4‐4

 TVSは赤坂あかさか、テレビ夕日ゆうひ六本木ろっぽんぎである。

 初心を忘れず電車移動を心がけているという桟原だが、地下鉄の移動となると大回りになるため、このときはタクシーで移動するという。

「僕は、別のタクシーを捕まえてついていけばいいんですよね?」

「そのようにお願いしますね」

 市川から指示を受けると、意外にも桟原から待ったがかかった。

「そんなの無駄なことせんでもええ。3人だけやから一緒に乗ったらええやん」

「でも、マスコミが張ってるから、あまり近づきすぎるな、って……」

 桟原に探偵の影がちらついていると勘繰られるのはまずいという話だったはずだが、桟原は意に介さず言う。

「いい方法がある。時間差で乗るんや」

「時間差?」

「別に大したことやない。探偵さんにタクシーを捕まえてもろて、そのまま待っとってもらう。アタシたちは離れたところに待機しとって、1分くらいしたらそのタクシーに乗るんや」

 ああ、なるほど、と思った。同時に、事務所の売れっ子アイドルなのに、意外なところを節約しようとするんだな、とも。


 タクシー乗り場には多くのタクシーが待機している。さすがは東京のテレビ局だ、とのような感想を抱く。

「六本木のテレビ夕日まで。あ、でも出発少し待ってもらえますか? あと二人乗るんで……」

 調査対象者が遠隔地に移動するときはタクシーを乗った尾行もあるが、普段はそうそうない。ぎこちない口調で運転手に告げつつ、運転手側の後部座席に移動すると、20秒もしないうちに桟原たちが来た。

「乗るよ? テレゆうまで」桟原は助手席側後部座席の扉から運転手に告げる。

「は、早くないです?」

「悪いね。せっかちな性格なもんで」タクシー運転手を気にしてか、標準語でそう言うと、市川が先に乗れば良いものの、なぜか桟原が先に乗ってきた。


 後部座席は中央にきらびやかな桟原が座り、その両隣に地味なメンズが2人座している、奇妙な光景。

 社会の常識からすれば、いちばん目上の人物が助手席側の後部座席に座る。だから、市川と桟原の場所は逆であるべきだと思うが、当の桟原は意に介する様子はない。

 いくら興味のなかったアイドルとは言えど、ここまで近くに接近されるとドキドキする。おまけに程良い香水の香りが鼻腔を刺激する。

「暑苦しくてすまんね」

 そのセリフは、どちらかと言えば俺が気にかけて発すべきセリフだと思ったが、桟原が俺に謝った。そしてそのまま続ける。

「で、どうだった? 東大のインテリちゃんたちにクイズで勝ったとこ? カッコよかったでしょ!?」

「凄かったです。僕なんて一問も分からなかったですよ!」

 気の強い女性とばかり思っていたが、このときばかりは純真無垢な可愛らしい少女のようだった。こんな表情、彼女もするんだな、と改めて思った。

「でも、まだ序の口だよ? 今日の目標はアタシのこと1ミリも知らん兄ちゃんを、ファンにすることだから」

 それはまさしく俺のことだが、実際のところ、既にファンになりかけていた。もちろん、探偵と依頼人の関係なので、口には出さないようにしたが。

「ありがとうございます。楽しみにしてます」


 10分ほどでテレビ夕日に到着する。金曜日の夜8時からは、いまでは珍しくなった生放送歌番組『ミュージック・エアポート』があり、今日はING78が出演するらしい。そのリハーサルがあるというのだ。

 リハーサルの場面は、基本的にテレビにも観客にも映らない。当然ながらストーカーと言えど立ち入れないので、警戒する必要のない時間なのだが、何と桟原の気遣いでちょっとだけ見せてもらえるという。ただ、音響や証明やディレクターが動いているので、あまり市川マネージャーから離れないように、と言われているが。

 他の多くのメンバーは既に待機しており、桟原と、もう一人の中心メンバーである桜岡さくらおか悠華ゆうかが遅れて合流した。

 桜岡悠華というのも、今回の依頼を受けるまでは、名前くらいは聞いたことあるようなないような、という感じだったので、当然顔も知らなかった。桟原を、落ち着いたクールな印象を受ける美女と表現するならば、桜岡は、童顔で人形のような可愛らしさ、と言った感じか。ちなみに桜岡は、市川から聞いたことによると、実は剣道の国体に出るくらいアクティブな女子だという、意外な一面を聞かされたが。

