2‐11

 すぐに私は調査報告書の作成に取りかかった。金、土、日、火曜日の4日間の素行調査の結果をつまびらかに文字に起こす。調査報告書も明確な証拠に基づいたものであれば、充分裁判に提出できるものとなる。

 対する週刊白鷺の記事は明らかに捏造だ。写っていた人物は不鮮明ではあるが、紛れもなく私自身であり、その間の淳の行動もチェックしている。身をもって私が証明している。曖昧な写真は証拠能力を持たない。そして、それを姫総デザインの名誉を傷つけるものであれば、立派な名誉毀損罪だ。罪を背負うのは記事を掲載したしらさぎ社か、調査を担当したサウザンド・リーフズ探偵事務所なのか、姫総デザインに対抗意識を燃やしていた大東京ハウスなのか、はたまた全員か。


 姫総デザインには曇りがなかった。社長である淳は、客にも社員にも気遣いを欠かしていない。実際に対応してくれた大家もそうだった。客目線で家造りを考えてくれている。実際に悪い評判は聞かない。そして、気障きざな言葉で表現すれば、探偵の長年の勘が告げている。依頼人のJKにも後ろ暗さがない。物言いは強気でストレートだが、裏がない。純粋に家族の調和を取り戻すために、あたしが頑張るんだという、嘘のない信念を感じる。

 だからこそ、JKとこの会社を助けたかった。

 その心意気は妻も津曲も同調している。我妻興信所が一枚岩となって動いている。平時は依頼を淡々とこなしている我々にとって、こういうことはかなり珍しいと言える。


 津曲はJKの母親を調べに行く。私は証拠能力の高い調査報告書をまとめる。そして妻は、幅広いコネクションを生かして、白日の下に晒すための地固めをする。役割分担は明確だ。



『我妻さん! JKの母、姫野まいは、確かに大東京ハウス社長の大東おおひがし京一郎きょういちろうと銀ブラしてました!』

 報告書作成中の私に、変更契約を結んですぐその日の夜から調査を開始している津曲から着信が飛び込んだ。

 JKの情報によると、母親は高確率で火曜日の夜出かけると言う。理由は不動産業やハウスメーカーの多くは水曜日が休みで、ご多分に漏れず大東京ハウスもそうである。逢引に最適な曜日なのだ。

 耀のこれまでの調査で、いつも決まって待ち合わせている錦糸町きんしちょう駅の改札で待ち構えていると、その通りJKの母の舞が現れたのである。そこに大東京ハウス社長の愛車であるBMWで迎えに来ることもキャッチしていたので、津曲もバイクでここまで来ていた。たとえ、高速道路に入られても大丈夫なように。

「本当か? ホテルとかに入ったのか?」

『……いや、ホテルには入っていない模様です』

 その先は、私も予期しない調査結果だった。

『お母さんもある意味被害者なんすよ』



「強。あたしが世話になった例のブンヤと町弁が、全面的に協力するから、依頼人へ調査結果を伝えるときに立ち会いたいうてるけど、ええやろ?」

 妻の、こういうときの物事を前に進めようとするパワーは凄かった。妻に相談して24時間が経過していない。

「分かった。依頼人には早めに了解を取っておくよ」

「明日にでも都合を合わせられそうか? 日刊紙やねん。とにかく早く汚名返上するんや。いいな?」

「分かった」


 JKは翌日のアポイントを快諾した。時間は昨日と同じ夕方の5時で。幸い、探偵は明日の水曜日も営業日だ。



 依頼内容にもよるが、我妻興信所では通常、調査報告書の作成期間に1週間ほどもらっている。ただ、裁判所に提出できるレベルとなると、2~3週間くらいかかることもある。

 しかし、今回はそのステップを24時間以内で仕上げるという荒業あらわざだ。男2人で徹夜した。


 幸いこの水曜日には相談者や依頼人との面会は、耀以外入っていなかった。数件、急ぎで調査を依頼したいという電話をもらったが、翌日以降にすべて回してもらった。

 途中途中で、進捗を尋ねるための妻からの電話が入ってくる。〆切間際の漫画家はこんな気持ちなのだろうか、と想像しながらまとめた。


 そして約束の午後5時──、の40分前、午後4時20分に依頼人たちが来た。依頼人はせっかちなところがあるから分からなくもなかったが、新聞記者と弁護士と思しき女性と男性、それから我が妻まで、きっちり雁首がんくびを揃えている。私や津曲が寝食を惜しみすべてをなげうっているにも関わらず、予定よりこんなに早く来るなんて。きっと妻が主導したのだろう。

「もう、当然、準備できてるんやろうな?」

 まったく慰労する様子のないつくづくサディスティックな妻が、事務所に入るや否や開口一番そう言った。

 ちょうど印刷をかけている最中だったので、何とか拳を振り上げることはなかったが、冷や汗をかいたのは言うまでもない。


「日々通信社芸能部の記者をやっております新谷しんたにです」

轟町とどろきちょう法律事務所の志野しのです」

 初対面の2人との名刺交換の間に、人数分の印刷を終えて、津曲がテーブルに調査報告書をまとめた。

 新谷は30歳代と思しき女性で、志野は50歳弱くらいの男性だ。二人とも凛としたたたずまいだ。第一印象として、いかにも妻が信頼を寄せそうなしっかりした人間であることが窺える。


