2‐8

「待って、違うんだ。本当に誤解です!」

『調査と偽って、あたしと娘を置いて、風俗三昧やったとは、ええ度胸や……』

「だから違うんだ」

 いかに場違いだと思っていても情けない申し開きをしてしまう。隣のキャストだけでなく、スタッフ、客らの視線を感じるが、そんな体裁を気にしている場合ではない。

『よう分かったわ。帰ったら覚悟しとき!』

 釈明空しく一方的に電話を切られた。

 しばかれる……。絶望感に打ちひしがれた。

「だ、大丈夫? お兄さん……」対応する前からパニックになられては困惑したことだろう。キャストが声をかけてくる。

「すみません。家の事情です。あなたに非はありません」

「あの──、楽しんでくださいね。紹介遅れましたが、あたし、ユリカといいます」

「あ、ありがとうございます」

 それまでしっかり見ていなかったが、横のキャストは実に可愛らしく優しい顔をした嬢だった。もっと化粧の濃い、いわゆるイケイケドンドンなギャル風メイクの娘が『夜の蝶』になるイメージがあった。店内にはそういう嬢もいるが、ユリカと名乗るこの女性は違った。俗に言う癒やし系に分類される人なのだろう。

 本当に心の傷を癒やしてもらおうか、と思ったが、それでは妻への弁明が弁明ではなくなる。私は調査のために来たのだ。

「悪いけど、写真を一枚撮らせてください」

「え? 私の?」唐突な依頼にユリカ嬢は首を傾げる。

「いや、違う、違う。実は仕事で来ててね……」と言って、淳が先ほどまでいた方向を見てみる。しかし、そこには誰もいない。

 しまった。妻の横槍対応の間に、対象者を見失った。

「ごめんね。2つ教えて欲しい。あそこにグレーのスーツに赤いカッターシャツ着た人は誰かな? あと、さっきまでその人と喋っていた、青いポロシャツの男性はどこに行った?」

「お兄さん、警察の方?」

「警察じゃない。でもある人の依頼を受けて動いてる」

「た、探偵さん?」

「ま、そんなとこかな? ここだけの話にして欲しいんだけど」

「グレーのスーツの人は支店長さんです。青いポロシャツの人はさっき店を出ていったけど、あの人はお客さんじゃないと思いますよ」

 思わぬところから情報が得られそうで、期待が増す。

「青いポロシャツの人はよくここに来ているの?」

「よく来てますよ。詳しいことは分からないけど。この店、移転するんです。この店、住宅地から近いみたいで、近所の人からの風当たりも強いみたいです。市川駅の真ん前に移るって話ですけど」

 やはり淳は、この土地が住宅地になることを見込んで、支店長と交渉していたのだろう。少しでも、妻子を差し置いて、遊女とうつつを抜かしていたと勘違いして申し訳ないと思った。

「ありがとう。悪いけど、俺はあの人を追いかけなきゃいけない。精算をしたいからスタッフを呼んでくれないかな」

「は、はい」

 私はきっちりと1セット分の料金を支払うとともに、領収書をお願いした。業務で行っていることは、きっちり依頼人にもにも証明になければならない。

 ユリカ嬢はこんな私でもありがとうございました、と言ってくれた。

「今日は悪かった。店員さんには、あなたの対応はとても良かったと伝えておいたよ」

 気づくとサウザンド・リーフズの探偵もいない。いつの間に帰ったのだろう。取りあえず、淳の行き先について当たりをつけてみないといけない。店を出るとユリカ嬢が追いかけてきた。「探偵さん!」

 急いでいるのにわざわざ店の外に出て何の用事だろうかと思うと、ユリカ嬢は、

「青いスーツを着てた人見ましたか?」

「ホストみたいな見た目の男か?」

「そうです」

 サウザンド・リーフズの探偵で間違いないだろう。妙に服装が決まっていて目立っていた。

「それがどうかしたのかな?」

「その人も、何か用事だけ済ませて、1セットも終わらないうちにとっとと帰っちゃったんです。しかも『今日は遊びにいたわけじゃない』みたいなこと言って、お金も払わなかったみたいなんですよ。だからスタッフが怒っちゃって、探偵さんも同じように早々に店を出るから、何か知っていることはないか聞いてみてほしいと言われたんです」

「そいつは探偵だと思う。でも同僚じゃないし、知り合いでもない。私は個人事務所の人間だから」

 サウザンド・リーフズの探偵だということは、あえて伏せておいた。99%そうだと思うが、直接その男のことを知っているわけではないので確証が持てなかったのである。

「そうなんですね。同僚や知り合いだったら変だなと思いました。探偵さんもいろいろなんですね。ちなみにホストみたいな探偵さんは、あなたの写真も撮ってましたよ」

「え、そうなのか?」

「はい。目的はわかりませんが、気をつけてください。店長の話によると、青いポロシャツの人、一旦事務所に戻るみたいなこと言ってたみたいです。ちなみにホストみたいな探偵もさっきの青いポロシャツの人を追いかけて行きました。探偵さんもそうなんですよね? 頑張って調査してくださいね」

