2‐4

 土地情報をコピーしている間、リモートで打ち合わせをしていたと思われた淳が、突如席を立った。スマートフォンと長財布、それに小さな黒いかばんらしきものを持っている。しまった。昼食は外に出るのか。

「ごめん、あとは頼む」

 妻にささやいて、私は淳とともに店を出た。

「あれ、ご主人さん?」

 コピー中の大家は当然ながら怪訝けげんな表情を見せる。しかし、依頼人との約束は果たさねばならない。


 てっきりベイタウン周辺の店で買うか食べるかするだろうという読みは、思い切り外れた。私用車だろうか。外に停められていたメルセデス・ベンツの車に乗り込んで、どこかに出ていく。

 私は見失わないように慌てて原付に乗る。万が一のことを考えて、原付を持って来ていて良かったと胸を撫で下ろす。


 彼はどこに向かうのだろうか。尾行に気づかれず、かといって撒かれない微妙な距離感を意識する。淳との車に1、2台は挟ませているが、信号が近付くと、私だけが赤信号に捕まらないように距離を縮める。


 妻は大家をうまくごまかしてくれているだろうか。一抹いちまつの不安を感じながら、尾行する。車は北に向かっている。とっくに花見川区だ。こんなに遠いところまで食べに来るのだろうか。

 いや待て。彼はスマートフォンと長財布とは別に、小さな鞄を所持していた。よくよく考えると、長財布とかを中に入れていないところ不自然だ。鞄には何が入っているのか、と考えたときに、軽食が入っている可能性はないだろうか。10月下旬とはいえ、今日みたいに暖かいと車中はかなり暑くなる。通常、その中に食料を置いておくことはしないとなれば、鞄の中には食料が入っている可能性がある。


 となると、車の中で運転しながら、昼ごはんを食べているかもしれない。急な外回りが入ったのだろうか。でないと、こんな遠いところまで来るのはおかしい。


 何とか撒かれることなく尾行し続けること20分。6台くらい停められる、あまり舗装のされていない月極駐車場に入っていった。ここは八千代やちよ市の勝田台かつただいのあたりである。

 勝田台と言えば、京成本線の勝田台駅や東葉とうよう高速鉄道の終着駅である東葉勝田台とうようかつただい駅がある。東葉高速鉄道から東京メトロ東西線に乗り入れ、乗り換えなく日本橋にほんばし飯田橋いいだばしなど都心にアクセスできることはさることながら、日本の鉄道路線のワーストクラスの混雑率を誇る同路線を座って移動できるメリットは大きい。さらには、勝田台駅(『東葉』のついていない方)からは、津田沼や船橋方面、反対方面だと成田空港へのアクセスも良く、住むには人気のスポットだと思う。


 月極なんて、こんなところに駐車場を契約しているのだろうか。そんなことを思っていたら、そこに年老いた男性がやって来た。窓越しに会話を交わし、駐車位置を指差し確認をしている。そして、指示されたと思われる場所にバック駐車する。ということは、この駐車場を契約しているのではなく、たまたま空いているところに停めているだけなのだろうか。


 そして、淳は車を降りると老人と何かを話し始めた。どこかに移動するわけでもなく、その場所に留まって立ち話だ。途中途中、駐車場の中であちらこちら移動することはあるくらいだ。

 その様子を見て察した。老人はこの駐車場の土地の持ち主で、淳はこの土地を買い取ろうとしているのだ。買い取って、姫総デザインの建築条件付きの土地にでもするのだろうか。


 パッと見た感じ、駅から徒歩12~13分くらいの好立地だ。でも想像だが、勝田台駅を利用するには若干遠いように思う。区画整理されたような住宅街で、月極駐車場としてのニーズは高くないのかもしれない。見たところ他に停まっている車は1台しかない。そして舗装状況も良くないのであれば、いっそのこと住宅用に生まれ変わることを、この老人は決意したのかもしれない。

 その情報をどうやって姫総デザインは手に入れて、老人との交渉に漕ぎつけたのかは分からないが、千葉に密着した工務店であれば、地元住民の口コミなのかもしれない。比較的高値で買い取って、利益を度外視して新しい買主に提供しているのだろうか。そうやって、地道な活動を続けてきて、地域の信頼を勝ち取っているのかもしれない。


 そんなことをあれやこれや想像しながら観察していると、気になる人物が電柱に隠れているのが見えた。その男は私と同じようにその光景をまじまじと観察している。何となくだが同業者っぽい。カメラで撮影しメモを取っている。調査対象者は誰だ。老人? 姫野淳? いや、まさかの私自身?

