2‐14

 結局、その後、姫野舞と耀は、姫野淳に事の顛末をすべて話した上で、謝ったそうだ。一連の騒動の原因が、妻が発端となっていたことにひどく驚いたそうだが、元来鷹揚な性格の淳は、舞を糾弾することなく、受け容れてくれたという。それどころか、忙しすぎて迷惑かけたと逆に謝られたとか。そういうわけで、めでたく私が弁解に駆り出されることなく、姫野一家の家族円満は取り戻されることになった。


 そして、スポーツ日々ひびにより、週刊白鷺の記事がでたらめであることが一面で取り上げられた。スポーツ紙でスポーツの記事を差し置いて、一面で取り扱うには、いくらなんでもやりすぎかと思ったが、芸能ゴシップに詳しい妻に言わせれば、週刊白鷺は、主要の総合週刊誌の中でも実売部数1位の座に君臨するほどの雑誌で、それだけ影響力の高い雑誌だから、芸能の世界でこの雑誌でスキャンダルをすっぱ抜かれれば、よほどのことがない限り立ち直りは難しいとされる。この雑誌によって、芸能界を追われた俳優、女優、アイドル、芸人は数知れず、それゆえ、芸能界ではある意味風紀が保たれているという噂もあるが、一方でプライベートを土足で踏み込むような取材方法を取ったり偏向報道とも取れる記事を掲載したりで、非難する人も少なからずいる。妻もその一人のようだ。

 他方、日々通信社は、取材にも節度を守り、偏りのない多角的な取材に基づく記事が評されている。実売部数も記事のインパクトも週刊白鷺には及ばないものの、記事の信憑性も公平性も圧倒的に高い、というのが妻の見解である。スマートフォンのニュースは読むものの、どの雑誌社が出している記事なのかを注目したことはあまりなかったし、ましてや芸能の記事はほとんど読まない私にはよくわからない話だが、とにもかくにもそうなのだと強く念を押されたので、取りあえず相槌を打っておいた。


 妻によると、その後様々な情報番組において、週刊白鷺の記事の誤謬ごびゅうただすとともに、被害を受けた姫総デザインの紹介と名誉を回復する報道がなされ、結果的に莫大な宣伝効果を得た。その後、住宅の打ち合わせに行った妻によると、問い合わせが殺到しているとのことだ。姫野社長にも何度も何度も頭を下げられ、そのお礼として幾多ものオプションを格安もしくはタダでサービスしてくれる約束を取り付けたとか。


 そして、依頼人の姫野耀にも感謝された。

「いやー、礼には及びませんよぉ!」と胸を張るのは津曲だ。確かにこの件については津曲の功績は大きいが、いちばんの感謝の対象は私であるという。

「津曲さんも、よくあそこまで調べたと思うけど、いちばん礼を言わないといかんのは我妻さんだな。ありがとう。感謝してます」

 気の強い妙齢の女性にはありがちなのか、敬語とタメ口の混在した謝意の表明だった。

「こっちは仕事ですから」私は短く返した。素っ気なく聞こえるかもしれないが、仕事以外で女性と会話するのは不得手なのである。

「変な探偵社に依頼したら、調査はテキトーに済まされ、依頼料だけはいっちょまえに取られてたところだと思う。でも我妻さんのとこは違った。依頼人のことを真剣に考えてくれている。人間として素晴らしいと思う」

 こんなに褒められることが普段ないので、嬉しいを通り越して、何だか面映おもはゆい。でも満更でもない気持ちだ。

「どういたしまして」そう返すのが精一杯だ。しかし、その次に耀から発せられた言葉は、意外すぎるものであった。

「ところでお願いなんだけど──」

「ん?」

「私をここで雇ってもらえないかな? いや雇ってくれませんか?」

「はぁっ?」

 一瞬耳を疑った。

「ほんとに? 耀ちゃん来てくれるの? 超絶ハッピー!」

「津曲さん、黙ってくれる? 別にあんたはいてもいなくてもいいの。私は、ここで人生勉強をしたいの」

 探偵事務所で働くと人生勉強になるというロジックが理解できない。耀は続ける。

「だってさ、私はお嬢様としてチヤホヤされてきて、何不自由なく暮らしてきたけど、それじゃ社会に出たときにすごく困ると思うの。世の中の仕組み、世間や人間の闇の部分に触れて、全面的に解決する我妻さんのところで色々勉強すれば、人間的に勉強できると思うの。それに──」

