Case 2 姫野 耀(Himeno Hikari)
2‐1
「はい、どーぞどーぞ。お入りくださいませ」
先ほどまで暇で出会いがなくて
どうやらタイプの女性なのだろう。アイドル好きの津曲は、あどけなさが残りながらもちょっと気の強そうな女子が好きだ、と求めてもいないのに勝手に教えてくれたことがある。
姫野と名乗る女性は、キリッとした気品のある顔つきだが、どこか幼さも感じられる。でも、間違いなく美形に入るだろうか。
確かに20代の依頼人は多くない。さしづめ彼氏の浮気調査といったところと思うが、津曲は既婚者じゃなければチャンス有りと思い込んでいるので、喜ぶのも無理もない。
「はじめまして。ここの探偵をやってます、我妻といいます」
相手は若いお嬢さんだ。努めて威圧感のないように話しかける。
「あ、どうも、姫野です」
サバサバした口調で再度名乗った。
「ご用件は?」
「さっきメールでも送ったはずですが」
「メールはつい先ほど届いたばかりなので、まだ読めていません。直接あなたからお聞きしたほうが早いのかなと」
この女性と私とでは、2倍くらいの年の差があるはずだが、物怖じせず返事をしてくる。
「そうですか。単刀直入に言いますが、父の素行を調べてほしいんです」
「ん? お父さんの素行ですか?」
「はい、そのとおりですが」
意外な依頼内容に少し面食らった。素行調査自体は珍しくない。しかし、その調査対象者は婚約者だったり、お金を貸した相手だったり、会社の社員だったり、たまに自分の子どもだったりすることもある。
娘から自分の父の素行を調査させるなんて、探偵人生で初めてだ。若く見えるが同居していないのだろうか。少なくとも、この女性の父親との関係性は訳ありなのだろう。
「差し支えなければ、詳しく事情を聞かせてくれませんか?」
「父はこの人です」そう言って、スマホの写真を私に見せた。「名前は姫野
女性は立て板に水のごとく話し出すが、序盤で既に引っかかる点があった。早めに確認せねばならない。
「あ、ちょっと待って。一つ先に確認したくて、失礼ですが、あなたは何歳ですか?」
「17歳ですが、何か?」
父親の年齢があまりに若いので、もしやと思って尋ねたら、その懸念が的中した。18歳、つまり成人にならないと、一人では依頼ができないのだ。
「未成年者なので、法定代理人が必要になります。ご両親、あ、お父さんは調査対象ですから、お母さんの同意が必要です」
「まじで?」姫野はあからさまに不機嫌そうな表情を見せた。
「でも、お母さんが契約の場に来てもらえば大丈夫です」
「……それは無理。ママに内緒で調査したいんです」
困った。それではいくら何でも引き受けられない。
「申し訳ありませんが、法定代理人がいないとお受けできない。これは民法で決まっています」
「例えば他の探偵事務所でも受けてもらえませんかね?」
「無理だと思いますよ。探偵事務所が変えたから適用される法律が変わるわけじゃない。仮に引き受けるところがあれば、まっとうな探偵ではないでしょうね」
「分かりました。でもどうしても調べてほしいんです。今日のところは出直してきます」
「ご期待に添えなくて申し訳ありません。できれば今度来られるときは、いきなり来られるのではなくて日程のアポイントを取ってください」
私は
相談者が退出した後、津曲が駆け寄ってきた。
「我妻さーん! かわいそうじゃないっすか!? せめて相談内容だけでも聞いて、法定代理人が見つけてもらって、あと契約だけするようにすればいいじゃないですか!?」
貴重なJD(ではなくて、この場合はJKか)との出会いを反故にされたことで、失意の底に沈んだような泣き顔で、津曲は抗議してきた。でもダメなものはダメだ。
「いや、相談内容は個人情報の塊だ。相談者が依頼人の条件を満たしていない時点で、知っちゃいかん内容なんだと、自分は思う」
「何ですそれ? 七面倒臭い。がっかりしてたじゃないですか?」
「法律の隙間を突いてまで依頼を受けるもんじゃないよ。ただでさえ、相談者はややこしい事情を抱えて来てるんだ。ルールを無視して依頼を受けて、何かトラブルに発展すれば、興信所の評判にも繋がるし、彼女のためにもならない。そもそも依頼条件を満たさない状況での調査は、不正な調査であって、調査結果には意味をなさない。それどころか調査対象者からストーカー行為だとか、個人情報の不正な取得だとか言われても言い逃れできないだろう」
