遡 今日子さんは悪戯をする

「愛美ちゃん!」


 おぅ。

 振り返ると体育館入口に今日子さんの姿が。


「愛美ちゃんどーしたの? お兄ちゃんが何か酷いことでもした?」


 いやいや、問い詰められてるのは僕なのですが。

 今日子さんは僕達の元へ駆け寄ってきた。


「あっ。今日子さん、今――」

「お兄ちゃん私、愛美ちゃんに聞いてるの」


 黙っててということだろうか。

 今日子さんの瞳は真剣な眼差しだ。


「わたしは今日子の兄貴に、どうなっているんだって聞いてただけだよ」

「どうって?」

「朝、喧嘩してたように見えたから――」

「ごめんね、愛美ちゃん。私達は大丈夫だから。ほらお兄ちゃんご飯まだでしょ? 戻ろ?」


 何をそんなにピリピリしてるんでしょうか。

 若干怖いんですが。


「今日子っ!」


 僕は今日子さんに腕を引かれ体育館を後にする。

 うーん。

 愛美さんを置いてきて大丈夫だったのだろうか。

 どう見ても今日子さんと友達のようだけど。


「お兄ちゃん朝はごめんね」


 えーと。

 謝るのは僕の方だった気がするんだけど。

 確か――意地悪な事を言ってしまった気が。


「んーん。違うの。私がお兄ちゃんの記憶を奪ったんだろうから、やっぱりお兄ちゃんから目を離しちゃダメだったの。もう大丈夫だよ?」


 目を離しちゃダメって。

 そんな無茶苦茶な。

 まさか――監視カメラでも付ける気かっ。


「それもありだけど前にも言ったじゃない。今までもこれからもずっと一緒だよって」


 少しゾクリとしたけど、


「ねえ今日子さん」

「なーに? お兄ちゃん」

「今までの僕達って――」

「仲良かったよ?」

「ふーん。でも愛美さんの言い方だと――少し違う言い方でしたけど」

「今は大丈夫だよ気にしないで?」


 何を気にしないでなのかな?


「とにかくご飯まだでしょ? 食べよ私もまだなの」


 僕は再び教室に戻り、弁当を広げた。

 けど、どうにも食が進まない。

 愛美さんの言うことも今日子さんの言葉も気になる。

 気になりますっ。


 それからは何を言われても上の空で、授業も耳に入らず、気付けばいつの間にか放課後も通り過ぎ自室で寝転がっていた。



 あれ……。

 いつの間にか帰ってきてたのか。

 何か忘れてる気がするけれど。


 それにしてもだ。


 やっぱりダメだ。


 このままじゃダメだ。


 記憶を元に戻さないとダメだ。


 周りの言うことが真実なのか嘘なのかもわからない。


 あの相合傘の日から、何となく日々を過ごしてきてしまったけど、記憶を取り戻して今日子さんとの関係性や訳のわからない力を調べてみようと、始めてちゃんと考えることにした。


 僕は今日までの考えをまとめて今日子さんと向き合おうと、彼女の部屋を訪ねた。


「今日子さん入っても?」

「どーぞー」

「お邪魔します」


 なんというのか、あの日を思い出すなあ。


「お兄ちゃん先ずは謝ってね。先生の所に来なかった」

「あっ」


 忘れてたのはこの事だ。

 僕はどうやら気まずそうにしていたのか、今日子さんが内容を教えてくれた。


「むぅ。朝のお姫様抱っこの写真の事で散々嫌味を言われたんだよ。いくら未だに独身だからって酷いよねっ」

「ははは……。ええと、明日行ってくるよ」

「それでどうしたの?」


 ふむ。

 えーと。そう記憶の事だ。


「今日子さん」

「それよりも座ってよ」


 今日子さんは自分が腰掛けてるベッドの横に来なさいと、掛布団をポフポフして呼んでいる。

 そこは気まずいのだけれど。


「いいからはやく」

「うわっ」


 今日子さんに力強く手を引かれ真横に座らされた。

 でも、確かに顔を見ずに話せそうだしいいのかな?

