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 とにかく2日間張り続けないといけない。当然、今日、明日は店は休業だ。留守番電話応答メッセージも入れておいた。

 正直こういうとき、事務員の一人でもいればそんなことをしなくても良いのだろう。

 しかし、この仕事は調査料が発生する。2日まるまる拘束されるので当然と言えば当然だが、もし無事にストーカーを突き止めたら、是非謝礼を払いたいと言ってきた。しかも、仮に初日に正体を突き止めた場合でも、2日分の料金は支払うと言う。

 さすが、芸能界は景気が良いなと、勝手に舌を巻いた。特に売れっ子中の売れっ子なら、事務所としても相当の投資が可能ということだ。逆に言うと桟原の活躍で得られる利益と比べれば、それくらいお安いものなのだろう。


 一方で、疑問もある。2日間限定である。その2日間のうちに必ずストーカーは現れるという見込みなのだろうか。

 また、依頼人はストーカー候補についてこれだけの情報を掴んでおきながら、探偵を雇っている。彼らは業界人なのだから、きっと探偵のコネクションを持っているのだろう。赤の他人の探偵など雇わなくてもいいのに、とも思う。

 よく分からない依頼人だな、と思いながらも、個人の事情があるのだろうから、そこは深入りしないようにする。特に相手は売れっ子アイドル。複雑な事情があろう。相談を受けたら、もしくは相談を受けているときに相談内容以上の悩みを感じているのが分かったら対応すれば良いが、桟原の表情は軽快そのものであった。


 金曜日、桟原が活動し始めるのは朝5時。しかも、起床時間ではなく出発時間である。つまり、その時間には新浦安駅前に待機していなければならない。

 逆算すると、俺は4時ちょっと過ぎくらいには出発しなければならないし、3時台には起床している必要がある。当然真っ暗だ。

 市川はこんな生活を毎日のようにやっているのだろうか。しかも、気が強いアイドルだ。並大抵の根性では務まらないだろう。マネージャー業もさぞ大変だろうと、思わず恐れ入る。そう思うと、俺に対してたまに出てくる失礼な発言も、まあ、許せるような気がしてしまう。


 幸い、早起きや短時間の睡眠も、探偵業で鍛えられているので、そこは苦労しない。予定通り3時半には起きて、朝5時15分前には桟原優歌のマンションに到着することができた。暗くとも超がつくほどの高級マンションだということが分かる。なるべく安めのコインパーキングに停め、さっそくマンション前で待機する。さすがにこんな朝っぱらからはストーカーはいないだろう。

 そんな軽い気持ちでいたら、その予想は裏切られる。俺の張っている場所から50メートルほど離れたところに、不審な動きをしている人間がいる。動きや出で立ちから探偵ではないのは明白だ。明らかに桟原の住むマンションのエントランスの方向を注視しながら、うろうろしている。体格は小太りで身長は低め。野球帽を目深まぶかに被っていて分かりにくいが眼鏡をかけている。

 この男がストーカーか。俺は念のため、写真を何枚か撮っておく。


 すると、マンションのエントランスから桟原が登場した。帽子を被り変装のためか黒縁眼鏡をかけている。同じ、帽子に眼鏡姿と言えど、小太りの男とはまったく様子は異なる。小太りの男は、いわゆるオタクのような風体ふうていだが、桟原は雑誌の表紙を飾るモデルのようなオーラが溢れ出ている。実際に雑誌の表紙とか飾っていそうだから、表現としては適切ではないのかもしれないが。

 桟原は真っ先に俺の存在に気づいてくれたのか、軽く一礼した。よろしく頼むぞ、と言わんばかりだ。言われなくても依頼なので、その通りに動くのだが、いざ有名人に頼まれて悪い気はしない。

 しかし、その直後信じられない動きをした。極めて些細な動きだが俺は驚いた。

 何と、そのストーカー然とした男に対しても、したのだ。見間違いと思いきや、その男も手を挙げて応えている。この男はストーカーではなく、彼女の知人か顔見知りの近所の人なのか。しかしながら、桟原が駅に歩を進めると、その男も100メートルくらいの間隔を空けていていっている。そして、同じJR京葉けいよう線の車両の、桟原のいる場所から少し離れたところに乗った。

 俺は桟原と男の間に陣取った。桟原には俺の存在に気づかれても構わないので、男の方から距離を取った。車内はだんだん混んでくる。そもそも始発電車のはずなのに、座れないくらい混雑していた。それが都心に近づくたび徐々に人が増え、男の存在が確認できないくらい乗客で溢れた。

 東京の電車は、やはり混雑している。よくこんな中で、車に頼らず簡易な変装のみでテレビ局まで行っているものだと感心する。本日の最初の行き先は赤坂あかさかに所在するテレビ局『TVS』である。新木場しんきば駅で東京メトロ有楽町ゆうらくちょう線に乗り換え有楽町駅で降車。そこで日比谷ひびや駅まで進み千代田ちよだ線に乗り換えだ。

 そこでまた不可解なことが起こる。先程の小太りの男は有楽町線までは確かについてきていた。しかし有楽町駅で降りた様子がない。乗り換えの連絡通路のどこを見渡してもいないのだ。男の目的は桟原の尾行ではなかったのか。たまたま新浦安駅から始発電車に乗り、違う目的地に向かったというのか。彼がストーカーなのかそうでないのかも分からなくなった。


