第5話 杜の運び手
太郎治は、大事なお預かり様である弥太を探して飛んでいた。燕の陰の如く飛ぶ葉っぱの上で、植物にしか聞こえない音色で語り掛けながら弥太がいないかを訪ね歩く。
全ての草木は太郎治の眷族である。眷族たちは太郎治のその意に添って問いかけにあるがまま答える。
野に咲く小さな草花も齢千年をこえる大木も、全てが太郎治の味方であり目で耳となって全てを見聞きし教えてくれる。
山神様のお導きにもあり、弥太の姿を捉えて産霊の森まで送り届ける事はそう難しいことではないと思っていた。
が、弥太のすぐ傍まで来ている筈だというのに、その影すら見つけることが出来ない。
辺りは深い深い水を湛えるところである。
杜の運び手である太郎治も水の中までは見通すことが出来ない。水の中は氷や火の次に苦手とするところでもあった。
苦手なればこそしっかりと目配りをと四方に気を飛ばし、水面を擦れ擦れに飛び、水の中迄目を凝らす。
弥太を探して下流へと向かう太郎治の表情は曇っていた。
穏やかならぬ表情で何やら強張っている。
先ほど、下流の大樹の森の遥か向こう側に黒い煤のようなものが立ちのぼっているのを見て取った。
あれは『穢れ』だ。太郎治が見紛う筈も無い。
『穢れ』が魂魄を汚し生気を喰らって啜るときに出る黒いものが煤のようにあるいは煙のように立ちのぼっているのだ。
黒い煤は生命の活力に惹かれるように流れてゆき、その活力の源である憐れな獲物の魂魄と其の身を汚し、見るも無残な『穢れ』にして仲間を増やし、全てを灰色の淵に追いやろうとする。
『穢れ』は生きているものを否定する。世の摂理から外れ過ぎているのだ。だから『穢れ』と皆が恐れる。
太郎治は葉っぱの動きを止めると、森の樹々に草に高らかに清らかな歌を、笛の音のような澄み切った歌声を奏でた。
風に乗って葉擦れの音が次々に木魂し、森の奥へ森の奥へと伝わっていく。
太郎治は『穢れ』のことを山神様の元へ急ぎ疾らせると、弥太を探し出すためにすぐに飛び立った。
『穢れ』は無垢なもの純粋なもので活力に満ちたものを特に好む。
そういうものの魂を傷付け穢れに変容させてしまうことを特に好むのだ。
活力ある幼きものを餌食にしやすい。
あのもの達は幼きものを穢れにすれば、明日へ繋ぐ力をそぎ落とすことになることをも十二分に知っている。
だからこそ太郎治は急ぐ。
弥太は純粋過ぎて活力にあふれている。恰好の的だ。
小さな小さな拳を力強く握る。
『穢れ』には葉脈の一筋すら奪わせない。
杜の運び手にして守り手たるのが己が矜持。
あらゆる生命に息吹と活力を与え育む『産霊の森』の運び手である太郎治の、決して揺らぐ事の無い心組みであった。
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