4‐7
「今日は、麻布十番のオーベルジュ麻布鼬坂さんから、鳳凰ビールにぴったりの素敵なグルメいただきました! 皆様も是非、ビールのお供に素敵なお料理はいかがでしょうか。では皆様、来週もお楽しみに!」
グルメレポートは、桟原の突然の提案により、お笑い芸人のゲストが入った異様なシチュエーションでスタートしたが、桟原のレポート力、そして、
これで、お開きになるかと思いきや、マネージャーの市川が店員さんと交渉している。どんな交渉かわからないが、カメラも照明も音声も帰る様子がない。
突然、ギョートくんが居住まいを正して、桟原に向き直した。
「きょ、きょ、今日は本当にありがとうございました」
「なに? 突然かしこまっちゃって」
文字にしただけでは分からないが、桟原は極めて柔和な表情でギョートくんに返す。
「う、嬉しかったんです。お、俺、サジコさんの大ファンなんですが、でも、おおお俺なんかが、す、好きになる資格あるのかと思い悩んでいて、でも、どうしても、ああ諦めきれなくて、そそその、サジコさんがア、アイドルっていう立場も忘れてしまって、デ、デートに誘ってしまって」
「デートに誘ったことを悪いと思ってるの?」
「は、はい。俺なんかがささ誘っていいのかと」
「デートに誘う権利は誰だってある。逆に、アタシらが、デートを受け付けないような高慢ちきな集団なら、アイドルになって、やれ恋愛は素敵、やれ恋愛は自由なんて歌を歌って、ファンのみんなの共感を得る資格なんてないですよ。ギョートくんはどう思う?」
「は、はい。あ、そう思っていただいて嬉しいです」
「そうじゃなくて、ギョートくんはどう思ってるの?」
「え?」
「あなたの気持ちを聞かせてよ」
「え?」
これはプライベートなのか、収録の延長なのか、第三者の俺にはよく分からない。ちなみに、市川の姿もいつの間に見えなくなってしまった。
「ぼ、僕は、そ、そのサジコさんのことはデビュー当時から応援してました。サジコさんが輝いている姿を見て、すすすす、少しでもお近づきになりたくて、げ、芸人になったと言っても嘘じゃありません。そして、近づいてみて、ますますファンになりました。でも、その反面、俺みたいな、キョキョ、キョドってるモヒカン芸人とは違う世界で生きてるなっていうことを、み、見せつけられました」
「なにそれ? 答えになってるの? 分かんないですよ」
「……」ギョートくんは押し黙っている。
「アタシは嬉しかったよ。アイドルって立場関係なく、いち人間として、応援している人がいて、アタシという人間を見てくれている人がいる。あとはギョートくんの気持ちが知りたいだけ」
笑顔で話しかける桟原と裏腹に、その周囲は、ますます、不穏な雰囲気になっている。
「す、好きです。サジコさんのことがずっと好きでした」
堰を切ったように、ギョートくんは言う。そして、空調が効いているはずなのに、彼の頭頂部や額には遠目でも分かるくらい汗が噴出していた。
「まっすぐ気持ちを伝えてくれる人、アタシも好──」
「あーーーー!!! ダメです! サジコさんは。みみ、みんなのアイドルなんです。ぼ、僕がっ、アイドルって立場を壊しちゃいけないんです!」
「なぁに? それ? ギョートくん、お酒足りないんじゃない?」
いま、確かに桟原は、ギョートくんの好きな気持ちに応えようとした。でも、それを言い終わらないうちに、ギョートくんが制した。汗は、前頭部から頭頂部を経て後頭部まで、
「す、すみません。鳳凰ビールを失礼しますっ!」
言われるがままにギョートくんはお酒をグビリと飲んだ。対する桟原は、グルメレポートでビールを何杯か飲んでいるはずなのに、まったく
女性に対して苦手意識がある俺には縁のない場所だが、勝手ながら桟原がキャバクラなど水商売を始めたら、瞬く間にトップに君臨するだろう。見る者を
それから10分くらいして、ギョートくんは明らかに顔が茹でダコのように赤くなっている。酒に強くないのだろう。
「大丈夫。そろそろお
「は、はい。すみません。不甲斐ない姿ばかり見せてしまって」
