4‐2

 俺は、ああ、ストーカーね、と思いながらも、ワンテンポ遅れて、もしこれが本当なら世間的にはかなり大きなニュースではなかろうか、と感じた。ストーカー行為を働くのが、芸能関係の人なのか、一般人なのはわからないが、どちらにせよ本人にとってはスキャンダルである。一方で、熱烈なファンがストーカー化し、どこかで憎悪に転じて危害を加えるといったニュースを耳にしたことがある。アイドルに限らずだが、ストーカーによって引き起こされた殺人事件、殺人未遂事件もあるという。もはや警察案件では。

「け、警察にはご相談なさったんでしょうか?」

「警察には相談してません。我が事務所としては、可能な限り大事おおごとにはしたくないというのが前提にあります」

「でも、ストーカーによる重大事件も起きてます。もしものことがあったら事務所としても責任問題になるのでは?」

「いや、手前味噌ですが、ING78はアイドル業界でもいまいちばんの人気を博していると言っても過言でありません。その中でも桟原は、桜岡さくらおか悠華ゆうかとともに二大巨頭なんです。彼女らの一挙手一投足は、芸能界、音楽界の経済を大きく揺るがします。彼女が被害者であっても、事件にはしたくないんです」

 市川はそのように説明するが、いまいち納得しかねる。大きな傷になる前に、小さな傷で被害を最小限にするほうが、事務所の対応としては褒められるのではないだろうか、と思ったとき、桟原が乗り出してきた。

「警察はあかん。まだ、ストーカーっても証拠が掴めてへんねや、脅迫状や怪文書が届いとるわけやないし、変な電話がかかってきとるっちゅうこともない。奴らは証拠が出揃っとらんと動かれへんねん。だから探偵さんにしか頼まれへん。逆に言うと、ストーカーが迷惑電話とか具体的に行動を起こす前に手を打っとく。これが事件を未然に防ぐってことちゃうか?」

「そうですか」妙に納得してしまったが、この依頼を受けて良いものか戸惑う。芸能界にまったくと言って良いほど縁もなければ、知識もない。ストーカー調査の依頼は受けたことはないわけではないが、今回は依頼人が有名人なのだ。内密にしたいとなると、他のファンや芸能リポーターに勘繰られないようにしなければならない。

「受けてくれるか?」見た目は美人だが、芸人が喋るような口調で聞いてくるので、違和感が拭えない。

「1つ聞きたいんですけど、大手の探偵事務所だってある中で、どうして私に依頼してこられたんですか?」

「何や? もう答えは言ってるはずやで?」

 どういうことだと思っていると、何で分からへんのと言いたげな表情で桟原は口を開いた。

「大事にしないためには、個人でやってる探偵で、芸能界に疎い人がええねん」


 どうやら話によると、この依頼をするに当たって、大手事務所も候補に上がったらしい。それこそ千葉でいちばん大きく展開しているサウザンド・リーブスもだ。実際に帽子とサングラスで、パッと見の正体がわからないように、事務所を下見したそう。

「でも、あかん。何か、あっこの事務所の探偵は口が軽そうや。悪いけど話をせずに切り上げてきたわ」

 桟原はサウザンド・リーブスに悪態をついた。

 探偵には当然ながら守秘義務があるが、確かにそのあたりの職業倫理が欠けている人間もいる。実はそういった意識の低さも、俺が嫌う理由の1つである。なかなかこのアイドルは、人を短時間で見る目があるなと思った。そして、俺が元サウザンド・リーブス探偵事務所の社員だったことは黙っておいた。

「勝手な話かもしれへんけど、あんたは依頼を真面目に引き受けてくれそうな雰囲気があったんや。ホームページで見つけて気になっとって、数日前に事務所の前で張っとって、あんたの顔、確認させてもろて確信した。突然で迷惑な話かもしれんけど、あんたにしか頼まれへん」

 そう頼み込まれれば、断ることはできなかった。と言うか、このアイドルが、俺の事務所の前でストーカーよろしく待ち伏せていたことを突っ込みたかったが、相手は真剣のようなので、やめておく。


