4‐6
急いで近づいてみると、やはりその男の正体は、剃り込みピーナッツの『ギョートくん』こと、中山行徳だった。
ギョートくんは、桟原の前に
「いや、悪いけど、いまからまだ仕事あるんですよ」
「でも、そこを何とか! 今日お願いしたいんです!」
事情は分からないが、仕事だと言っている相手に、まだ食らいつこうとするとは、いくらなんでも無茶ではなかろうか。それとも、仕事はデートを断るためについた嘘だと思っているのだろうか。
しかし、隣に市川マネージャーがいる。
「ギョートさん、本当にこれから収録なんです。遅れてしまうので、これで」
市川はそっけなく言う。
すると、ギョートくんは思わず目を見張る行動に出る。
「そ、そんな! 命懸けるほど勇気出したのに、そんな! そんなー!! おーい、おいおいおい……!!」
ひらがなにすると分かりにくいが、公衆の面前にもかかわらず、号泣したのだ。
「な、何だあれ?」
俺はたまげてしまったが、桟原も市川もキュウジも津曲も驚く様子はない。
「いいんです。ギョートくんは特別です」と、津曲は言う。
意味が分からない。ギョートくんは四天王の一人だが、彼の起こした行動になぜ寛容になれるのか俺には分からない。
そして、さらに驚くべき言葉が耳に入った。
「いいよ、アタシ、あなたとデートしたげる!」
「桟原! 何てことを言う!? 本気か!? いまから収録だぞ」
桟原の爆弾発言に対し、すぐに市川が突っかかった。
市川からしてみれば、アイドルが男とデートするという発言は禁句なのだろう。しかも、大切な収録をほっぽり出しているのだから当然だ。
「アタシはいつも本気だよ。なあに、ちょうどいまからグルメレポートでしょう? ギョートくんにも出演してもらったらいいじゃない? 別にアタシだけでレポートしなきゃいかん理由はないと思うよ?」
「え? 収録って本当なんすか?」ギョートくん自身も突然の提案に戸惑っている。
「あなた、追っかけ四天王の1人なら、そのくらい知っといてよ? ファン失格だよ? それとも最近人気が出すぎて、それどころじゃないか?」
桟原は笑顔だが、一方の市川は対応に追われている。
「あ、あの、桟原の提案で、『
†
麻布十番駅付近の『オーベルジュ
路地に入ってひっそりとしているが、麻布十番のせいか、格式の高さを感じさせる。
どうも市川の様子を見ると、桟原の提案であるギョートくんをグルメレポートに随伴させるという企画が通ったようだ。どういう理由か分からない。
ギョートくんは、モヒカンヘアーなのに、目は泳いでいて、芸人でなかったら明らかに不審者然としている。どう考えても、高級フレンチに不釣り合いだ。
「ギョートくんがサジコ様のファンなのは、周知の事実です。そして、人前でもおいおい泣くくらい情緒不安定な芸風です。大好きな人と慣れないフレンチで会食して、しかもグルメレポもする。お茶の間にとってはこれほど面白い企画はないですよ」と津曲は分析した。さらに、「さすがサジコ様です」と付け加える。
今回の収録で、俺は店の外で張っているつもりでいたが、四天王のうち3人がすぐそばにいるという状況で、市川の指示はない。
「俺らも店に入りましょうか?」
津曲の突然の提案に俺はたじろいだ。提案に乗るべきか否か、
数秒の黙考のあと、乗ることにした。冷静に考えて、四天王のうち3人がこの場にいて、しかも少なくともうち2人が、桟原と同じ店に入ろうとしている。そして、残るキュウジも店に入るのではなかろうか。依頼の内容は、桟原のストーカーを調査すること。ならば、店に入るのが自然ではないか。
あともう1つ
「分かった」と言いつつ、疑問をぶつけてみた。「でも何で俺を誘うんだ?」
「ファンは、『
†
津曲の情報によると、彼女のグルメレポートでは、あえて店を貸し切りにすることを求めないらしい。理由は、たまたま居合わせた客も偶然の出会いだから大切にしたいということ、お店のガヤガヤした喧騒もまた雰囲気の演出になること、グルメレポートと言えど、貸し切りにした分、収益を減らすようなことはしたくないということ、だそうだ。
「クールに見えて、こういう人情味溢れるところも、サジコ様の魅力なんすよ」
へー、そうなんだ、と気のない返事をする。依頼のときに見せた激情的な性格からは想像もつかない。アイドルだから、ファンありきで成り立つ商売なのは分かるが、先入観かも知れないが、トップアイドルともなれば、多少なりとも横柄な態度も取ることはあろう。しかし、津曲の情報が本当なら、意外と言っては失礼だが、桟原はファン目線、一般人目線で気配りをしているといえよう。
店の中は案外広く、そして、津曲の情報通り、たまたま来ていた一般客もいた。しかも金曜日の夜だから賑わっている。
突然、トップアイドルと売り出し中のお笑い芸人が来て、しかもカメラ、音声、照明など、いかにもテレビ局関係者と分かる人間が入ってきて、店内は騒然としているのが分かる。
「俺らも入りますよ」
言われるがままについていく、店員はもたついていることが分かる。収録だと言うだけでお祭り騒ぎなのに、突如予定になかった芸人まで随伴してきたのだ。俺だったら、店員に気遣って店に入るのを躊躇してしまうが、津曲の行動力は感心した。ある意味、見習いたいくらいの行動力だ。
「あ、いま、ちょっと立て込んでいまして」
「どれくらい待ちます?」
「1時間くらい……ですかね」
店員は、我々に少し待つように指示したが、店内は賑わっていると言え、空席も見られる。
「あ、私達に気を遣っていらっしゃるなら、無用ですよ。店が賑やかな方が、私も好きですし、いいレポートができると思うんですよ」
桟原は、標準語で店員に優しく促した。
「いいんですか?」
「私達は、お店の魅力を紹介するんです。紹介する人間が、お客さんを拒否しては、本末転倒ですよね。ねえ、ギョートくん?」
「は、はあ、ぼぼ、僕も、そ、そ、そ、そう思います」
桟原は笑顔で店員を諭すと、偶然俺と目が合った。俺に気づいたのか、ウインクした。俺がストーカー候補の津曲と一緒にいることを変に思わないのだろうか。
店の片隅の一角は取材で、空けられているが、それ以外は、カメラに映らない範囲で客が埋まっている。そして、俺らは、桟原とギョートくんを視認できる位置に座すことができた。
そして、俺の座っている場所から2つほどテーブルが離れたところに、キュウジがいた。やはりしっかり追いかけている。
「さあ、始まりました! 今夜お邪魔しているのは、『オーベルジュ麻布鼬坂』さんです! 麻布十番の一等地に
「ぎょ、ぎょ、ギョートくんです! こんなモヒカンですんません。でも、が、頑張って、は、はじめてのグルメレポート、やらせていただきますっ」
過度に緊張しているのか、もともとこういう芸風なのか分からないが、非常に
「ギョートくん、頼みますよ! では、今夜の『サジコの
「はーい、オッケー!」
オープニングと思われる1カットが終わった。
横板に雨垂れのギョートくんと正反対の、立て板に水の桟原のよどみない弁舌。人前で話す機会がほぼない俺にとっては、到底できない芸当だと思った。
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