2‐10


 約束通り依頼人は来た。というか、約束より45分も早く来た。それなのに、待つことなくピンポンを鳴らす。

 6時間目が終わって、ダッシュで来たという。さすがJK。若いだけあって、元気なのは結構なことだが、肝心の私の心の準備がまだだった。

「はいはい、姫野さん、どーぞ」

 温かく出迎える津曲を無視して、つかつかと私の前に来た。

「本っ当、ムカつく! 大東京のバカ野郎! 何が悪徳だ? 悪徳なのはそっちだっちゅーの!!」

 白薔薇女学院高校は名門お嬢様学校で名高いはずだったが、そんなイメージを簡単に払拭するくらい、言葉遣いは節操のないものだ。

「ま、落ち着いて」

 取りあえずなだめた。相手は成人とは言え、まだJK。感情の起伏が激しいが、冷静にならないと何も始まらない。

「調査報告書はできてるんですか?」耀は催促するように言った。

 調査報告書は仕上がっている。しかし、印刷はしていない。印刷していないのは理由があるからだが、この依頼人にはまず聞かないといけないことがある。

「まずいったん待ってくれ。一度確認したいことがある。依頼の真意を教えてくれないか?」

「それって、あたしに協力してくれるってこと?」

 協力しないと教えないという交換条件のように思えたが、私の中で依頼の真意はほぼ分かっている。言わば念のための確認なのだ。

「協力したいと思っている」

「サンキュ」年齢が倍以上の私に対し、まるで友達のような応答の仕方だったが、特に気にしないことにする。「依頼したのは、率直に言えば不動産の大東京ハウスからお父さんを守るため。大東京ハウスはCM広告もジャンジャン垂れ流している、一見すると大手有名ハウスメーカーだけど、業界内では悪い噂ばかり。競合する他社の悪口を平気でお客さんにするし、そのくせ売る物件は高額で質は平均並みかそれ以下。おまけに住宅を売っちゃえば、あとは知らんぷり。アフターサービスなんて口だけ。掌を返したように塩対応で、東京だけじゃなくて埼玉、神奈川でもお客さんからクレームが出まくってるって話。ま、あの会社、体育会系だから、上の命令は絶対で、逆らったら昇進できないって話みたいだし」

 このJKも思いっきり競合他社をディスっている。大東京ハウスの枕詞まくらことばも増えたが、いちいち突っ込む気にはなれなかった。JKは続ける。

「千葉は、姫総うちや姫総以外の優良な工務店やメーカーが、大東京ハウスの侵攻から守ってきたんだけど、東京、埼玉、神奈川でぜいを尽くした奴らは、とうとう千葉に侵略しようとしたの。でも、それが嫌だったお父さんは、他の優良店にも声かけて、千葉で売られる土地を、大東京ハウスの建築条件付き土地にしないように、働きかけていた。千葉では姫総も他の優良店も、これまでの実績で信頼が厚かったから、なかなか侵略できない。それにごうを煮やした奴らは、うまくいかない原因を作っているお父さんをおとしめるために、マスコミと悪徳探偵と結託して評判を落としにかかっていることが分かり、それに反発するために、あたしも探偵さんに依頼したの。お父さんは評判を落とされる行為などまったくやってないんだから!」