「ありがとう。でも、俺も探偵なのに、どうしてそこまで教えてくれるの?」

「探偵さんは、いい人だと思ったからです」

「えっ、あ、ありがとうございます」よく分からないがお礼を言った。

「だって、私のことフォローしてくれたし、あの、連絡先は交換できないと思うので、お名前か、せめてどこの探偵事務所の方かだけでもいただいてもいいですか?」

 何だ、この急展開。いきなり、妙に積極的になられて、私は狼狽ろうばいする。

「我妻興信所の我妻と言います」取りあえずよく分からず名前だけは名乗った。

「我妻さん。もし、またポロシャツを着た人が来て何か動きがあったら、事務所調べて電話します」

 それはありがたい。私自身、変な調査依頼で気になっていたところだ。些細な情報でも助かる。ユリカ嬢は続ける。

「今日はありがとうございました。また来てくださいとは言いませんが遠くから応援してます。ホスト探偵に負けないで頑張ってください」


 時刻は夜7時45分頃になっている。ひとまず、事務所に戻ったという話なので、姫総デザインに再び向かう。

 調査対象者を完全に視野から消してしまったことは申し訳なく思いつつ、焦っても仕方がないという気持ちから安全運転で国道14号線を千葉市方面に東進する。

 すると、いきなりスマートフォンが震える。まさか妻かと思い、その瞬間、車ごと浮き上がるくらい驚いたが、Bluetoothで連動しているカーナビには『津曲創』との表示だ。そうだ、彼は何かを思いついて自分で調査を進めていることを思い出した。

『もしもし、我妻さんですか?』ハンズフリーなので受話音が大きな声が車内に響く。

「何だ?」

『サウザンド・リーフズに来てるんですけど、臭いますね。事務所に某出版会社の人間がいっぱい入っていきましたよ』

「某出版会社?」

『しらさぎ社ですよ。知ってますよね? あの有名な』

 全然でも何でもないじゃないかというツッコミはここではやめておく。津曲は、調査モードになると意味なく畏まった表現をすることがある。

「名前くらいは知ってるけど、よく分かったな。でも今回の件と関係があるのか?」

『車に社名が書いてあったんで分かったんすよ。今回の件とも大アリっす』

「どうしてだ?」

『大東京ハウスの人間と一緒に入っていったんですよ。大東京ハウスのロゴの社用車も停まってたんで間違いないっす。これは無関係とは思えないっすね!』

「えらく断定的だな」

『そりゃそうっすよ。あ、前にちらっと言った、姫総の社長さんが週刊誌の記事を正したってやつですけど、その週刊誌は実はしらさぎ社のものだっていう因縁もあったりして……』

 それはただの奇遇なのだろうか。この一件に関わる一見無関係に見える様々な登場人物たちは、不思議な合縁奇縁で繋がっているというのか。

「用件は分かるか?」

『そこまでは分かりません。依頼しに行くわけでもないのに、事務所の中まではさすがに入れないです。せめて駐車場で立ち話でもやってくれりゃいいんですけど、それもなかったですね』

 なるほど。詳細は分からないが、確かに怪しい。このタイミングでサウザンド・リーフズ探偵事務所に、姫総デザインの競合他社が訪れるとは。それに、大手出版社の存在も気になるところ。

「車の写真は撮れそうか?」

『もうバッチリ撮ってますって。サウザンド・リーフズ探偵事務所の看板をバックにしらさぎと大東京ハウスの社用車。そして、双方の社員が一緒に事務所に入ってく様子も』

「グッジョブ!」

 純粋に津曲を褒めた。何か調査の役に立つか分からないが、依頼のすぐ傍で胡散うさん臭いステークホルダーがうじゃうじゃいるような気がしていた。しかも、ユリカ嬢の話によると私の写真まで収めていると言うのだ。何が目的か分からない不気味さがあった。依頼人のJKの意図もよく分からないままだ。

 津曲からの情報から推察されることは、ライバル社の大東京ハウスが、探偵に依頼して、姫総デザインの動向をチェックしているということだ。あまりない依頼ではあるが、まったくないわけではないと聞く。業務内容の専門性から探偵に調査させる内容でもないような気がするのだが。

 気持ち悪いのは、出版会社の存在だ。しらさぎ社は週刊誌やマンガ雑誌を出版している会社だ。『週刊白鷺はくろ』は書店どころかどのキオスクでも見かけるほどメジャーな雑誌だ。

 調査情報をそのまま週刊誌に掲載するつもりだろうか。しかし、週刊誌掲載に値するようなスクープが、千葉のローカル工務店にあるのだろうか。

『あの純真無垢なJKを、悪徳ハウスメーカーから守りましょう』

 JKが純粋無垢なのも、大東京ハウスが悪徳ハウスメーカーというのも、大いに津曲の偏見が混じっている上に、直接的に住宅メーカーがJKに危害を加えていると考えるのは論理の飛躍だろうと思ったが、運転中にツッコミを入れることほど億劫なことはないのでさらっとスルーする。

「ご苦労さん。参考になったよ」


 結局、淳は事務所にいた。作業を少しやり、午後9時くらいに事務所を戸締まりし、自宅へと帰っていった。不審な動きは特にない。ちなみに、サウザンド・リーフズの探偵と思しき人間も見かけない。

 しかし、収穫はあった。依然として気持ち悪さはあるものの、日曜日の調査で何か明らかになればと思い、表には出さないものの心の中では意気揚々として、自宅マンションに到着した。

「ただいま」

 その瞬間、玄関の見えないところから右フックが飛んできた。完全に油断していた私は、衝撃を顎に派手に受けて、盛大に後方の玄関扉に衝突する。

「強、お前、何しでかしとんじゃー!!」

 金剛力士像然とした形相で目に見えそうなほど怒りのほむらを身にまといながら、立ちはだかる妻を見て慄然りつぜんとしたのは、げんたないことであった。

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