俺は驚いた。そこまでしてくれるものなのか。しかし、桟原が襲われている以上、あまり望ましい状況ではない。もし、彼女の身に何かあったら……。

「ライブで通常ここまで対応してくれるアーティストは多くないっすね。出待ちすら許可しない人もいます。でも、ING78が神対応してくれるのは、俺はひとえにノブトさんのおかげだと思ってます。行き過ぎた行動をとろうとするファンを、必死に制していました。ノブトさんも出待ちを楽しみにしてたのに、安全に握手できるように、自分は握手せずにファンに整列するように求めたりしてた。本来ならスタッフ側がやるべきことを彼がやってましたね。最初はそれこそ、偉そうに仕切るなと、心無いファンから罵声ばせいを浴びたりしたみたいですけど、彼はめげなかった。本当に彼は世話焼きでお人好しで、ING78を大事にしてるんすよ」そう言うと、出待ちの列の方を見やった。「あ、今回もノブトさんがいますね」


 都賀登戸がいると聞いて思わず身構えたが、出待ちのファンたちに、出待ちの心得を説いているようだ。決して偉そうな態度を取っているわけではなく、今後も神対応をしてくれるように、協力をしてくださいという感じで頭を下げている。そして、都賀を知っているファンにとっては周知のことなのか、誰も批判していない。こうやって、長年のファンから情報を得てみて、さらにはこうやって実際に他のファンに頭を下げているところをの当たりにして、昨日の夜の襲撃犯は本当に都賀だったのかと疑いたくなった。しかし、桟原がそうだと言ったのだから、都賀で間違いないのだろう。だから桟原自身が、まさかという気持ちでいちばん信じられないのかもしれない。


 しかし、驚いたことに、ひとしきり心得を説いて、いよいよメンバーのお出まし──、となるや否や、都賀はその場から立ち去った。

「あれ?」と言ったのは津曲だ。「ノブトさん?」驚いているのは俺だけではないようだ。

 それでも振り向くこともなく、逃げ去るように列を離れていった。なお、俺の存在に気づいている様子はない。


 まさか、これから自分だけは別の場所に待機するのだろうか。そこで、桟原を襲撃──? どうしても昨夜のことが頭から離れず、そんな嫌な予感が頭をよぎる。追いかけなきゃ。でも桟原がバスに乗るところまでは見届けなければ……。

 そうだ、メンバーらが乗り込みそうなバスは、出待ちゾーンからほど近い。都賀は既にはるかか向こうに行ってしまっている。まるで帰ってしまうかのように。

 ひょっとして、千葉駅前のホテルに移動する気か。でも、ホテルに泊まるわけではなく、解散して市川の車に乗り換えて、新浦安の自宅に送るのだ。

 ノブトはバスが千葉駅に向かうことは知っているのだろうか。いや、他言無用の情報だと言っていたから、知らないと考えるほうが妥当か。

 でも、幕張メッセでライブをした後は泊まらず自宅に戻る、ということを知っているのなら、自宅マンション前で待機する可能性がある。では、やはり市川の言いつけどおり、俺は新浦安に直行した方が良さそうだ。



 メンバーたちが出てきた。アイドルは30名、出待ちのファンは300名くらいいるか。先程ノンストップで歌って踊っていたはずのアイドルたちは、出待ちのファンたちの興奮に揉まれながらも、握手やサインなどに一生懸命に対応しているようだ。

 しかし、これだけ人が多いと、当のアイドルが見えない。アイドルの多くは華奢な体型で、ここにいるファンの多くは男性なので、すっぽりと隠れてしまう。桟原はどこにいるのか。そもそもここにいるのか。ストーカー候補筆頭の都賀がここにいないとは言え、こんな状況では、彼女が狙われても守れない。

 しかしよく見ると、ファンの人垣にも濃淡があることが分かる。つまり、人気のメンバーにはそれだけ多くの人が群がる。桟原は『神セブン』で『ツートップ』。しかも、電撃の卒業発表もしたのだから、ある意味主役だ。いちばん人が群がっているところに桟原あり。そう睨んで、俺は、その人垣に分け入ろうとした。しかし──。 

「こら、押すな」

「順番守れよ!」

などと、怒られてしまった。ただ、桟原がそこにいることは分かった。「サジコ様」というフレーズが聞こえたからだ。

「ああ、やっぱりこの場にノブトさんがいないと、ぐちゃぐちゃだな」

「何で、どっか行っちゃったんだ? ファンのかがみなのに」

「INGの神対応はノブトさんのおかげなのにな」

 そんな声まで聞かれた。都賀登戸の存在は、津曲に限らず、古参のファンには崇められているようだ。



 結局、桟原を守るところか、近づくことすらできなかったが、出待ち中に襲われることはなく、無事にバスに乗り込むことができたようだ。

 ただ、ストーカーがここにいないという証拠にはならない。人が多すぎて襲わなかっただけかもしれない。


 取りあえず、この後は、千葉駅前のホテルでまで行って、そこで解散。桟原は市川が自宅マンションまで送っていくとのことだ。マンションでストーカーがいるかもしれないからそこで張っているように、と。


 しかし、改めて思う。何で、依頼期間が2日間だけなのか。何で、その2日間にストーカーが現れると思ったのか。


 現に初日に桟原は襲われている。ということは、ここ毎日のように都賀がマンションの周りをうろちょろして機会を伺っていたのだろうか。


 となると、すぐ別の疑問が浮上する。

 毎日ストーカーが現れているのなら、依頼に来たその日から調査させるのが普通ではないか。なのに、実際は1週間ほどのインターバルを空けている。加えて、2日間限定というのも不可解だ。ING78を卒業するからか。否、卒業したって、芸能界を辞めるわけではないし、ストーカーがすぐにストーキングしなくなるとは考えにくい。


 この調査は、どこかで仕組まれているのではないか。ふとそんな可能性が頭をよぎる。誰が、何のためにかはさっぱり分からない。でも何か裏があるような気がしてならなくなった。

 そして、もしそれが本当だったら、きっとこのままでは終わらない。今夜何かが起こる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る