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 そして、その24日はやって来る。

 あくまで、調査をしに行くのだ。それを悟られないように細心の注意を払わなければならない。

 一応、事務所にずっといるとの話だが、もし打ち合わせ中に急用で調査対象者が外出したらどうするのか、という懸念もある。


 事務所は、興信所からさほど離れていなかった。自家用車は店舗近くの契約の有料パーキングに停める。しかし、何かあるといけないので、妻と杏とは別に、私だけは原付で店まで来た。普段ちょっとした買い物などで妻が使っているものを拝借した。今日は晴天、ポカポカ陽気だったので助かった。

 幕張ベイタウンのビル群の一角にあるというところは共通しているが、うちの事務所とよりもずっとオシャレで明るい雰囲気の事務室である。


 我妻と名乗ったら興信所の人間とバレてしまわないだろうか。

「我妻様ですね? お待ちしておりました」

 名前はすでに割れてしまっている。予約のときに妻が名乗ったのだろうが、私なら偽名を使う。さりとて、それを咎めることはできないが。

「わー、オシャレな事務室ですね! カフェみたい。しかもキッズスペースもあるし」

「オモチャがある!」ハイテンションな妻に同調するかのように、2歳のあんは全身で喜びを表している。


 今日の妻は相当テンションが高いのか、よそ行きの服装に磨きがかかっている。ワンピースと黒ショートブーツでしっかり決めている。自他ともに認める美人で、一つひとつの行動に自信がみなぎっているように見える。


 さて、ルンルンの妻をよそに、私は調査対象者を見つけた。最近の流行りなのか、スタッフのワークスペースはオープンになっている。そして打ち合わせスペースは個室ではあるが、大きな室内窓で打ち合わせ部屋からワークスペースはしっかり視認できる位置にある。これは好都合だ。

 ひょっとして、そのことも前もって確認した上で、妻は予約したのだろうか、と私はふと思った。


 対応してくれたのは、30歳弱と思われる爽やかで若い好青年。名刺には、宅地建物取引士の資格。名前は大家おおや善建よしたけと言うらしい。

「本日はお越しいただきありがとうございます。まず、単刀直入にお聞きしますが、どのような家を建てたいとか、場所はどこが良いとか、ご希望はありますか?」

「そうですね。立地はやっぱり買い物と都心へのアクセスの利便性を両方とも重視します。総武線沿線がベストですが、土地の価格次第では、京成電鉄、千葉都市モノレール沿線もありです。でも京葉線沿線は、液状化現象の危険性が報道されたので、できればやめたいですね。土地は25坪以上で南向き。間取りは子どもが二人いるので3LDK以上で、狭小地なら3階建てでもOKです。LDKは20畳以上は確保したくて──」

 まさしく、立て板に水のごとく、妻は希望を言い連ねている。大家もメモをとるのに必死だ。

「すごいしっかりしたビジョンがあるんですね。よく調べられている。ちなみにご予算はおいくらまでとかありますか?」

「土地込みで7500万円までです」

「え?」私は思わず、調査そっちのけで声を出してしまった。聞き捨てならない言葉だ。

「それはすごいですね! 立派な家が建ちますよ!」

「あら、ほんと? 早速おすすめの土地を紹介してくださる? 千葉市内ならベストは稲毛いなげ区。難しいなら花見川区とか中央区でもいいよ」

 話がトントン拍子に進んでいる。

「ま、待って!? 7500万っていくら何でも……」

 しかし、妻は留まる様子を見せない。

「1階リビングは吹き抜けにしてドドーンと光を取り入れましょう。システムキッチンはアイランドかペニンシュラにして、パントリーと大きいワインセラーも欲しいね。あと、ユニットバスは人造大理石浴槽で。リビング階段はガラスでスタイリッシュに。主寝室には収納力たっぷりのウォークインクローゼットを付けてね! あと、ルーフバルコニーでバーベキューするのが夢なんだよね~」

「おー、素晴らしい! 僕たちも気合い入ります!」

 完全に大家と妻は意気投合している。

「私、そんなにお金借りられませーん。勘弁してくださーい」

 本当に実現しそうな高額な注文住宅に恐れをなした私は、白旗を挙げた。

「甲斐性なし! 夢がねぇな」

 思い切りけなされて、惨めな思いをした。だって、返済できなかったらどうするの。そもそもそんなお金、ローンの審査が通らないと思うし。


 ひとまず、土地情報を大家に提示してもらった。千葉市内外に多くの土地情報が並べられる。これらは全部、姫総デザインの建築条件付き分譲地である。自宅のマンション近くの土地もある。そう言えば、姫総デザインと書かれたピンク色ののぼりが立っていたかも。

