2‐2

 民法の改正で、成人の年齢が2022年4月に引き下げられたので問題はないが、それでも何となく気持ち悪さは残る。18歳と0日は、単独で訪れた相談者、依頼人の中で、間違いなく最年少だ。

 何を彼女は焦っているのだろう、と思いながら、とうとう10月20日がやって来て、彼女は眼前にいる。最初に来たときとは違って制服を着た状態で。

「今日は、制服なんですね?」

 わざとらしく聞くと、悪怯わるびれることなく彼女は回答した。

「ええ、あのときはJKだと悟れられたくないから、あえて私服で来ました。でももうバレてるんで、今日は制服です。午前中は休みます。契約が済んでから学校に行きますから」

 完全に開き直っている。これは、何が何でも依頼を受けなくてはいけなさそうな感じがして、詳しい内容を聞く前からげんなりした。

「結局法定代理人は見つからなかったんだね」

「どーしてもママにも他の人にも知られたくない依頼内容なんで」

「そっか」

「実は、あの日の後、他の探偵事務所も当たって、実は依頼を受けてくれそうなとこもあったんですよ。でも我妻さんが最初に言った言葉がどーも引っかかって、たやすく依頼を受けるとこには、まともじゃないような気がするようになって、だから18になるのを待って、我妻さんにお願いしようと思って来ました。正直、我妻さんがあんなこと言わなければ、もっと早く違う探偵さんに依頼をしていたかもしれないです」

 だから、早く依頼したかったのにできなかったのは我妻さんのせいなんですよ。責任取ってください、という言葉が言外に滲み出ていた。

「わ、分かりました。話を聞きましょう」



 相談者の名は姫野耀ひかり。成人になりたてのJKだ。白薔薇しろばら女学院じょがくいん高校3年生。東京の文京ぶんきょう区にあるいわゆる『名門お嬢様学校』である。

「父は前にも言ったとおり、姫総ひめふさデザインの代表取締役です。注文住宅専門の工務店で、千葉県内で最近シェアを広げてる会社です」

「なるほど。その社長のお父さんを何で調査するのかな?」

「これはあんまり言いたくないんですが、姫総うちの存在を疎ましく思ってる、ライバル社があるんです」

「ライバル社?」

「想像つきませんか?」

「恥ずかしながら」

 正直、住宅メーカー業界の対立構造になど明るくない。マンション住まいなのでお世話になる機会がなかったのである。

「『大東京だいとうきょうハウス』です。CMもバンバン流してるアレです。幕張ハウジングパークにも出してるでしょ?」

 会社名は知っている。しかし、住宅メーカーは数多くあるので、それがなぜ姫総デザインを敵視しているのかは、分からない。

「あーあー、ありますね! ダイ♪トーッ♫キョーッ♬ってやつでしょ?」

 急にここで津曲が割り込んできた。

「お兄さん、悪いけど、ライバル社なんでそのサウンドロゴ大っ嫌いなんです。しかも、めっちゃ音程外してるし」

 私は、あまりにも冷ややかなJKの対応に鳥肌が立った。年上の男性に対して、歯に衣着せぬ物言い。いつ自分の身に降りかかってくるかと思うと、先が思いやられる。

「そんなこと言わないでよ」

「キモ……」

 マゾヒスティックな津曲には、逆にJKの『塩対応』に快感を覚えているようだ。私には理解できない。


「えっと、話を戻そうか。大東京ハウスに敵対視されていることと、お父さんを素行調査することに何の関係があるのか、教えてもらえないかな」

「それは、調査結果を確認してから答えましょう」

 私は目が点になった。無理に教えてくれとは言わないが、ここまで明かされたら逆に気になるではないか。

 そもそもライバル社をマークしたいなら、ライバル社の人間の尾行なり身辺調査をさせるはずだろう。なぜに、自分の身内を調査させるのか。しかも18歳のJKが。

 もやもやした気分を抱えながら、私は話を進めた。

「素行調査って言うけど、調査期間はどうする? 数時間じゃあんまり信憑しんぴょう性のある調査にはならないと思うけど」

 素行とは、普段の生活状態や平素の行いを指す。浮気調査は、その現場の決定的瞬間を押さえれば調査終了だが、素行調査は短期間だけ調べても実態を掴むことはできない。そう言いながら相談者はJKだ。いくらお嬢様といっても、3日間が関の山だろう。そうたかくくっていた矢先だった。

