2‐9

 その後、写真を見せながら顛末を説明し、ようやく事情を理解してくれたのは、弁明を開始して小一時間が経過したころだった。

 強烈な右フックだった。がジンジンと痛む。妻は頭も切れるが、運動神経も桁違いに良い。天はこの女性に、明晰な頭脳、優れた身体能力、そして類稀たぐいまれな美貌と、3物を与えたが、激しい気性という余分なものまで与えてしまったようだ。


「悪かったなぁ。でも違うんなら、もっとちゃんと違うって言えばええのに」

「いや、尾行中なんだ。大声出したら調査対象者にバレてしまうから」

「なら、電話取らんけりゃええやろ?」

「でも、大体電話かかってくるのって急ぎの案件かなと思って」

「調査を妨害する気はねえよ。そりゃ電話出なかった瞬間は、『出ねえのかよ、ワンコールで出ろよゴラ!』ってめちゃくちゃイライラするねんけど、LINEか何かで、後でかけ直すとか言うてくれたらええ」

 やっぱこのひとは、電話に出ないと、しかもワンコールで出ないとキレるらしい。後でかけ直すって言えば本当に怒りが収まるのか、逆に不安になった。

 気持ちを切り替えよう。妻の用件は途中までしか聞いていない。

「で、土地を迷ってるの?」

 何か、本当に土地を購入する雰囲気になっているが、この状況で話を聞かないわけにはいかない。どうせ、ダメと言っても決める人なんだから。

「これがな、姫総デザインの建築条件付き土地なんやけど、これは、稲毛駅徒歩8分の土地、こっちは作草部さくさべ駅徒歩10分の土地、これは幕張本郷まくはりほんごう駅……」

「高っ! 坪単価85万って!」

「こんなもんよ。これでも安く譲ってもろてるらしいねんけど」

 安いことは期待していなかったが、予想以上に高くて驚いた。

「でな、美浜みはまも考えたんやけどな、埋立地は液状化現象の危険もあるし、ちょっとあかんかなと思うてな」と付け加える。

「結局姫総デザインにするの?」

「あ、聞いてや? 実はな、今日、大東京ハウスにも行ってみたんや。潜入捜査を兼ねて、海浜幕張かいひんまくはり支店にな。あっこはあかん。土地は狭いし、そのくせ高い。54坪の土地がありゃ、せめて普通2等分して27坪で売るやろ? でも3等分にして18坪やぞ? 狭すぎるやろ! 鉛筆みたいな建物を建てさせる気や。そのくせ土地の価格は2等分や。3等分やない。土地相場の1.5倍と見た。家は10坪でも立派なのが建ちます、とか何か言って、暴利を貪ろうとしてやがる。兄ちゃん、ほんまにあんたはそう思うてるのかって聞いたわ。10分くらい問い詰めたら、いや、本心じゃありませんって、ゲロったわ。ほんま、悪徳ハウスメーカーやで? 思わず、『願い下げや!』って言うてまった」

 妻が力の限り罵倒している。イライラしていたのは、このやり取りがあったかもしれない。そして、今日、私が車を使えなかった理由も判明した。まさか潜入していたとは。

 しかし、10分も店員を尋問して本音を吐露させるなんて、なかなかえげつない。その店員に少し同情してしまった。

「でも、あんな好かん住宅メーカーでも、やっぱCMで名が知れとるだけあってな。お客さんはぞろぞろ入っとったで。みんな、有名だし、実績もあるし、だから安全で安心とおもてる。あんだけ、高額な広告費を出せるだけの理由がどこにあるのか、あたしみたいな関西人は考えてまうんや」

 妻の愚痴は尽きないようだ。こりゃ話長くなりそうだな、と思ったときだった。

「でな、こっからが本題や。あたしが『願い下げや!』と言うたらな、さすがに若い兄ちゃんじゃ手に負えんくなったみたいでな、上司らしい40歳くらいのおっちゃんが出てきたわ。副支店長って書いてあったな。あたし、ズバリ聞いたんよ。『姫総デザインってどう思う?』って」

「まじで?」

「そうよ。もちろん、依頼のことは話さへん。あたしは客だから、姫総デザインと迷うてると言って、おっちゃんが何て言うか、出方を見たんや」

 一瞬ヒヤリとした。探偵は依頼内容を他言してはならないからだ。しかし、大胆な手を使う。妻は続ける。

「そしたらな、いきなり姫総デザインのことをディスり始めたで。あっこは安い分耐震性がないとか、土地を買い占めて住民のハウスメーカーを選ぶ権利を奪ってるとか。もちろんそんなことでなびかへんかったけどな。たぶん、会社本部から言われてるんや。千葉で姫総から顧客を奪い取れ、って」