 にしてもゼロ距離は。

 今日子さんの体温がモロに伝わってきて緊張してしまう。

 家族なはずなのに家族じゃないからなのか。

 他人と思えば思うほど意識してしまう。


「お兄ちゃん熱すぎの燃えすぎじゃない?」

「あ、いや。さすがに近すぎですし」

「はいはい。離れますよっ」


 今日子さんは、数センチ離れてくれて続きを話してと促してくれた。

 主導権が握れない。

 ぐぬぬ。


「今日子さん」

「はいお兄ちゃん」


 うーん。やはり姿を見ながらは話せない。

 壁でも見つめて話そう。


「僕が持っていたはずの今日子さんの記憶を取り戻したいんです」

「ふむふむ」

「今日子さんの願い事の代償ってことですよね、これ」

「うーん。多分としか言えないけど。そうだと思う」

「何を願ったか分かりますか?」


 ふぅ。

 緊張した。

 汗だくのびちゃびちゃだ。


 今日子さんは「うーん」と考えている。


「お兄ちゃん、これは多分だからね?」

「あ、はい」

「今までこんな事なかったって、日付けを繰り返した日に教えたでしょ?」

「うーん。確かそうでしたね」


 少し前に教えてくれた。

 今日子さんは「もしかしたら違うかもしれないけど」と呟き、更に続けて今日子さんは、


「ただやっぱり私の一番の願い事って――『お兄ちゃんのお嫁さん』になることなの」

「…………」

「おにーちゃーん。フリーズしてるよ?」

「えーと」

「まあ――そうだよねー。今のお兄ちゃんにとっては妹というより同居人程度だもんね」


 同居人。

 家族。

 妹。

 同じ学校の生徒。


 うー。確かに突然引っ越してきた、初めましてよろしく的な親戚の女の子のような感覚?

 若しくは親が預かった友達の子みたいな?


「だからね今までの事はさておきだけど――また私の愛が通じてくれれば大丈夫かな? って今は思うの」

「そこまでなんで?」


 そうだ。

 これが不思議なんだ。

 一般的に考えれば近親婚だし同族嫌悪? は違うのか。

 わからないけど。

 兄妹で男女の愛情を持つってある種の遺伝子障害とかなんじゃなかったっけ?


「なんで? おかしな事聞くねお兄ちゃん。それは」

「それは?」

「それが運命で決まってる事だからだよ」

「え、は?」

「そうしないといけないの。じゃないと――」

「じゃないと?」

「うーん。これ以上はわからない。ごめんね」

「え?」

「とーにーかーく! 私はお兄ちゃんラブラブなんだってこと。オーケー?」


 オーケー? ってなんぞ?

 それだと記憶の問題も何も解決しないじゃないか。

 僕が視線を泳がし考えていると今日子さんは、


「無理に取り戻さなくても大丈夫だよ」

「でも結婚って」

「まあ、そうなんだけど」

「あまり深く考えると頭パンクするよ? いいじゃない、仮にお兄ちゃんに恋人が出来たとしても元々は他人なんだし――私とそう変わらないでしょ?」


 理屈だけで言うならそうなのか?

 確かに今の僕から見た今日子さんは他人だ。

 いくら妹だ、家族だと言われても、その記憶が無い。

 そう――十七年分の記憶なのだから。




「じゃあこれなら何を感じる?」

「え?」




 不意に僕の左手に温かみを感じた。

 僕は自分の左手に視線を送る。





「……」

 



 僕の左手。

 指の一本一本に。

 今日子さんの指が絡みついてくる。

 触ったことはないけれど蛇のように。

 僕の手を決して離すまいと強い意志を感じる。





「……」





 息が苦しい。

 心臓が痛い。

 石鹸の香りが鼻腔をくすぐ






「わかったでしょ? 続き――したくない?」







 ちょっと?

 続きってなになになになにっーー!

 顔がっ!

 ちかいちかいちかいちかい!







「はぁはぁ――ストップ! 待って今日子さんっ」

「むぅ。意気地が無いなぁお兄ちゃんは」

「あ、あたりまえ――じゃないですかっ!」

「あはは。お兄ちゃんは本当可愛いなあ。ごめんね冗談だよ?」


 な、何を言っているんだこの人は。

 とことんぶっ飛んでる。

 僕は息絶えだえでその場から逃げ出してしまった。


――もお。本当に……。


 何か言われた気がしたけれどすぐさま自室に戻り、僕は自分の感情に整理を付けられないまま夜を過ごすことになってしまった。


 ほんと、なんだかなぁ。

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