 15分くらいの立ち話の後、淳は車に乗り込み、駐車場を出る。私も慌てて原付にまたがり尾行すると、その男も車に乗り込んだ。そして、その車は見覚えがある。私がここまで尾行していたときに、近くを走っていたのだ。


 間違いない。この男も誰かを尾行している。老人ではないことはここではっきりしたが、そうなると淳か私ということになる。

 私は、尾行されるような覚えがまったくない。浮気の『う』の字すら縁がない。もともと女っ気が少ないが、それ以上に妻が恐すぎて想像するだけでも無理だ。


 では、姫野淳なのだろうか。それはそれで意味が分からない。

 あのJKが私だけでなく、他の探偵にも同じく調査させているのだろうか。でも、そんなこと考えにくい。調査費がかさむし、万が一、複数の探偵に調査させているのなら、同じ日の同じ時間に調査させないだろう。どう考えても非効率すぎる。

 ひょっとして、私一人では頼りなかったのか、という可能性にたどり着き、切なくなったが、それであれば、他方の探偵事務所に複数人で尾行させれば良いだけだ。


 あまりこんなところで同業者に出くわすことがないだけに、困惑している。でも、何となくだが、あの男を見たことがあるような気がした。そしてその男の車もついてきている。


 淳の車は事務所に戻っていった。契約のパーキングに我々の車はない。妻と杏は帰ったのだろう。さすがに私だけ再入店するのは不自然なので、店の前で張り込みをしていた。そして、同業者と思しきあの男の姿もあった。その男の行動を観察していると、私ではなくて姫野淳を見張っているように見える。自分が調査されていないことに安堵あんどしつつも、依然謎は残る。どうして張っているんですか、とか、何か分かったことでもあるんですか、とか聞けるはずもない。

 ここからは長い闘いになる。尾行や張り込みは探偵の日常的な業務だが、帰宅するまでとなると、あと9時間くらいは見積もっていないといけない。調査対象者を見失わないように、長時間待ち続けるのは、仕事とは言ってもなかなかこたえる。トイレも極力我慢する。今日は快適な天候なのがせめてもの救いだ。


 こんなとき、大手の探偵事務所なら、交代して複数人で張り込みができる。(我妻興信所うちにも津曲がいるが、事務と相談受付を任せているので、それこそトイレや妻からの急な要求時などの緊急要員である。)

 そういった大手の羨ましさを感じつつも、実はかくいう私もかつては大手の事務所に所属していた。しかし、ノルマ重視、利益重視の会社だった。依頼人の気持ちを踏みにじるような高額な料金設定、基本料金はもちろんのこと成功報酬も高額だった。そんな社風に嫌気が差して、辞めて個人事務所を設立したのだ。

 よく見ると、同業者の男から違う男に換わっている。もしかして、さっき男は、私が昔所属していた当該大手探偵事務所『サウザンド・リーブス探偵事務所』の探偵ではなかろうか。大手なので、多くの探偵がいたが、その中の一人のような気がした。もちろん直接的な付き合いはないが。

 そして交代した男も同じ事務所の探偵なのだろう。私からすれば、大手って言うだけで、これと言って調査能力の高い事務所ではない。むしろ先述のように高額のため、おすすめはできない。


 やはり、姫野耀がサウザンド・リーブス探偵事務所にも依頼したとは考えにくい。いくら人気工務店の社長の娘と言っても、ほいほい貯金を調査のためにはたけないだろう。

 では、他に依頼者がいることになる。そしてそれは、おそらく耀とは別の目的で行われているのだろう。


 午後5時を過ぎて少しずつ暗くなりつつある。しかし、調査対象者に動きはなかった。すると、いきなり何者かが私に話しかけてきた。

「お前、こんなところで何をしているんだ!?」

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