「何か、本当に目の敵にしてるね」

 依頼人のJKの言っていたことはやはり本当のようだ。

「そうよ。でもあたしは姫総だね。家建てたら口コミで書いてやるよ。大東京ハウスと比べた結果、姫総にしました、って。姫総の社長さんと、大東京ハウスの社長。同じ大学の同級生やし、負けたらあかんという執念を感じとんねん、嫌がるやろうなぁ」

 妻は、してやったりというような表情をしたが、私には看過できない情報があった。

「同級生なんか?」

「え? あんた知らんかったの? ガリツマちゃんがHPに書いてある情報やって教えてくれたで?」

 津曲と妻がいつの間にやり取りしていたのかと驚いたが、同時に、津曲が以前言った『俺の勘』はこの情報が根拠になっているのかもしれないと思った。

 妻は続ける。

「ちなみに、大東京ハウスには『我妻』と名乗っとらんで安心してや。『松川まつがわ』にしとっから」

 妻が潜入捜査に使う偽名だ。我妻を逆から読んだものだ。どうせなら、鈴木とか佐藤にすればいいのに、と思う。



 そして明くる日の日曜日も尾行だ。その日の尾行には、サウザンド・リーフズの探偵はいなかった。

 その日は、日曜日だからか、一日中来客対応や打ち合わせなどで調査対象者は多忙を極めており、昼休みを除いて外に出てくることはなかった。

 今日は昼休みは純粋な昼休みであり、外回りに出かけることはなかった。仕事を夕方6時半ごろに終え、まっすぐ帰宅の途に就いた。


 私は調査報告書の取りまとめに入ることにした。いろいろもやもやすることはあるけど、依頼人の任務は全うした。

 あとはJKにいつ来てもらうかだ。一応相手は学生なので、日曜日か平日の授業後のどっちかだろうと思いながら、月曜日を迎えたとき事件は起こった。敵の行動が早かった、と依頼人の姫野耀から電話がかかってきたのだ。

『探偵さん、やられましたよ。週刊白鷺を買ってみてください』

 『週刊白鷺』と聞いて、非常に嫌な予感がした。発行元のしらさぎ社は、一昨日サウザンド・リーフズ探偵事務所で、津曲が目撃した出版会社である。

『今日、突然ですけど、学校終わったあと、夕方5時くらいにそっち行きますから』

 そう言って耀は一方的に電話を切った。耀は相変わらず一方的だったが、学校はサボらないらしい。


 一旦、津曲に店番を任せて、コンビニでその雑誌を開いた。そして驚愕した。依頼人が危惧する内容が明らかになるとともに、それがいちばん最も恐れていたシナリオだということを瞬時に理解した。

 とある見出しの記事だ。

 『悪徳工務店社長の夜遊びハーレム豪遊生活』

 姫総デザインの営業スタイルを『悪行』を称して、見開き2ページで綴られている。2ページ目には、あるキャバクラに座る男性の姿。暗い店内の上、白黒写真なので見にくいが、どこかで見覚えが、と思ったら、それは姫野淳ではなく私の姿が写っていた。一昨日行った『ナイトラウンジ・ドリーム』に間違いない。なぜ、サウザンド・リーフズの探偵が私を撮影していたのか、合点がいった。


 取りあえず購入し、津曲とこの情報を共有した。

「な? JKのお父さんにスキャンダル!? 本当っすか?」

「俺が調べた限りはない。そして、この写真はでっちあげだ」

「これは我妻さんじゃないっすか? よく見ると」

「俺がキャバクラに調査しているときに撮られたもんだ。芸能人なら嘘だってバレるだろうが、調査対象者は一般人だ。ましてや暗い店内で撮って、雑誌はモノクロだ。いくらでもでっち上げられる」

「ひどい話っすよ。許せんっすよ。JKが可愛そうだ」

「あんまり、JK、JK言うな。今日JKが来るんだから。俺までつられてJKって言いそうになる」

「マジっすか。うちらでJKの力になりましょう! JKの尊厳をかけて」

「だからJK、JKって言うな」


 相変わらず、ふざけているのか本心なのかわからない津曲だが、JKに対する憧れが彼女を救う原動力になれば、と思う。


 しかし、見出しには『悪徳工務店』と記載されている。どこが悪徳なのか。

 不動産業には私は明るくない。記事を見ると、土地の契約と住宅の契約を同時に迫る行為が姫総デザインで横行している、とのこと。そんなことあったのだろうか。


 突如、スマートフォンがブルブルと震える。キャバクラでの一件があって以来、私はスマホの振動に必要以上に震え上がるが、LINEメッセージだった。相手は妻。

 内容は、姫総デザインの建築条件付きで、場所も広さも価格も妻の希望にマッチした土地が分譲されるらしい。場所はJR総武線の幕張駅徒歩10分、南向き33坪の好立地。私は意を決した。

 LINE無精の私は、ぎこちないフリック入力をする。


 さて、どうJKを救おうか。私は依頼人を待ちながら考えていた。

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