「今日はお忙しいところお越しいただきありがとうございます。今回の依頼内容はもう知ってますよね? さっそくですが調査結果を報告します」

 皆、私の報告を固唾を飲んで待ち構えているようだ。外を走る車と歩行者が談笑し合う声が窓越しに聞こえるだけの静けさだ。私も自ずと緊張する。


「まず、Jk…、いや、姫野ひめの耀ひかりさんのお父さんである、姫野じゅんさんの素行は、結論から言いますと、不動産業務に終始しておりました」

 津曲の影響で、危うく依頼人のことをJKと言ってしまうところだったが、平静を装ってごまかした。幸いそれに気付いた者はいなさそうだ。私は続けた。

「姫総デザインのオープンである10時から帰宅時間まで張っておりましたが、仕事から離れているのは、昼休憩で昼食を摂っているときくらいでしょうか。事務所を離れるのは、ほぼすべてにおいて土地の売主さんとの話し合いのためであります。市川駅近辺のキャバクラ『ナイトラウンジ・ドリーム』に一度立ち寄ったことがあります。しかし、これもその店が移転予定で、残された跡地の土地売買について店長と話し合っていたものだということが確認されています」

「良かった。パパを信じてたよ」胸を撫で下ろすように、耀が呟いたのが聞こえた。

「そして、週刊白鷺で、くだんのキャバクラ店内で豪遊しているかのような記事が出されていましたが、あれは虚偽の記事です。恥ずかしながら、あの写真に写っている男は、かなりぼやけていますが、紛れもなく私です。実は、あの現場にはもう一人、別会社の探偵がいました。私を暗視カメラで撮影したのです。あえて写真の解像度を落としたような写真を掲載していますが、実際は最近の暗視カメラならもっと鮮明に写ります。週刊白鷺は、芸能スキャンダルなど取り上げてますが、他の記事を見るともっと鮮明な写真が写っています。ある意味、揺るがぬ証拠と言わん限りの鮮明な写真で勝負している雑誌社です。そんな会社が、このような写真を掲載しているのは、標的ターゲットとなる人物を貶めるため偽装工作だからです。姫野淳氏が、芸能人でなく一般人であり、顔も世間的にそこまで認知されていないから、そのような蛮行ばんこうに踏み切ったのでしょう」

「酷い話やな」妻が呟いた。

「では、何でこのような記事を掲載したのか。答えは単純で、姫総デザインの業績を妬んでいる競合他社がいるのです。それは依頼人の読みどおり『大東京ハウス』でした。『大東京ハウス』、テレビCMでもお馴染み、首都圏では1、2を争う大手中の大手ハウスメーカーです。しかし、首都圏で思うようにシェアを伸ばせない地域があった。それが千葉県なのです。理由はお察しのとおり、千葉で地域密着でやっている姫総デザインが、強かったのです。姫総デザインは注文住宅を、建売に迫るくらいの費用で建築する工務店で、建築条件付きの分譲地を千葉県内の各地で展開して、他社の追随を許しませんでした。有名な芸能人が、姫総デザインでマイホームを購入し、絶賛するツイートで人気に火が付き、ついには情報バラエティでも取り上げられ、業績がうなぎ登りです。一方で、業績は充分だが、高額な費用を請求してきた大東京ハウスは、姫総デザインとの比較対象で取り上げられ、業績が下降し始めていたようです。そして千葉だけでなく、東京、神奈川、埼玉など近隣の都県からも、姫総デザインで建てて欲しいとの要望が殺到していたとか。大東京ハウスにしては、是が非でもいまのうちに潰しておきたいと思ったことでしょう」

「ったく身勝手な理由! 分かってたけど」怒気をはらんだコメントを発したのは、耀だった。

「だから、大東京ハウスは姫野淳氏の素行調査で、法に触れるようなことをやってないか、また、法に触れなくとも節操に欠けた行動を働いてないかを、ある大手探偵社に依頼しました。サウザンド・リーフズ探偵事務所というところです。同時に、しらさぎ社にも依頼して、スキャンダルを遅滞なく掲載するようにさせたのです」

「でも、結局不正はなかったんやろ?」妻が言った。

「その通り。俺がその目で見届けてるからね。だから、探偵社が虚偽の調査報告書を作成した。いや、調査報告書は正しかったが、しらさぎ社が事実無根の記事を掲載した。はたまた、そうするように大東京ハウスがけしかけた。いずれかのことが起こっている。いずれにせよ、嘘の情報が流布るふし、立派な名誉毀損ですが、黒幕が誰かはっきりしない。このまま訴えても、大東京ハウス、サウザンド・リーフズ、しらさぎ社がそれぞれしらを切る可能性だってあります」

「そこで、僕が探りを入れたんすよ!」ここで満を持して、津曲の出番だ。

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