3‐3

「こういう場合『報告』はどうすればいいんです? 奥さんの素行を記録すればいいのですか?」

 探偵は、依頼を受け調査の結果を『報告』することが仕事である。報告書として書面で依頼人に発行せよとまでは書かれていないが、何にしろ『報告』は必要である。しかし、この依頼内容において、何を『報告』すれば良いのか分からなかった。しかし、俊伸の回答はあっけなかった。

「何でも。とにかく嫁のそばに一緒にいてくれればいいんです」

「それでは、探偵として依頼を受けることにはならない。契約締結できない」

「じゃあ、良きに計らってください。嫁の素行を報告書にまとめてもらった方が好都合ですか?」


 依頼だけして、その結果はどうでも良いというような、前代未聞な依頼人だが、何とか探偵業法に抵触しないように、ちゃんとした依頼に仕立て上げなければならない。こんなこと初めてである。依頼を受けてしまって良いのだろうか、と自問自答しながら、契約書を作成する。俊伸は今日のうちに契約したかったらしく、必要な印鑑などを全部持ってきている。だから、その場で契約書などの必要書類一式を作らなければならない。



「でも、珍しいなって思いましたよ。いくら依頼って言っても、奥さんを愛してるを通り越して崇拝している我妻さんが、こーゆーの受けるなんて」

 津曲がわざとらしく驚いたような顔で言う。この表情がまたしゃくに障るのだが。

「俺だって、いろいろ迷ったけどさ。依頼人を無下むげにはできんだろう?」  

「俺だったら、顔も中身も天下無双妻を差し置いて、不倫のお誘い受けないっすわ」

「不倫のお誘いって聞こえ悪いわ! ちゃんとした依頼だ。依頼人の依頼にできるだけ寄り添うのも探偵だろ?」

「あ、でもこないだ、おばあちゃんが飼い猫を探してほしいっていう依頼、断ってたじゃないっすか?」

「当たり前だ。うちは便利屋じゃねえよ」


 さっきまで俊伸の依頼に興味を示さなかったのに、依頼内容を知ってしまった途端これだから困る。加えて、今日から加わった新兵JKがなおさら七面倒臭い。


「あ、さては奥さんと一悶着あったな? 我妻さん、ずばりあたし思うんですけど、女心を推理するの苦手ですよね? 新成人になりたての美人JKでも良ければ相談乗りますよ」

「だから、依頼を受けただけって言ってんだろ。邪推すんなー!」

「無理に否定しなくてもいいんですよ。あたしが力になってア・ゲ・ル♪」

 こいつらは一体何なんだ。もっとも耀の推理は至極正しいのだが、おいそれとそれを認めるわけにはいかない。年齢が倍近くも離れた、新入りのJKアルバイターに、茶化されるのはしゃくというのもあるが、それ以上に妻のことをリスペクトし早くも師弟関係が築かれつつあJKに下手に打ち明けて、妻の耳に入ることなどあれば余計にこじれることが目に見えている。


「お前ら、仕事を教えてるんじゃなかったのか?」

「いや、もうお昼休憩っすよ」

 時計はいつの間にか正午を過ぎている。

 何もなければ12時から午後1時までを休憩時間としている。

「じゃ、昼飯食ってきな──」

「で、いつからいつまでの依頼なんです? 泊まり込みですか?」

 津曲は追及を辞さない。

「うわー、それ、強烈ぅー!? ってことは、あの依頼人が、我妻さんの奥さんと寝泊まりするの? 襲われちゃうの!? 奥さんにどう説明するの?」

「耀ちゃん、心配いらないよ! 奥さんは無敵だから! 我妻さんこそ、依頼人の奥さん、寝取らないでくださいよ?」

「あー、それも心配しんぱーい! 我妻さん、女心読めないけど、地味にイケメンだから、依頼人の奥さんに惚れられちゃうかも! キャーキャー」


 もう、鬱陶うっとうしさが臨界点に到達している。何を答えても、曲解されるし脚色されるし、もうどうでも良くなってきた。大体、地味にイケメンって何なんだ。褒めてるのか? 貶しているのか?

 しかし、いくら妻に対して怒りに燃えていても、黙ってるのはどうかと思う。かと言って、電話するのも嫌なくらい、いま愛想を尽かしている。

『今日から3日間、信夫さんの旦那さんが、泊まり込みで来る。俺は、逆に信夫さんの家に泊まることになった。旦那さんのれっきとした依頼なんだ。悪いが文句があるなら旦那さんに言ってくれ』


 LINEでひとまずそのように送っておいた。LINEを見て妻は怒髪天をくだろうか。何かあるごとに、感情のベクトルが怒りに向きがちの妻だが、もうどうだって良い。俊伸こそ、優の怒りに触れて、洗礼を浴びたら良いのだ。