 依頼人は、最後は語気を強めた。そして心なしか目が潤んでいるようにも見える。本当にこのはお父さんのことが好きなのだろう。

 私の中では、具体的な方法論はさておき、彼女の力になることは決まっていた。れっきとした名誉毀損罪で訴えられるレベルである。

 でも私には気になることがあった。

「できるだけ力になろう。でも1つだけ教えてほしいんだが、どうして君が動いてるんだ? お母さんには相談していないみたいだけど、その理由は何なんだ?」

「質問が2つになってる……」

「……じゃ、2つってことで。協力する上で、俺も君のお母さんにどこまで頼っていいか分からないからな。できれば教えて欲しい」

「……」珍しく彼女は押し黙ってしまっている。答えにくい質問なのだろうか。

「こ、答えたくなかったらいいさ」

「あたしがこの件で動いてるの、お父さんにもお母さんにも言わないでね。頼むから」

 JKは成人になっている。だから、個別で依頼できる身分だが、それでも気になる。何か思わしくない事情でも抱えているのだろうか。彼女は再び口を開いた。

「誰にも言わないでね。ママ……、お母さんは不倫してるんだ」

「えっ?」いきなり予期しなかった発言に私は戸惑った。

「お母さん、大東京ハウスの社長と浮気してるんだ。でも、パパは人を疑わないお人好しだし、特にママのことは大好きで、疑う素振そぶりもないし。でもママは、そんなパパの性格を利用して、大東京ハウスの社長とどんどん近づいていってる。どうやら、姫総の評判を落として、離婚の口実にするつもりだよ! そ、そんなの我慢できる?」

 いままで強気で勝気だったJKの顔は、最後涙が大いに濡らしていた。

 彼女が渇求していたのは、幸せで円満な家族だったのだ。



 依頼人が涙で濡れた顔を化粧室で直しに行くと言って席を外した。その間、さっそく津曲は『JK救出プロジェクト』と称して作戦を練り始めた。内容はシンプル。翌日火曜日も調査をさせてもらうこと。それにかかる費用は請求しない。彼女の涙を見たら請求できるわけがない。

「カッコよかったっすよ、我妻さん! JKに『もう1日だけ調査する。そこで潔白を証明しよう。代金はいらない』って、しびれました。JKにとっちゃ救世主じゃないっすか?」

「JKって連呼するのやめろよ。盛り上がってないで、真剣に考えてくれ」

「潔白って、具体的にはどうするんすか?」

「俺が、姫総の土地契約に至るまでの一切のプロセスを記録する」

「は? それってもしかして……」

 私は言葉で返す代わりに首肯してみせた。さっきLINEで妻には『いい土地だね。明日その土地を契約しに行こう。姫総に予約してください』と返したのだ。

「どーせ、妻は決めたことはやりきる性格なんだ。だったら、調査に利用させてもらう。俺らが身をもって体験して、調査報告書に落とし込む」

「お、我妻さん、男っすね! 愛の巣が完成したら、酒持って遊びに行きますから」

「来なくていいよ……」

 いちいち盛り上がる津曲を横目に、あと何ができるかを考えていた。

 これはあくまで作戦の一部だ。調査報告書に落とし込むだけでは意味がない。目的は、姫総デザインの汚名返上と不倫関係の解消だ。


「じゃ、俺、JKのお母さんを調査しに行きます」そう言ったのは津曲だ。

「やってくれるのか?」

「俺だって探偵なんっすから! 我妻さんと美人JKのためなら、火の中、海の中!」

 相変わらずふざけているようにしか見えないが、やることはやる男だ。JKの母親の写真を送ってもらえば良い。大東京ハウスの社長は、ホームページで確認済みだ。


 でも、まだ足りない。このプロジェクトを完遂させるためには。私や津曲ではできない。でも、我妻興信所うちには、最強の秘密兵器がある。

「ここは、に頼んでみるしかねえな」



 JKに母親の写真を送ってくれないか、とメールを入れたら、ものの30秒で返事がきた。なるほど、耀の母親だけあって似ている。最近の写真なのだろうが、年齢を感じさせない若さと美しさを兼ね備えている。なぜか、額に髪の毛で隠しきれないほどの古傷があって、それだけがもったいないが、それを差し引いても充分綺麗な女性だ。