「ごめんねぇ。アタシ、お酒が顔に出ないタイプだから。でもこれでも結構酔ってるんだよ?」
それは本当なのかリップサービスなのか。心の中で、俺は後者に一票入れる。
会計を済ませ、2人が店を出ると、ギョートくんはスロープによろめいた。
「大丈夫?」
桟原はギョートくんに手を差し出し引き上げると、何と引き上げた勢いでギョートくんが桟原を押し倒さんとしていた。危ないと思ったが、桟原の背中には店の外壁があり、俗に言う『壁ドン』の形で、2人の顔は最接近している。通常なら、ギョートくんは慌てて謝りながら、接近した身体を引き剥がそうとするはずだが、そうせず、むしろ勢い任せでそのまま抱擁しそうな所作に移っている。
やばい、と俺は思った。ストーカーの正体はギョートくんかもしれない。市川もテレビ局スタッフらしき人物もいなくなった今、店の中からその姿がバッチリ見えてしまった俺は、津曲を差し置いて、
店の扉を飛び出る。
「さ、さじき……」と、彼女の呼ぼうとしたした瞬間。桟原は、ギョートくんの両肩に手を置き、引き剥がしてあっけらかんとして言った。「分かってるよ。これ全部ドッキリでしょ?」
「え?」
俺はその場で、身体が停止してしまった。
「じゃーん! ドッキリ作戦、失敗でした! さすがサジコ様、お見事!」
どこからともなく現れた、ドッキリ番組のMC芸人としてもお馴染み、
「き、気づいてたんですか?」
俺も大いに驚いているが、いちばん驚いているのはギョートくんだった。
「ええ。気づいてました。だってプライベートなら、私が好きって言うところで、『あー!』なんて言わないでしょ? あれはきっとカメラで収録されていて、爆弾発言をさせないようにスタッフから指令が出てたんだと思うんですよ」
「まさか、それを読んだ上で、あの発言を?」南野も目を見開いている。
「まあね。ギョートくんには悪いと思ったんだけど」
桟原はドッキリ仕掛け人に対して、逆に仕掛けたのだ。しかし疑問もある。
「でも、よ、よく僕の、デートの誘いに乗ってくれましたね?」ギョートくんが問うた。
「実はね、本っ当に申し訳ないんだけど、あの時点で、ドッキリかもしれないって思ったんだ」
「えええ!? あんな序盤で!?」ギョートくんはいままでにないほど目を丸くしている。
「だってさ、どう考えてもおかしいですよ。これから収録の人間にデートを仕掛けるなんて」
「は、はい。僕が見事にサジコさんに断られるシナリオになっていたんです」ギョートくんは頭をかきながら言う。
「きっと、アタシの本性を暴こうみたいな企画かなと思って、じゃあデートに乗ってみよう、と咄嗟に企画したんです」
「いや、やられましたねー。ニセ企画ではなくて本物のグルメ企画を使って、サジコ様の素顔を拝もうとしたんですが。彼女のほうが
南野はちょっと残念そうな顔をしながら、しかしカメラの前では笑顔を絶やさず、MCらしく現場をまとめようとする。そして、ギョートくんやカメラマンらとともに退散しようとしたところで、桟原は引き留めた。
「1つ聞いていいですか?」先程まで笑顔で柔和だった桟原の顔つきが神妙なものになる。
「はい」
「アタシの素顔、そんなに興味あります?」
「ええ。実は視聴者からのリクエストも多いんです。サジコ様の素顔が見たいって」
「アタシの本性知ったらドン引きしますよ。百年の恋も冷めると思いますよ」
「それはそれで、ファンには
「はい、ここに私の素顔を観たことがある人が1人……」そう言って桟原は俺の方を見る。「ねえ、探偵さん?」
カメラ、照明、マイクがいっぺんに俺の方を向く。眩しさと困惑で、俺は顔を背けた。心の中では、何てことを言ってくれる、と桟原に激昂しているが、声には出さなかった。
「どういう関係ですか!? 探偵さんってどういうことですか!?」南野は俺に質問をし始める。
「いや、人違いです。私は通りすがりでして!」
俺は、命からがら、その場を脱出した。
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