第23話 解けても動けず。

 弥太が蘇芳という伴連れを得て、三香月山の麓、鯉が淵の集落を目指し始めた其の頃、瑠璃姫と大天狗は、天と地の狭間の繋ぎである願いの大樹に巻き付いた蒼い巨大な龍と邂逅していた。


「主様よ。お久しゅうござりまする。再び相見舞えることが叶うとは思いませなんだ」


 瑠璃姫は目の前に天を衝くように伸びる願いの龍樹に恭しくお辞儀をした。


「永劫に近い時を廻らねば許されぬはずの吾を、お救い下さりまっこと望外の喜び成れど、今は火急の折、礼を欠くことお見逃し願い奉りまする」


 弥太を探しに動こうとした瑠璃姫を認めた龍樹は、巨大なその姿から溢れ出している神威の如き圧力をさらに強めた。


 大天狗は龍樹から溢れる天の神気に当てられ動けずにいるところに、更なる神威の力が加わり、山が上から押し潰そうとしているかのような重さに圧されて、遂には地に突っ伏した。


「ぐっ、こ、これは・・・・・・何とすれば・・・・・・小娘・・・・・・どの」


 このままではその身が潰されかねないと大いなる危機を感じた大天狗は、とてつもなく重い圧力に何とか耐えながら、必死の形相で瑠璃姫に助けを求め見つめた。


 瑠璃姫は弥太の許にすぐさま向かい、その全てを守り助けるつもりであったのだが、龍樹がそれをならぬと止めている。

 その圧倒的な存在を見せつけ神威の一端を振い、瑠璃姫に対しその行いを考えを誡めている。


 瑠璃姫は左手で震える右手を抑え、その全てを受け入れた。


「主様……弥太の行く手にはそこまでの・・・・・・吾の加護を寄せ付けず、山神様や太郎治殿の守りの手すら及ばぬ、更には主様が介添えされるほどの、大きな天意が働いておりまするか……」


 眉根に力を入れ小さく嘆息する翳りの有る余りにも美しい表情が、瑠璃姫の心情を大いに表していた。

 瑠璃姫は二人の花飾りをつけた童女姿の天女を顕すと傍に侍らせ、ふわりと宙に舞い巨大な龍の顔の前に佇んだ。


 真っ直ぐに巨大な蒼い龍の澄み切った大きな瞳を見つめながら、


「吾が救われたは、背負った運命に導かれし、弥太の魂がもたらしてくれたもの。ならばせめて、直にとは申しませぬ故、天意に背かぬくらいに、行く末を案じて些少でも何かさせてはくれませぬか?」


 と、切に切に全身全霊をもって語り掛けた。


 瑠璃姫から淡い光がきらきらと溢れ出でて辺りを照らし出し、その光が瑠璃姫の甘やかな声が発する言の葉の韻に容を与える。

 神たる身が全霊をもってかけた言の葉は、辺り一面に甘やかで優しい香りを運び、百花繚乱の花吹雪が如き花弁を辺りに巻き起こし、美しく煌かせる。


 如何なる荒ぶるものもその猛々しさをおさめるであろう、慈愛に満ちた甘やかさである。

 その甘やかな花びらを顔に受けて、巨大な蒼い龍の瞳に優しい光が宿り、その瞳が頷いていることに瑠璃姫は気付いていない。


 瑠璃姫は今にも息絶えてしまいそうな大天狗に目をやると、


「必ずや思し召しに逆らうようなことは致しませぬ。故に、御許し下さりませ。あれなる大天狗は神ならぬ身。主様が顕現されただけでも大弱りな所に主様の神威がこれ以上加わりますれば、その魂魄まで木っ端みじんに四散するは必定にて、何卒大目に見て頂きたく」


 と恭しく言上した。

 途端に龍樹から溢れる神気は和らぎ、大天狗は何とか身を起こし、天を衝く巨木に巻き付く蒼く輝く水の龍に声を掛けた。


「浄玻璃の姫御前を従える天の御柱様、お許しいただき感謝いたしまする。魔縁の者ではござらぬが、金剛身では有りませぬ故、御身が神気に抗えず塵芥になる処でござった」


 大天狗は大きくはぁと息を吐いて、胡坐をかくと両の拳と高すぎる鼻の頭を地に擦りつけて龍樹に伏した。


「天地を貫きその間を取り持たれる御柱様。この荒幡の権大師、天意に背くことなど決して致しませぬ。しかし、それがしも羽は有っても地に住まうものなれば、大地の御柱様に望まれればこの手を貸すことも御座りまする故、その旨はお許しくださりまするよう、伏してお願い申し上げます。そして何より、あの小さき河童にはそれがしは大いなる借りが御座ります。あの者の身にその魂に危急な何かが訪れた際には、身命を賭して手を貸すことをお許し願えませぬでしょうか?」


 大天狗は其の赤ら顔が青ざめて見える程、冷や汗をかいていた。

 その気になれば大天狗の存在など無かったことにできる遙か高みの存在の、その意に反するかもしれない事を願い立てているのだから、無理もない。

 しかし、龍樹はその言に何かすることも無く、静かにその姿を消しその気配を神気ごと持ち去った。


「はぁあぁぁあー」


 荒幡の権大師は辺りをギョロ目で見渡し、大天狗らしからぬ間の抜けた安堵の声を大きく漏らして、腰砕けに仰向けに倒れた。


 龍樹のその巨大な神気は無く、願いの大樹と浄玻璃の泉は何もかも無くなり、泉があった跡には輝く白砂が辺り一面に溢れる場所となっていた。

 その様相を見て瑠璃姫は、紅天銀花の櫛を握りしめ、袖口でそっと目を覆うと一粒の涙を零した。


「ほんに、ほんにこの日が・・・・・・吾にこの日が参ろうとは・・・・・・囚われのこの身が許される日がこようとはの。弥太よ。全ては主のお蔭だと言うに、な」


 天を見上げて溜息を一つついた後、彼方まで広がる産霊の森に目を戻し、


「天意により吾は汝をこの手では助けられぬ。吾の眷属はすべからく皆蒼龍たる主様の眷属でもあり使えぬ。なれど、まだ手はある。僅かではあるがな」


 仰向けになっている大天狗にちらりと目をやると、決意に満ちた表情で弥太が進んでいる方角を見つめていた。

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