 それより、詩乃さんこそ、この依頼内容は知っているのだろうか。かなり肝心なことなのに、確認しそびれた。

 知り合いとは言え、いきなり3日間旦那をチェンジします、なんて聞かされたら耳を疑うだろう。玲衣ちゃんもいるのだ。下手したら、警察を呼ばれるかもしれない。


 するとスマートフォンが振動する。嫌な予感が見事的中する。『我妻ユウ』との表示に冷や汗が流れる。内容を確認したくないが、確認しないわけにはいかなかった。


『もう、としちゃん、家に上がっとるわ。何かてビビったわ! 俊ちゃんから、旦那を交代するって言ったら、強も話に乗ったんやって!? ナニ考えとる! アホか!? 血祭りに上げたろうかと思うたけど、俊ちゃん、アタシんこと輝いて見えるんか、強は絶対言わんような言葉で褒めてくれはるし、ええ香水つけてはるし、そんでもっておもろいからええわ!』


 さらりと怖すぎることが書かれているが、おもろいからええわ、と何と許可をもらった。それにしても、俊伸はもう家に上がっているのか。沙と杏は戸惑っていないのか。心配に感じつつも、同じことを私は信夫家に対してやることになる。玲衣ちゃんに泣かれないか不安になる。


「でも我妻さん」ここで耀が再び口を開く。「気を付けてくださいね。考えてみたらこんな都合のいい話ないですよ。お金をもらって堂々と不倫してくれ、なんて依頼」

 たしかに変な依頼だが、依頼人が他でもない、信夫俊伸だったから受けた。赤の他人だったら受けない。もっとも、赤の他人がこんな依頼しないだろうが。耀は続ける。

「コロっと、依頼人の奥さんに転がっていかないでくださいね。我妻さん、女の免疫弱そうだし。既成事実作られて、美人局つつもたせに遭うことだってあるかもしれないし」

「それはないよ。だって、依頼人の一家とは家族ぐるみのつながりなんだから。子供同士も仲良しなんだ。一緒に飲みに行くくらいの付き合いもある」

 私自身は不倫願望は1ミリとも存在しない。たとえ、妻に全否定されようとも罵詈讒謗ばりざんぼうされようとも強烈な右ボディフックが側腹部にめり込もうとも、他の妻を愛したことも愛そうと思ったことも断じてない。そう言い聞かせてみると、何だかモラハラ妻、DV妻に思えてきた。いや、そんなことはない。誰もが認めるくらいの美人でありながら、たくましくて強い妻だ。何度も助けられたことがあるではないか。邪念を振り払うように頭を振った。

「だからこそ怖いんです。安心は隙を与えます。特に我妻さんには隙が生まれそう」

 どこが隙だらけなのかと突っ込もうかと思ったが、口論するのも面倒だから止めておく。そして、耀は続けた。「だから、あたしら、サポートしなくていいですか?」

「サポート?」

「依頼人は奥さんを交換してくれって、言っただけなんでしょ?」

「おう?」耀の意図することが分からない。

「つまりあたしたち、潜入しちゃダメとは言ってないんでしょ?」



 仕事が終わり、私は原付バイクを走らせる。

 耀の提案は無茶苦茶だった。私と一緒に信夫家に泊まり込もうとするのだ。バイトと言ってもJKである。徹夜で潜入捜査させるわけにはいかなかった。初日から何をやってると、姫野一家に叱られるだろう。ひいては家造りにも悪影響をもたらし、妻の機嫌はさらに損なわれる。すべての道はローマに通ず、というように、すべての有害事象は妻の怒りに通ずのだ。ちょっと違うか。


 そんなことを考えながら、いつもとは違う道を歩く。家は近いとは言っても、やはり走り慣れない道だ。車が信夫邸に近づくに連れ、緊張が増してくる。


 依頼を受けたくせに、いざ家に着いても気持ちの整理がつかない。信夫の家も周りの家も、恐ろしいくらい日常的な光景だ。リビングにはライトが灯り、どこの家からか、美味しそうなカレーの匂いがする。

 ただいま、と威勢よく玄関のドアを開けるわけにはいかない。一軒家のポーチの前で右往左往するが、これじゃ逆に不審者だ。改めて、俊伸はよく俺の家に入り込んだものだ。感心するようなことではないが、感心する。

 私は意を決する。時刻は夜7時半で、すっかり陽は落ちているが、ドアホンを鳴らすのは非常識な時間ではないだろう。


 ピンポンと音がする。さて、信夫夫人はどのような反応を示すだろうか。

『はーい』と夫人の声。

「わ、わ、わが、我妻です。ご、ご無沙汰してっ、しております」

 我ながらひどいどもりようだ。何だか悲しくなってくる。

『わ、我妻さん!? 入って!』

 驚いているのか歓迎されているのか分からない。夫人には依頼の話は伝わっているのだろうか。

 そんなドキドキを抱えながら、ゆっくりドアを開ける。誰もいないが、玲衣ちゃんのキャッキャという声が聞こえる。


「お、おじゃましまーす」とゆっくりとドアを開ける。そしておもむろに中に入った。

 ガチャリとリビングに繋がる扉が開かれた。詩乃さんだ。会うのはちょっと久しぶりな気がしたが、私の変な緊張感にさらされているせいか、美人に見える。こんな容姿だったか。


 すると、いきなり詩乃さんは、玄関に向かって走ってきた。

「おかえりー! ダーリン!」

 そう言って、私に抱きついてくるやいなや、口づけてきた。

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