第2話 神域の守り主
弥太が磐座の向こう、千丈の滝へと流され落ちて、蔦の葉の上の小人が、笛を出鱈目に奏でているような声で騒ぎながら言い合いを始めていた。
その音色は躰に似合わず、そこそこに大きく、静かな山間の静寂な空気をかき乱し、あたりに響き渡っている。
「何事じゃ騒がしい」
重々しい声と同時に、がさがさと草木がゆれ、小人たちが一斉に振り向く。
そこへ小山ほどはあろうかという大熊が現れた。
この神域の守り主だ。
輝くように黒い体毛の所々に、鮮やかな緋色の毛がまだらに生えていて、炎が燃えているかのように見える。眼には穏やかな光が宿り、威厳と品格を備えている。
蔦の葉の小人たちは、その神熊を見るや否や、一斉にそしてばらばらに笛の音のような声で思い思いに語り掛ける。
「慌てているのは分かったが、おぬし等の話はただでさえ聞き取りづらい。皆にいっぺんに話されると何が何だかわからぬ。太郎治、うぬがまとめて話せ」
と守り主の熊の背辺りから、重々しい声が響く。
呼ばれた蔦の葉の小人太郎治は居住まいを正し恭しく大熊に礼をすると、震える笛の音で音楽を奏でるかのように語り始めた。
「なんと。弥太どのが磐座の向こう側へ流されたと。それは一大事」
と守り主の背中から、何とも珍妙な風体の茶色い老爺が飛び降りてきた。
この神域を治める山神様だ。
頭から足の先まで茶色で、ほうきのように無造作に括られた蓬髪と風にたなびきそうな長くて目が隠れるほどの太い眉をしている。顔の陰影を更に濃くするくらい皺が深く、茶色い着物は粗末な荒縄で結わえ腹まではだけてあり裸足だ。
山神様は緑の小人たちを見渡して、
「主ら、杜の運び手たるものが揃い踏みしておるというのに何たることかっ」
と一喝した。
雷のようなその声に大熊ですら顔をそむけ、小人たちは一様にうなだれ誰も言葉を発せず、太郎治が片膝をついたまま、事の仔細を静かな調べで伝えた。
山神様は大きな眉を八の字にして太郎治の話を一通り聞くと「ふうむ」と大きく嘆息して弥太の流されていった方を暫く見つめた。
そして、太郎治を見下ろすと
「結座石の向こう側へ渡るのを許す。弥太どのを迎えにすぐさま参れ」
声をかけると腰の荒縄にさしていた木の枝を小さく折って太郎治に手渡した。太郎治はそれを宝物でも扱うかのように、捧げ持って恭しく深く一礼した。
山神様は小さく頷くと
「穢れの大祓いが終わったばかりじゃ。何事かまだあるやも知れん。産霊の森が向こう側も続くとは言え、念には念を入れよ。颯の如く見つけ出せ」
と太郎治に伝えた。
太郎治は山神様に一礼すると、高く澄んだ笛の音のような声で山間に歌いかけ、その歌に応えたひょうと吹く一陣の風に乗ってひらひら舞う葉っぱに飛び乗った。
山神様は、
「弥太どのは恩方様より頼まれた大事な預かり様じゃ。しかと申し付ける」
と声をかけてその葉っぱにふっと息を吹きかけた。
息を吹きかけられた葉っぱは燕のように速く真っ直ぐに狼岩の磐座を超えて飛んでゆく。
山神様はとても力強い小さな背中を見送りながら独りごちた。
「外は無論のこと内側も守りの祈りをたっぷり入れた結界だったというに。何が駆り立てておるか。預かり様よ。何を背負っておられる?」
結座石に腰かけた山神様の足元には、鎧姿の武神の埴輪が数体、いかめしい顔をしたまま、頭の上に小さくてきれいな花をたくさん咲かせて転がっていた。
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