「それに?」

 矢継ぎ早に想いを伝える耀がいったん間を置いた。何だろうか。

「それに、我妻さんの奥さん、超絶美人でカッコいいじゃないっすか。私、女として尊敬しちゃった。実はもうすでに仲良くなっちゃったんだよね。我妻興信所ここで働いてみたいって、つい言ったら、二つ返事で『問題あらへんで』と言ってくれたんだよ」

 何を勝手なことを。人事の決定権も私のはずなのに、完全に形だけのものになってしまっている。

「わ、分かりましたよ。でも高校は大丈夫なの? 受験勉強あるでしょ。そもそも校則で禁止されてるんじゃないの?」

「大丈夫。私、AO入試でもう合格決まっているし、校則も別にバイト禁止してないし」

「そうなの?」

 もはや仕組まれているのではないかというくらい、問題がクリアされている。

「ま、そういうわけなんで、土日はそっちに行きます。探偵業を伝授してくだされ。雇用関係の書類、アタシのメールに送っといてくださいね。で返しますから」

 晴れやかな顔をしてそう言うと、颯爽と耀は去っていった。


 もともと、この我妻興信所は、大所帯にするつもりはなかった。雇用が増えれば、たとえアルバイトであっても人件費が嵩むわけだし、依頼も増えなければいけない。もちろん人が増えれば、交代で張り込みをしたり、受付を任せてもらったり、自由度は増えるが、どうもあの子は、妻と気が合うあたり、暴走しないだろうか。

 果たして私に手綱たづなをコントロールできるのか、心配のほうが大きい。もちろん給与が払えるほど依頼が来るのかも。



 帰宅後、さっそく妻には文句の一つでも言ってやらないと気が済まなかった。妻には「はい」か「すみません」しか基本言わない私だが、このときばかりははっきり言わせてもらう。

「勝手にJKの採用を決めないで欲しいな。もし依頼が増えないと、僕の給与を切り詰めて支払わないといけなくなるよ。あの、これから家も買うのだから、一言相談してほしかったです……」

 やはり最初は勢いよく物申してやろうと思っても、妻に面と向かうと頭でっかち尻すぼみな物言いになってしまう。

「あ、そのことなら問題あらへんで」さらっと妻は返答する。「実は隠しとったんやけどな?」

「隠しとった?」

「アタシ、YouTuverユーチューヴァー始めてん。数ヶ月前からな。そしたら思いのほか絶好調で、広告収入も結構あるんや」

 YouTuverとは動画配信サービス『YouTuve』で動画をアップロードする者を指す。再生回数が多いと、広告収入が手に入り、それだけで生計を立てる人もいる。

「はぁ?」私には初耳の内容だった。「何だって?」

「ま、アタシさ、このとおりビジュアルが無敵やろ? 子持ちの人妻やけど、ちゃんと需要はあるのさ。ゲーム実況『美人人妻が関西弁でバイオハザードを実況してみた』がバズってな。おかげさまでええ仕事させてもろうてんねん」

 そう言うと、妻のスマホにYouTuveの当該動画が流れた。妻がマシンガン型のコントローラーを所持しながら、「お前、何メンチきっとんじゃ! しばくぞ! オラ!」という怒声とともにゾンビが鏖殺おうさつされている動画が流れた。夫として私は頭を抱えた。娘が真似したらどうしてくれる。そして思わずゾンビに同情すらする。

「ま、そゆことで、心配無用や。今後も仕事頼むで」

 茫然自失している私のことなど意に介さず、笑顔で私の肩を叩いた。



 11月8日の土曜日が姫野耀の初出勤だ。

「おはようございます!」

 依頼人のときの顔は神妙な顔つきであったが、もともとは明朗闊達めいろうかったつなJKなのだろう。こうして改めて見ると笑顔が爽やかだ。ファッションもいまどきの女子そのものという感じである。

 一方の私は、テンションが低かった。別にJKの初出勤が嫌だったわけではない。その原因は自分にある。

「我妻さん、何かテンション低いですね! お疲れなのかな?」

 思い切り疲れが表面化していたのだろうか。見事に見破られる。

「いや、大丈夫だよ。今日からよろしく」

 そう言ってその場を取り繕ったが、昨日の家庭内のいさかいは、想像以上に私を困憊こんぱいさせている。


 あそこまで、妻の機嫌を損ねたのは何年ぶりだろう。

 そして、その日の相談者の依頼内容は、また一風変わったものだった。


【Case 2 おわり】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る