「なるほどな」

 当該こと妻には圧倒的な風格が漂っている。

 契約書に追加の調査を落とし込み、JKはサインをした。ここまでは順調だが、名誉回復のためにもう一つ欠かせないピースがあった。そのピースを妻に担ってもらいたい。

「何かいい策はありそうかな?」

「週刊誌やマスコミにゃ、あんまいいイメージがないねんけど、信頼できるならおる」

 弱冠30歳でなんて言葉使うの、うちの妻くらいじゃなかろうか。

「どこの? 房総日報ぼうそうにっぽう?」

 房総日報とは、千葉県内でいちばんよく読まれているローカル新聞だ。

「ちゃう。スポーツ日々ひびや」

「全国紙じゃん」

 スポーツ日々は、スポーツや芸能関係の記事で名の知れた新聞だ。当然購読者も多いだろう。

「アタシを誰や思うてんねん?」

「恐れ入りました」妻の顔は本当に広い。限られた交友関係で生きている私の何百倍はあるのではなかろうか。

「あとな、弁護士もおるやろ?」

 確かに法律に詳しい人間も欲しい。うちは零細企業なので、提携弁護士や顧問弁護士はいないし個人的に懇意にしている人もいない。だから津曲に頼もうと思った。彼の大学には法学部があるし、経済学部出身だから一人くらい法律関係の仕事に就いている友達や先輩がいないかと思ったのだ。

「アタシもな、昔世話になったんや。町弁まちべんやけど、頼れる人間がおるんや」


 そして次の日は姫総デザインを予約した日だ。

 しかし、前回行ったときと店内の雰囲気はまったく違っていた。

「いや、あの、うちはそんな悪徳というわけじゃございません。しっかり法律や規定に則って──」

「記事は誤認でございます。ご不安を感じられたと思いますが、いっさいその必要はございません」

 週刊白鷺の記事を読んだと思われる客から次々と電話がかかってきていて、火消しに追われている。


 私と妻は、そんなことを知らないフリをして、宅建士の大家との話に臨む。大家は、クレーム対応に追われたのか、ひどくお疲れのように見えた。

 店内は、火曜日ということもあるかもしれないが、我々以外に客はいない。記事の影響もあるのだろうか。

「本日はお越しいただきありがとうございます」

 彼は頭を深々と下げた。やけに仰々しい接客である。他の客からキャンセルの電話が相次いで入ったことを暗に示している。

「元気ないな。今日は土地の契約に来たんや。何があったか知らんが、頼むで」

 妻は大家とはすっかり打ち解ける仲になったのか、関西弁で話した。


 やり取りはこっそり録音をさせてもらっている。もちろん大家はそのことを知らないが、結果として、土地の契約において強引に家を建てる契約を迫ることはなかった。それどころか、土地を買ったとしても、家造りを他社のメーカーに変更することは可能であることを教えてくれた。

「いや、鞍替えなんかせぇへん。あんたに託したんや。立派な家、建ててくれや」

「ありがとうございます! 本当に感謝しています」

 妻の言いっぷりは、あまりにも男前だ。信頼のおける相手に接するときの態度だった。

 そして、そういった妻の、人や会社を見る目は、確かなものだということも経験的に知っている。良い人だと言う人は間違いなく私が見ても、おそらくは社会通念上でも善人だ。逆もまたしかり。妻はいまこそ専業主婦だが、若いときに社会の荒波に揉まれた経験から、人を見る目が異様に肥えている。一見、慇懃いんぎんな態度を取っていても、腹黒い人間を見抜く慧眼が備わっている。そして、私を救ってくれたこともある。

 だから、姫総デザインは優良店だ。そして優良店の社長である姫野淳も、いかがわしいことはない。記事の写真は少なくともでっち上げだが、内容も捏造ねつぞうであると結論付けた。


「ほんまはな、あんたの会社が風評被害を受けとること、知ってたんや。でも、ここ何回かの付き合いで、姫総さんは悪い会社やないことはあたしが身をもって感じたんや。あたしと旦那が無実を証明したる」

「え?」

「実はな、あたしたちは客でありながら、探偵として調査も兼ねとったんや。依頼内容の詳細は言えんけどな、結果はシロや。あとは任せときや」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る