「社長の姫野が、夢の注文住宅をお手頃な価格で提供して、千葉でシェアをナンバーワンにしたい、って夢を語ってまして、日夜土地を探してるんですよ」

 ここまではどうやら耀が言っていたとおりだ。

「ちなみに社長さんは、そこまで最近急に手を広げられて、大丈夫ですか?」ここで急に、妻が大家に質問した。

「大丈夫って、どういうことです?」

「忙しいことでしょう? 身体を壊したり、誰かの反発を買ったり……」

「ちょ、ちょっと?」

 妻はいきなり核心を突くような質問をしたので、私は大いに狼狽ろうばいする。

「ど、どうなんでしょう? 僕はただの従業員なんで……」

 そりゃそうだ。社長の個人的な悩みや揉めごとを、彼がしっかり把握しているとは思えない。初めて訪れたただの客が、こんな質問をぶつけてきたら不審がるだろう。

 しかし、大家は続けた。

「でも少なくとも、僕たち従業員は、社長のことを慕ってます。忙しくてもいつも僕たちのことを気遣ってくれるし、設計図やデザインにも一軒一軒丁寧に案を出してくれる。それでいて、家族にも愛されてると思いますよ。奥様もたまに事務所に顔出されてますし」

 客の前だから、社長の悪口は言わないだろうが、それでも大家の表情や口調からして、本心からそう言っているような気がした。

「ま、もしあるとしたら、ライバル企業さんは、姫総うちをマークしてるかもしれませんね。一般的に立地が良くて形もいい土地って、建売住宅を建てたがるんです。理由は簡単で、売れる見込みが高くて、建設コストが押さえられるから。だから、普通売られている土地って、妙に狭かったり、前の道が狭かったり、形がいびつだったり、そんなのしか残っていないことが往々にしてあるんです。理由は建売を建てられない、もしくは建てても売れないからです。でも千葉は社長の力で、いい形の分譲地が多いんです。それを建売に迫るくらいの安心価格で提供しようっていうんだから、千葉では他のハウスメーカーさんはやりにくいでしょうね」

「何で、建売って建設コストが抑えられるんですか?」

 私は純粋な疑問をぶつけた。家を建てるのであれば、どちらも一緒だと思うが。

「建売は、決められた規格の長さの木材を、切ったりせずに建てています。つまり余分な手間や不要な木材が少ないんです。壁紙もフローリングも窓も、ごく標準的で安価なものを使います。でも注文住宅は違います。お客さんの要望で、部屋を20 cm狭くしたり広げたり、規格とは違ったお客さんそれぞれのデザインになる。建売は量産品で注文はオーダーメイド。僕らからすると、同じ住宅でもまったく別の建物ですし、当然コストも変わってきます。

「なるほど」言われてみれば至極当然の理由だ。

「大手ハウスメーカーさんで注文だと、延床1坪あたり80万くらいかけて、それでいて部屋の大きさの微調整を許さないところもありますが、姫総うちはそれを全部叶えた上で、できるだけ建売に近づける努力をしています」と付け加えることも忘れなかった。

 妻が7500万と豪快な予算を提示したので、離すまいと必死にアピールしているのだろう。


 ふと、ワークスペースを見やる。危うく、調査対象者を見張ることを忘れかけていた。まだ調査対象者ターゲットは事務所にいる。パソコンに向かってヘッドホンをして何か話しているようだ。リモート会議でもしているのだろうか。

 早いもので、入店してから2時間近くが経過している。

「ここまで、具体的に間取りのビジョンが決まっているのなら、あとは土地さえ決まれば話が早いですね。ご予算も潤沢ですし。今日、土地をいくつかご覧になられますか? それとも今日は土地情報だけお渡しして、後日ご覧になりますか?」

 さて困った。今日土地を回るのは可能だ。みぎわの幼稚園が終わる午後3時に間に合うようなら、何箇所か見て回ることはできるだろう。しかし、土地を見て回ったら、姫野淳を追えなくなる。とにかく近くにいろという依頼だったからだ。だから、ここは妻一人で土地を見て回らせて、杏の面倒を見るという名目で私も店に残り、引き続き調査することも可能だ。ただその場合、急用で淳が外出したら、身動きがとれないのだ。他の店員に面倒を見てくれと、突然淳の外出とともにこの場を離れるのは怪しすぎる。かと言って、いつ泣くか分からない2歳の杏を連れて尾行はできない。もう一つ、勝手に妻が勝手に土地を決めてこないかも心配だった。旦那に相談せずに決めるのは、社会通念上考えにくい話だが、妻ならあり得る。なぜなら無敵だからだ。自分のインスピレーションを最も大切にし、善は急げと言わんばかりに重大事項を決定しまくる。

 理想は、姫野淳に土地を案内させることだが、ここでいきなり担当を変えろ、と言うなんて不審すぎる。じゃあ、調査を優先して思い切って、社長は今日は一日事務所にいますか、と聞いてみるか。

 しかし、何よりも私に一切の決定権がないのが辛い。


 あれこれ気をもんでいると、私の意見を聞かずして妻が言った。

「あ、でもお昼ごはんの時間なんで、今日はこれくらいにしときます。土地情報だけください。土地を見るだけなら、自分たちだけも見に行けますし、これっていう土地があったら電話しますから」


 淳の動向と、妻と大家の会話の内容、双方に気を取られていて、もう正午が迫っていることを忘れていた。

「分かりました。ではまた今度にしましょう。でも、いい土地は希望者が殺到しますから、お早めにご連絡を」

 大家は、さり気なく決定を急がせることも忘れなかった。

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