 どちらも超がつく美人だ。悪いが、他のメンバーの美しさも、彼女ら二人の美しさを前に霞んでしまうと思う。

 世間では『ツートップ』とか『Wダブルゆうか』などと、呼称されているようだが、それだけ人気な理由も分かるような気がする。


 ライブに行くと、興味がないバンドだったとしてもファンになるという話はよく聞くが、まさしく俺がそうなりつつあった。正直アイドルなんて、ミーハーで俗な趣味だと心のどこかで侮蔑していたが、そんな偏見こそ侮蔑されるべきものだと考えが一変する。リハーサルながら、全力で歌い、全力で踊る。俺はカラオケにも行かないし、ダンスもしたことがないが、それでも彼女らの真剣さは、張り詰めた空気を通じて伝わってくる。

 とりわけ桟原の歌唱力は卓越していた。細身なのに、オペラ歌手に比肩するくらいの声量と声域は、鳥肌を立たせた。そしてダンスのキレも洗練されていて、スレンダーゆえ、小柄な印象の彼女の身体が、幾分も大きく見える。

 それは、喫茶店で聞こえてくるBGMとは、たとえ同じ曲であっても、完全に性質を異にしている。


 リハを終えると、こっそり桟原が来て、「どーやった?」って問うてきた。

 思わず、「すんません。アイドルなめてました。最高です」と言っていた。

「本番はこんなもんやあらへんで。楽しみにしときや」こてこての関西弁とは、ややミスマッチの最高な笑顔を見せて、桟原は戻っていった。



 本番は夜8時から。昭和の時代からスタートする、長寿番組、そしてお馴染みの司会者と若い女性アナウンサー。

 それでもテレビ越しでしか観たことのない人を、何も隔てるものなく見る機会はあまりない。そして、俺の周りにいるファンの面々。彼/彼女のボルテージが凄い。『ジャネーズJr.』のアイドルは、俺でも知っているくらい有名なグループだし、平成の時代から活躍し続ける大御所のロックバンドも出る。ファンたちは大歓声を舞台に向け、アーティストのエネルギーとして注入する。そして、色鮮やかな原色系のスポットライトがパフォーマンスを彩り、さらなる魅力を引き立てる。

 コンサートに縁がない俺も、すっかり周りのファンと一体化しつつあった。気づくとサイリウムを横に振っている。この時点ではまだING78は登場していない。セットリストによると、彼女の出番は最後の方らしいのだ。

 そして、ING78の出番が来る。アナウンサーから曲紹介がなされる。

「それではING78で、新曲『Sagittarianサジタリアン Rhapsodyラプソディー』です。どうぞ!」

 リハーサルで歌っていた曲だが、しっかり衣装とメイクを整え、『Wゆうか』をセンターに舞台を所狭しと踊り、歌い上げる。動きも歌声も一糸乱れずシンクロナイズされており、かつ、一定の距離をおいて離れているはずなのに、メンバーたちの息遣いまで聞こえてくる。まるでミュージカルのようだった。


 それだけでもお腹いっぱいなのだが、まだエンディングの時間には早い。あれ、まだ曲があるのかなと思っていたら、ING78の桜岡を含む他のメンバーがけていき、桟原1人にスポットライトが当てられる。そして、セットリストにない、半ばサプライズ的に彼女のソロ曲が流れ始めた。曲名は『永恋ながこいマリン』。

 最初に我妻興信所うちに来たときに俺に見せたCDの曲だ。流行の音楽に興味がない俺だったが、バラード調のその曲の最初の歌声の一音符めを聞いた瞬間から、鳥肌が立った。結論から言えば、控えめに言って最高だった。先程のキレの良いダンスを一曲踊り、歌いきったとは思えないくらい、一点の曇りのない澄んだ声で、聴く者を惑溺わくできさせる。そんなパワーがあった。


 完璧な歌声に陶酔しきってしまった俺は、すっかり依頼のことを忘れていた。

 我に返って、実は彼女がソロでマイクスタンドに向かって歌っている瞬間は、彼女は丸腰にされているのと一緒だ。ストーカーの好意が憎しみに転じている場合、彼女を狙うのに絶好のチャンスだったはずだが、ここでは何も事件は起こらなかった。そしてプロ歌手としての根性なのか、歌っているさまは威風堂々たるもので、微塵もその心配を表に出さず歌い上げた。


 『ミュージック・エアポート』が大団円を迎える。すると、演出中は暗くてよく見えなかったが、『東大皇帝』のスタジオにもいたキュウジもいた。そして驚いたことに、ギョートくんもいた。両番組に共通して出演しているのは桟原優歌しかいない。彼らは筋金入りの追っかけなのだろう。


「我妻さん。出ますよ」いきなり市川マネージャーが俺に話しかけてきた。「この後、もう一本収録があるんです?」

「え?」俺は驚いた。夜9時だというのに、まだあるのか。

「この業界じゃ珍しくないことです」市川はこともなげに言う。「行きましょう。テレビ局を出ますよ」

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