「……」津曲はあからさまに
「ま、どんな事情を抱えてるかわからんけど、出直すって言ってんだ。きっと法定代理人を立ててくるさ。縁があればまた
しばらくまた沈黙が続く。三浦美羽が来てからストップしていた書類の整理の続きを、粛々とやっていたときだった。
「姫総デザインって、我妻さん、聞いたことありました?」津曲が話しかけてきた。
「いや」まださっきの女子高生のこと引きずっているのか、と思いながらも、口には出さなかった。
「実は俺、聞き覚えがあっていま調べてるんですけど、最近かなり千葉で手を広げてるみたいですね」
「何の会社だ?」
「建設会社です」
「ハウスメーカーか」
「どっちかというと地元の工務店ですね。千葉限定ですが、注文住宅専門でやってる最近人気の住宅会社らしいです。ほら、分譲地にこんな
津曲はノートパソコンの画面を私に見せてきた。ピンク色が特徴的な幟は、確かに見たことある。津曲は続ける。
「しかもこないだ、『がっつりマンデー』でも紹介されてたし、
『がっつりマンデー』は、経営が上向きの企業を取り上げる生活情報テレビ番組。桜岡悠華は元アイドルで、現在もバラエティー番組で活躍中の有名タレントだ。テレビに疎い私でも、その番組の名前やタレントの名前を知っているくらいだから、かなり認知度の高い工務店になってきているのだろう。しかも、週刊誌の記事にも意見して世間的な認知を動かせるくらいこの業界では影響力のある人物ということなのだろう。
「よく知ってるな。工務店っていっぱいあるだろうに」
「結婚後、一戸建てをどこで建てるか、できる男ってのは考えてるもんです! 我妻さんも、奥さんとお子さんのこと考えたら、いつまでもマンションじゃなくて、どーんと一軒家建てたらいかがっすか?」
「大きなお世話だなぁ」
『できる男』と自称していて痛々しい奴だ、と思うが、津曲の豊かな妄想は、ときに私の知らない物事をこのように補うことがある。
ところで相談に来たあの女子高生は、この住宅会社の社長令嬢ということになる。千葉の住宅事情に疎い私には皆目見当がつかないが、何で父親の素行調査を頼みに来たのか、気になるところではある。
†
そして2週間ほど月日が流れ、日付は10月16日になっている。
他の相談者、依頼人の対応に私は忙殺されていて、気に留めていなかったが、件のJKから電話がかかってきたのである。
「はい、我妻興信所で、あ、はい! はい!」
いつも
「10月20日の朝10時ですね! えーえー! しっかり空いてます! ぜーんぜん大丈夫ですよぉ! お待ちしてまーす!」
あまりにルンルンしているので気持ち悪いが、念のため確認する。
「あのJKか?」
「JKです! とうとう我妻さんもJKって言葉、使いこなしましたね!」
「君がしょっちゅう使ってるから、嫌でも覚えるわ! で、法定代理人が見つかったって?」
「確認してません」
「なん?」
驚き呆れて、素っ頓狂な声を出してしまった。確認しろよ、いちばん大事なところだろう。もしまた彼女一人だったら、無駄足をさせることになるし、何となくあのJKは往生際が悪そうに見えた。妻の影響なのか、昔から手こずりそうな女性に対する危機察知能力は研ぎ澄まされている、と私は思っている。(間違っても口には出さないが。)
10月20日と言えば月曜日である。普通に平日だと思われるが、学校をサボって来るというのだろうか。それに急いでいるのなら、18日、19日の土日でも良いはずだが、法定代理人の都合なのだろうか。しかし、おそらくそれは母だろう。母が学校を休んでまで興信所に行くことを容認したのだろうか。
何となく嫌な予感がしたので、聞き取った彼女の電話番号に電話をかけてみることにする。
「あ、我妻興信所の我妻です。姫野さんですね? あの法定代理人は──」
そういった瞬間、待っていましたと言わんばかりに彼女は反応した。
『あたし、10月20日に18になるんです。これで問題ないですよね?』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます