4‐5

 テレビ業界のことはよく分からない。普通の感覚だとこの後、ミーティングとか打ち上げとかあるのかと思ったが、そんなことはないのか。

 しかも別番組の収録だという。トップアイドルだと、こうも多忙だというのか。

 俺はよく分からないままに、しかし依頼なのでついていくことにする。


「実はこれからグルメリポートがあるんです」

「グルメリポート?」

「はい。5分くらいの番組なんですけど、毎週『鳳凰ほうおうビール』の協賛で、ビールに合う看板メニューのある店を紹介するやつです。観たことないですか」

 テレビをあまり観ない俺は当然知らない。市川は続ける。

「ビールを飲みながらグルメリポートをするので、取材は夜なんです」

「場所はどこなんですか?」

「ここから近いです。麻布十番あざぶじゅうばんなんで。歩いて行きます」

「歩いて?」

 六本木と麻布十番は近いと思うが、それでも一駅分離れている。歩くのは嫌ではないが、ストーカー云々うんぬん言っているのなら、セキュリティのためにタクシーで行けばいいのに、と思ってしまう。

「桟原は依怙地いこじなところがありまして、多忙な生活、少しでも運動になるからと言って、時間に余裕があるときは、歩いて移動するんです」

 理解はしたが、納得したかと言われるとしきれないところがある。ストーカーを気にしていて、しかも探偵を雇っている。身の安全がやはり優先されるべき。普通ならタクシーだろう。それともあえてストーカーをおびき出そうとしているのだろうか。まあ、桟原が依怙地なのは、ここ数日の印象で、想像に難くないが。


「というわけで、私は桟原を目的の店まで誘導します。探偵さんは100メートルくらい離れてついてきてください」

「分かりました」

 依頼なので仕方がない。でもストーカーならしっかり後を追ってくる可能性がある。このあと収録があると知らなければ、このまま帰るために最寄りの駅に向かっていると判断するだろうから。

 あたりを見回す。タクシー移動のときと違って、緊張感が蘇る。今日イチで探偵らしい仕事をしているような気がする。


 すると、探偵の勘か、桟原の後を追っている人間がいるような気がした。1人か。いや複数人かもしれない。

 俺は、桟原からさらに離れ、200メートルくらいの間隔を置いた。桟原の後を追っている男(たち)の後ろへ回るように。

 桟原の進む方向に進む人波の中で、怪しい動きをしている男は確かにいた。そして、すぐにその男の名前が分かった。『四天王』の1人、『キュウジ』である。右手には火の点いたタバコ。どうやら喫煙者だったようだ。

 彼が、ただの追っかけなのか、ストーカーなのかは分からない。でも桟原をけているのは明白だった。


 俺は、桟原を追う『キュウジ』を尾行することにした。彼が何者か分からないが、彼女に危害を加えることはあってはならない。タバコも持っていることだし。

 市川にメールを入れるべきか迷ったが、止めておくことにした。これから収録に向かうタレントとマネージャーは、それどころではないかもしれない。そして、『キュウジ』は、仮に桟原に危害を加える気があったとしても、市川が近くにいるときには行動に出ないだろう。

 そんなことをあれこれ考えていたら、別の男とぶつかった。

「あ、すみません」反射的に謝ったが、探偵という職業から顔をあまり見られたくなかったので、視線を合わさないようにうつむいた。すぐにその場を離れて尾行を続けたかったが、ぶつかった男から思わぬ声をかけられた。

「あなた、サジコ様の追っかけっすか?」

「え? 何です?」直感的にまずいと思った。一応とぼけてみたが、この男は、俺が尾行していることに気づいているのか。

「いや、サジコ様の追っかけにしては見かけない顔だったから」

 この男はどこまで気づいているのか。探偵だと勘繰られているのか、それともただの追っかけだと思っているのか。おそるおそる男の方を見るとマッシュルーム・カットに黒縁眼鏡に派手なTシャツを着ている。TシャツにはING78のロゴがプリントアウトされている。

 彼も追っかけなのだと直感的に分かった。

「ああ、すみません。僕も最近ファンになりまして、ついテレビ局から出るのを見かけてしまって……」

 自分が、アイドルの追っかけだと嘘をつくのは、プライドが邪魔してちょっと恥ずかしかったが、探偵だと気づかれるよりかはだ。しかし、その男はいぶかしげに見ている。

「じゃ、僕はこれで」と、俺はその場を離れた。口には出せないが尾行しているので、見失う訳にはいかない。

「あ、待って!」その男は引き留めようとするが、俺は自分のペースで『キュウジ』との距離を縮める。

「どうしたんです?」俺はあえて迷惑そうな顔をした。

「もし、サジコ様を追いかけようとしても無駄っすよ。それ以上近づくことはできない」

「どういうことですか?」聞く余裕はないが、聞き捨てならないような情報であるような気もする。

「キュウジさんとかノブトさんとか、熱烈なファンがいるんだ。ちゃんとしたステップを経ずに行き過ぎた行動を取ると、彼らに攻撃されますよ」

「こ、攻撃? そんな危険な人間がいるのか?」ここで出てきた『ノブト』も、確か四天王の1人だったことを思い出す。

「逆っすよ。サジコ様を守るために、彼らは迷惑行為を働くファンを取り締まってるんです。彼女のファンには、その度合いによってヒエラルキーがある。彼らは、彼女を守るかわりに、一介のファンやマスコミでも知らない情報をたくさん握ってる。SNSでファンのために有益な情報を流してくれてるんすよ」

「え? そうなんですか?」と驚いてみせるも、一つの矛盾にたどり着く。「でも、あなたも追っかけてたんじゃないですか? 攻撃されると分かっていて」

「あ、悪いけど、俺は『キュウジ』たちにある程度認められた人間だから。あ、自己紹介しておくと、俺は『ソウ』って言います。津曲つまがりそうと言えば、サジコファンの間じゃ、ちょっとした有名人なんだ」

 ここで、意図せず、眼前の男が、四天王で未登場だった『ソウ』であることが分かり、本名まで分かってしまった。しかし、津曲創(妻が理想)という名前なのに、失礼ながら、結婚とは程遠そうなルックスだと思った。かくいう俺も『我妻』という苗字のくせに、独身なので人のこと言えないが。

「でも、悪いけど、俺は後を尾ける。詳しく話せないけど尾けなきゃいけないんだ」

「そうですか? でも本当に、キュウジたちは、ファンの風紀を守っているんだ。不用意に追っかけるなら、俺が許さないよ」

 津曲もしぶとくついてくる。面倒な男にロックされたな、と思うが、こっちも仕事なので仕方がない。

「分かりました。ついてくるならご自由に」

 あまり喋っていて、キュウジに気づかれてもいけないので、口論はここで止めておくことにした。


 そのとき、隣に市川がいるにも関わらず、ある男が、桟原の目の前に立ちはだかった。

「お、俺と、い、いまからっ、デートしてくださいっ!」

 200メートルくらい離れていて、しかも夜だったので、顔は分からないが、声だけは聞こえた。でも明らかにその男は、キュウジではなかった。

 なぜなら聞き覚えのある声だったからだ。

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