3‐4
何が起きたのか私には分からなかった。何でいきなりそんなことをしてくるか以前に、何をされたかさえよく分からないでいた。
「え!? わ、我妻さん、ダメだよ!?」
抱きつかれた瞬間こそ茫然としていたが、急に第三者の声がなだれ込んでくる。
はっと我に返って振り向いてみると、耀がそこに立っていた。
「え? 耀こそ何でここにいるの!?」
「我妻さんこそ何やってるんすか!?」
「俺こそ聞きたい」そう言って、詩乃さんの抱擁を引っ
「だって、今日から3日間だけ旦那を交換するって依頼なんでしょ? こんなことって普通できないから楽しまなきゃダメでしょ?」
それはそうだけど、のっけからこんなに手厚い歓迎を受けるとは思っていなかった。
一方で、思えば、妻とは次女の杏が生まれてからは、この手のスキンシップはご無沙汰だった。スキンシップといえば、私が肉体的制裁を
久方ぶりの大人の女性との触れ合いにドギマギしながらも、酔っているわけではないので理性が強く働いていた。そして、耀がいたおかげで、まだ我を忘れないでいる。
「あの、確かにご主人からは、夫を交換するというご依頼を受けました。でも、必要以上に楽しんでくれとは依頼されていません。未だに依頼の趣旨は分かりかねますが、申し訳ない。依頼期間が終了したら、優のもとに戻らないといけないので、他人行儀かもしれませんが、よろしくお願いします」
戻らないといけないと言ってしまってから、失言だったかと思った。暗に妻との関係が悪くなっていることを
「我妻さん! 『戻らないといけない』だなんて!」と耀。
「強さんも、夫婦関係いろいろもつれてるのかな? さっき依頼の趣旨って言ったけど、こっちも結婚して7、8年も経って、私も俊伸以外の男知らないし、俊伸もいろいろ思い悩んでるみたいだから、お互い羽根伸ばそうね、みたいな感じで、今回の依頼に至ったわけ。だから、今回の旦那を交換する計画を思いついたんだけど、いくら家族ぐるみ付き合いでも我妻さんにタダでお願いするのは悪いと思って、それなら仕事として依頼すればいいじゃないってなったの」
「でも普通なら、こんな依頼受けないですよ。探偵は何でも屋じゃないんですから」
「でも、依頼として受けてくださったんでしょ? だから、依頼人の要求に答えてもらわないと」
詩乃さんは、こんな積極的な性格だったか。私のイメージでは、もっと受け身で大人しい人と思っていたが。そして、さっきから気になっていることとして、詩乃さんはこんなに綺麗な人だっただろうか。もっと地味なメイクで着飾っていない女性だと思っていたが、5歳、いや10歳は若返ったようなメイクで、服装も家着のはずなのに、色鮮やかである。女性は化粧で化けるとか何とか言うが、まさにその典型のような現象を
私が黙っていると、詩乃さんは耀の方を見て言った。
「強さん、この若い女の子は?」
「最近入った、うちの従業員です」
「あら、そう」
最近どころか今日入ったばかりのアルバイトJKだ。面倒なので適当に説明したが、意外にもそれ以上興味を示さなかった。
「姫野
「びっくりさせちゃって悪いけど、これが契約の内容なの。不快に感じるかもしれないけど、引き受けたのは我妻さんだから、悪く思わないでね」
何だか、私が間違ったことをしたような物言いなのが気に入らないが、私は元来、怒りを表に出すことが苦手だ。心の中はムッとしているが、残念ながら、詩乃さんはそれに気づく素振りはない。
「分かりました。我妻さん。くれぐれも羽目を外さないでくださいね」
「分かった」そう言いながら、この状況でその約束をどう達成するのか、そしてどう証明するのか、皆目見当がつかなかった。本当は、耀がここに残ってほしいのだが、JKでアルバイトの彼女に、しかも詩乃さんの前でそんなこと頼めるはずがない。
「ママー!」と奥から、玲衣ちゃんと思しき声がして、「娘が呼んでるから、私たちは失礼するね」と半強制的に耀を家から追い出した。
†
初日の依頼をこなして、次の日、通常どおり事務所に向かう。
正直、ヘトヘトである。もちろん本来なら勤務時間外の時間に勤務をしているということもあるが、耀の願いとは裏腹に、詩乃さんは積極的だったのだ。
玲衣ちゃんには、「今日はパパの代わりに、違うパパに来てもらったよ」という説明をしたが、どう考えても教育的に非常識な気がした。玲衣ちゃんは泣いてはいないが、案の定、首を傾げていた。そして9時くらいに寝かせたあとは、普段からとてもこんな料理作っていないでしょう、と言わんばかりの豪勢な料理を振る舞い、度の強めのお酒を提供し、食事中はとにかく物理的な距離を詰めてくる。ぶっちゃけ、密着されたというのが正しい表現だった。妻(優)とはいくら関係が悪化していても、こんなこと言えようはずもない。
これが、お互い独身なら何も思わないのだろうが、こういう身上では背徳感がとにかく強い。逆に詩乃さんや俊伸は何も思わないのだろうか。そして、妻はどう感じているのだろうか。
「だ、大丈夫ですか? 我妻さん!」
翌日11月16日も、日曜日のおかげで耀は出勤している。
私の顔を見るや否や、慌てて声をかけてきた。それほど疲れ果てたひどい表情をしていたのかもしれない。
「まさか、
「ね、閨事? しとらんよ!」
若いくせに閨事なんて言葉、どこで知ったんだと思わず突っ込みたくなる。お嬢様だからか、文語的に
それはそれとして、私は断じてそこまでは至っていない。一歩気を許せば、詩乃さんに襲われそうだったが、ぎりぎりの理性で何とか押し留めた。ぎりぎりの理性と言えば聞こえが良いが、般若のような
「本当に気を付けてくださいよ。あと2日大丈夫ですか? 今日も相談が2件入ってるんだから、しっかりしてくださいよね?」
アルバイト2日目が始まったばかりのJKに、職場の責任者たる私が
†
仕事が終わって、帰宅するだけだが、今日は昨日以上にそれが
しかも、翌日の月曜日は、私が休みだったのだ。休みということは、一日中詩乃さんと一緒にいなければならない。
一方、妻からは何の連絡もない。連絡があるのは怖いが、連絡がないのも怖い。
妻は私に対してまだ怒っているだろうから、私から連絡するのは気後れする。
帰宅すると、詩乃さんは昨日ほど手厚い歓迎ではなかったが、玄関で迎え入れてくれた。キッチンからは良い香りがして、玲衣ちゃんの笑い声が聞こえて、これだけなら理想的な家族関係に思える。我妻家の場合は、子供の笑い声こそすれ、妻が温かく迎えてくれることはない。私が帰ってきた場合、沈黙がデフォルト、何かある場合には仁王立ち、機嫌が悪いときは強烈な右ボディーフックか左アッパーを見舞われる。なお、おかげさまで私はウィービング、ダッキング、スウェーバック、バックステップが妙に鍛えられ、我ながら上手くなってきているが。
もしかして深く考えすぎだろうか。依頼なんだと割り切って、妻のことはいったん記憶から抹消して、詩乃さんと本物の夫婦のように振る舞うのもありなのではなかろうか。それが、依頼人たちが求めることなんだし、私ひとりがあれこれ思い悩む必要もないだろうと思い始めてしまっていた。
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