「1週間、いやできれば2週間。日中から夜帰宅するまでの間でお願いします」

 再び私は目が点になった。

「いや、かなり高額になりますよ」

「お金ならいっぱいあります。お年玉とかおばあちゃんからたくさんもらってたんで」

「そういう問題じゃないですよ。大事に貯めてきたお金を、親の素行調査に使うなんて……」

 高額な依頼は歓迎すべきだが、それでもたった一人のJKからそれを搾取するのは、さすがに気がとがめる。

 しばらくの押し問答の末、まずは3日間。それで満足がいかなければ、延長を再度相談という話に落ち着いた。



「あー、疲れた」

 契約を終えて、姫野耀が辞去した後、私は深く溜息をついた。変わった依頼内容、変わった依頼人の属性、変わった依頼人のキャラクター。すべてが私を疲れさせる要素だった。

 調査は、勤務時間にあたる朝10時から帰宅までをお願いしたいとのこと。普段は幕張ベイタウンの一角にある事務所にいるらしい。曜日は金、土、日曜日。できれば、事務所に潜入捜査してほしいとのことだ。事務所は潜入できるところなのか聞いたら、この興信所くらいの広さだと言う。どう考えても無理でしょ、と言ったら、外で張り込みでも構わないとのことだ。

 なお、外回りに出ているときはしっかり尾行し、勤務後も行く先々しっかりついて行くこと、とのことだ。仮にそれが、風俗店だとしても……。

 周辺への聞き込みは電話調査は不要とのこと。ただ単に張り込みと尾行をしていれば良いとのこと。調査対象者がどこで何をしているかはキャッチしてもらいたいが、会話の内容までは把握する必要はない。探偵業を生業なりわいとしている人間からすれば、楽な内容といえば楽なのだが。

「でもいーじゃないっすか、我妻さん。美女JKにすっかり信頼されちゃって」津曲は呑気のんきなもので、他人事のように言う。

「探偵にとって、調査の意図が分かりにくいほど気持ち悪いものはない。単純な浮気や不倫調査の方がシンプルで、気は楽だ」

「何で、自分の親父さんなんて、調べさせるんでしょうかね? 自分で調べりゃいいのに」

 それは同感だが、よほど気になることがあるのだろう。娘が自分で調査するわけにはいかない。いくら身を隠しながら尾行しても、絶対いつかはバレる。

 探偵に調査を依頼するのは正解だが、なぜライバル社との競合にそれが必要なのかが、いくら考えても皆目分からなかった。



 結局その謎は帰宅してからも答えを見出すことができなかった。

「浮かない顔してんな?」

 妻は私の顔をジロジロ見ながら言った。「依頼内容で悩んでんのか?」

 やはりこのひとは鋭い。一緒に暮らしている家族とは言え、ここまで胸の内を読んでくるとは。

「『その通り、どうかお助けください、神様、仏様、サジコ様!』って顔に書いてあるで」

 悩んでいるのは事実だが、それは誇張しすぎだ。でもここで反論すると、怒りの鉄槌てっつい下賜くだされるので「はい」と一言うなずいた。ちなみに、『サジコ様』とは、妻の旧姓に由来する愛称である。


「依頼人と依頼内容は?」

 情報開示は当然の権利と言わんばかりに、問うてきた。

 こうなったらいくら押し留めても無理なのはこれまでの経験からよく分かっているので、諦めてかいつまんで話した。察しのいい妻のことだ。何かしらのヒントをくれるかもしれない。


「まじ? 住宅メーカー? 潜入捜査? なら協力するよ!」

 急に妻はテンションが上がった。

「はい?」

「決まってんやろ! 客として行けばええんや。実はあたし、姫総デザインって気になっとったんよ!」



 10月24日の金曜日から調査を開始することになる。

 実は、耀ひかりから連絡があり、金曜日に調査対象者の姫野淳は外回りの予定は入っておらず、土日に集中している客との打ち合わせに向けて、事務所で設計図の最終確認をしている、とのことだ。娘が父の行動を内偵するのも変な話だが、我々がしっかり調査ができるように、自主的にサポートをしてくれる。しかし、一方でその情報は信用しても良いのだろうか、とも思う。

「よし、予約取ろう。金曜日ならガラ空きやろ? きっと」

 私の意見を聞かず、妻はさっそく電話を入れる。

「あの、姫総デザインさんのホームページを見て、素敵な家だなって思って、話だけでも聞きに行きたいんですけど?」


 数分後、「よし、10時から予約取ったで」と妻はしたり顔を向ける。

 このとおり妻は決断も行動も早いし、勘も冴え渡るのだが、暴走しているのではないかと心配になることがある。言わずもがな尾行も張り込みも、調査対象者にバレないことが肝要なのだが、いきなりふところに踏み込み過ぎだろう。 


 しかし、自分の決断に絶対的な自信を持っている妻に、反駁はんばくする力は、私にはない。

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