 依頼内容は、ストーカーの調査であるが、まずは、ストーカーがいるという客観的な証拠を掴んで欲しいとのこと。あまりに悪質であれば、警察に相談しなければならないが、現時点ではストーカーらしき人物がいるくらいの情報しかない状況だ。

 でも、優先してほしいのは、極力探偵が調査している事実を周りに悟られないようにしてほしい、とのこと。なので、踏み込みすぎた調査はしないこと。特にマスコミ関係者がどこで張っているかわからないので、常に桟原から一定の距離を保って、仕事先から別の仕事先への移動、自宅から仕事先までの行き帰りを尾行してほしいとのことである。


 調査期間は、来週の金・土の2日間。金曜日はテレビ局で収録、土曜日は幕張メッセでライブがあるという。幸か不幸か、相談の予約も調査の予定も入っていない。


 市川マネージャーからスケジュールの詳細が記載された紙を見せられた。超がつく機密事項ですよと釘を刺されながら。それを見て俺は目がくらくらした。

「めちゃめちゃ過密じゃないですか!?」

「はい。トップアイドルですから。1分単位でスケジュールが刻まれてます」

 探偵の仕事は、1時間単位かせいぜい30分単位である。それにも驚きなのだが、拘束時間が長い。朝、5時台には家を出ているし、帰宅は0時近くという生活である。

「これ、毎日ですか?」

「アイドルの仕事は不規則です。たまたま今回は東京と千葉での活動ですが、ツアーでは全国を飛び回ります。二度と同じスケジュールはないと思ってください」

「こんなに朝早くから夜遅くまでなんですか?」

「そうですね。休みはあって月に1日あるかないかです。何せ売れっ子ですから」

 タフな仕事だ。労働基準法に抵触するんじゃないかと思ったが、それを垂れ込む立場にはないので、黙っておく。そして付け加えるように市川は言う。

「ちなみに、私も桟原のスケジュールに付きっきりですけどね」


 依頼を受けたために、奇しくも超売れっ子アイドルの自宅を知ることになった。住所は、新浦安しんうらやす駅前の一等地にそびえる高層マンションだという。

「桟原さんは普段どうやって移動してるんですか?」

「車で、って言いたいところですが、電車です」

「そうなんですか? 芸能人ってみんな車かタクシーだと思ってましたよ」

「まさか。よほど大物ならそうですが、ほとんどは公共交通機関です。とは言え、桟原は格付けでは車でもいいくらいの有名人ですが、本人の希望もあって……」

「アイドルたるもの初心を忘れたらあかんねん」桟原は胸を張って言う。

 その割には駅前一等地の高層マンションじゃないかと突っ込もうとしたが、やめた。

「せめて夜だけでも私が送り届けられればいいのですが、それも本人が固辞していて……」

「グループの中には、裕福じゃなくて房総ぼうそう半島の先っぽの方から時間かけてくる子もおんねん。そういうメンバーを差し置いてアタシだけが必要以上に優遇されとっちゃあかん」

 通常売れれば、本人が楽をする方向にわがままになるかと思うが、桟原はどうやら反対のようだ。謙虚なのか自己中心的なのか分からないが、意外としっかりしたポリシーを持っているようだ。しかし、第三者的には、ストーキングされているのなら、いまだけでも送迎してもらえればいいのに、と思う。

「ということで、朝、自宅からテレビ局入りするまでの間、テレビ局からテレビ局に移動する間、また帰り道、怪しい人物がいないか張り込みをしてほしいんです」

 なるほど、それは簡単かなと思った。確かに朝早くて夜は遅いが、収録やらライブパフォーマンスやらその準備時間中やら、仕事をしている時間中は張り付く必要はないということだろう。個人探偵でいちばんきついところは、長時間連続した張り込みである。

 ただ、やりすぎな感じが否めない。調査対象はストーカーだろう。普通、ストーカーが忍び寄るのは夜だろう。夜道、これから帰宅というところを待ち受けて、狼藉ろうぜきを働くのではなかろうか。