 解決できない疑問を抱えながら、最初の目的地であるTVSに到着した。クイズ番組『東大皇帝とうだいこうてい』の収録があるとのこと。財布の中には観覧チケットがある。

 俺は、テレビ局にいるときは、桟原を見張っていなくて良いと思っていたが、先に到着していた市川マネージャーから、できれば収録中もついて来てほしいと言われた。理由は、スタジオ観覧席にもストーカーがいるかもしれないから、と言うのが表向きだそうだが、もっとも、芸能界のことを知らなさすぎる俺に、少しでもスタジオ観覧を楽しんでもらいたい、という桟原の配慮なのだそうだ。このことは桟原に口止めされているらしいので、知らないていでいてほしいとのことだが、それを聞くと、あの関西弁で生意気そうなアイドルに少し好感が持てた。


 なので、探偵として行動しつつも、表向きは観客である。なので、探偵らしからぬカジュアルな格好で臨む。


 ちなみに、『東大皇帝』という番組は、東京大学の中でも選りすぐりのクイズプレイヤーと芸能人クイズプレイヤーのハンデマッチらしい。番組名だけは聞いたことがあって観たことはなかったが、今回桟原は、芸能人チームの一員として初参加するらしい。


 東大皇帝チームには、『全国高校生知力甲子園』で優勝実績のあるメンバーが集結しているらしいのだが、意外や意外、メンバーはガリ勉っぽい人ばかりではなく、アイドルや俳優に比肩するくらいルックスが整っている人もいる。特に大城おおしろ優梨ゆうりと呼ばれる女子大生は、東大の理科Ⅲ類(いわゆる医学部)らしいが、女優として出てきてもおかしくないくらい美人で人気だとか。絶対、頭脳だけでなくビジュアルの審査もあるのではないかと邪推した。


 対する、芸能人チームには、桟原以外に、何とギョートくんもいるではないか。確かにモヒカンで、しかも元・海上保安官だけあってガタイも良く、おまけにピアスまでつけているが、どこか気弱そうな雰囲気を醸し出している。そして、彼は桟原のファンを公言しているらしく、さっそくそのことで、司会者からいじられていた。


 クイズは、俺のような一般人にはまったく分からない難問ばかり出てきた。それをさも当たり前のように鮮やかに解答していく東大生は凄かった。特に、顔で選考されたんだと勝手に決めつけていた大城さんは、予想を覆すくらい正解しまくっていて、スタジオから拍手が巻き起こる。

 しかし、序盤、芸能人チームと一対一タイマンの早押し勝ち抜き戦で、桟原が大城さんと相対あいたいした場面があったが、何と桟原が大城さんをくだしていた。そして、その後もう一人の影浦かげうらくんというハンサムな東大生にも勝ったので、それには舌を巻いた。桟原優歌は賢い人物なのか。


 それに、我妻興信所うちに来たときは、思わず畏縮してしまうほどの関西弁だったのに、テレビでは人が入れ替わったかのように標準語である。イントネーションとか多少なりとも関西弁が交じるものだと思うが、そういったものも一切ない。もっとも、お茶の間ではきっと標準語で喋る彼女の姿が本来の姿なのだろうか。そう言えば、彼女はING78という千葉発祥のアイドルグループなのだから、関西弁は隠しているのかもしれない。


 テレビで桟原をロクに観たことがないのに、依頼を受けて、さらにはスタジオの彼女の姿を見て、今更ながら興味が湧いてきた。

『母の実家のある千葉県四街道よつかいどう市出身。銀座学園幕張ぎんざがくえんまくはり高等学校卒業。高校一年生のときにアイドル活動に興味が生まれる。高校一年生、二年生と2回ING78のオーディションを受けるも不合格。三年生のときにようやく合格してデビューすると、瞬く間に人気を博した』

 スマートフォンで検索するとこのような情報が出てきた。2回オーディションに落ちているとは、実は苦労人のようである。ちなみに大阪に住んでいたという情報はいっさい記載されていない。それより驚いたのは銀座学園幕張高校に行っていたことだ。千葉どころか全国的にも屈指の難関校である。ものすごく失礼な先入観で、アイドルは頭が良くないと思っていたが、桟原は違うようだ。


 そんな彼女の活躍に感心していて、本来業務のストーカーの調査を怠っていた。と言っても観客はたくさんいるし、顔だけでは分からない。そもそもストーカーがここにいる確証もない。あの小太りの男もいない。あまりキョロキョロすると、却って怪しまれるので、スタジオに目を向ける。すると、ギョートくんと目が合ってしまった。少なくともここに一人いることを再確認し、思わず目をらす。

 ギョートくんは少なくともスタジオ内では不審な動きは見せていない。風貌こそ奇抜で、桟原とは対照的にクイズは一問も正解できなかったが、言動を見る限り、根は真面目そうな印象を受けた。


 収録の休憩時間に入ると、「サジコ様、カッコいー!! 頑張ってー!」と観客席から声援を送っている者がいた。思わず振り向くと、声の主は茶髪の爽やかなイケメンのようである。

「ありがとー! キュウジ!」と、何と桟原がその声援に応えている。そして、『キュウジ』という名前には聞き覚えがあった。桟原の言う『四天王』の一人だ。

 ということは、彼はストーカー候補なのだろうか。しかし、絵に描いたようなイケメン、そしてリップサービスを送っている限り、桟原本人の印象は悪くなさそうだが。それとも、偶然同じ名前で、ストーカー候補の『キュウジ』は別にいるのだろうか。


 そんなことをあれこれ考えているうちに、収録も終盤に入っている。時計を見ると14時くらいになっていることに気づく。『東大皇帝』は60分の番組らしいが、収録はその倍くらいかかることも知った。


 最初は気乗りしなかったスタジオ観覧は思いの外おもしろかった。見ることのない世界を見ることができたような気がする。ゴシップに疎い俺もこの放送だけは録画しようと思った。

 思わず調査そっちのけになってしまったが、今度はまた別のテレビ局のスタジオに移ることになる。確認のため、いったん市川に指示されたテレビ局内の場所に向かった。

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