「朝から張る必要はないのではないのですか?」

「甘いですよ」市川は言下に否定する。「これだけの売れっ子だと、どこにでも現れるファンもいるんです。その一部は、行く先々、下手へたしたら早朝からつけ回してくる輩もいるんですよ」

「そ、そうなんですか?」

「私は、さすがに朝はええやろと思うてんけどな」桟原は手をこまねいて首を傾げる。

「本当は私が桟原を送り迎えすればいいんですが、本人が嫌がるので……」市川はそう言って、桟原を一瞥いちべつする。

「ただでさえ仕事で四六時中顔合わせる男と、これ以上一緒にうたないわぁ」

 桟原は市川を嫌悪しているのか、ただのわがままなのか、判断がつかない。

「ところで、どこにでも現れるファンは何人くらいいるんですか?」

「いっぱいいますけど、遠征してても来るのは、4人ですね。我々の中では『四天王』って呼んでます」

「ストーカーはその中にいるっぽいんですか?」

「分かりませんが、その可能性は高いと思ってます。だって、けられるようになったから、最近引っ越したのに、引っ越した翌日からまたけられてるんです。もちろん遠征先のホテルにもですね。同じ服装の男が」市川の口から詳細に語られる。一方の桟原は、少し驚いたように目を見開いている。

 市川によれば、かなり桟原のプライベートにまで踏み込んで追跡しているようだ。熱烈というか過激なファンであることには間違いないだろう。

「ちなみにその『四天王』の名前って分かったりしてますか?」

 ダメもとで聞いてみる。

「キュウジとノブトとソウと、あと、ギョートくんですよね?」市川がすぐに名前を挙げる。

「……そ、そうやったな」ほんの少し歯切れ悪く桟原が頷いた。

 しかし、マネージャーからこんなスルスル出てくるとは。俺はメモ帳とペンを手に取った。

「えっと、キュウジとノブトとソウと……、何でしたっけ?」

「ギョートくんです」

「ギョ? ギョート? そんな名前なんですか?」

 最初の三人とは違って日本人男性にしては聞き慣れない名前である。

「ギョートくんは、いま人気の芸人やで?」

 え、そうなの、と俺はキョトンとする。本当に芸能人には疎いので、芸人と言われてもピンとこない。見かねたのか、市川が口を開いた。

「千葉県出身のお笑いコンビ『剃り込みピーナッツ』の男の方です。モヒカンなのに前職が海上保安官という変わった肩書の。本名が中山なかやま行徳ゆきのりなんで、『行徳ギョートクン』と言うんです。知らないんですか?」

「恥ずかしながら……」

 言い方に少々腹が立ったが、怒るわけにもいかないので、大人の対応をする。

「売り出し中やで」と、桟原は補足する。

「ありがとうございます。でも、ここまで分かってるなら、ストーカーも目星がついてるんじゃないんですか?」

 暗に、わざわざ俺の出る幕じゃないのでは、という言葉を匂わせた。

「い、いや、それがな、うまく姿をくらましとる。ついてくるって言っても接近したり話しかけたりせーへんからな。分からんねや」

 そんなものなのか。どんな変装か分からないが、顔つきや体格だって違うだろう。モヒカンなんて普通はいないだろうし、と思った。

「ということで、探偵さんには、桟原優歌を張り続けて、怪しい人間を特定して欲しいんです」

 市川が再確認すると、「2日間やからな、頼むで?」と桟原が再び補足する。


「分かりました。1つ確認なんですが……」

「何でしょうか?」

「さっき、マスコミ対策で、少し離れたところで張り込みをしてほしいと言われましたが、もしストーカーに襲われた場合には、私はどうしたらいいですか?」

「そりゃ、当然、探偵さんが守ってくれはるんやろ?」

 桟原はウインクしながら俺に言った。

 不覚にもその表情が美しかったので、「あ、はい」と頷いてしまった。

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