第9話


ガチャン


「あーやっぱ冬の寒さは堪えるなぁ。思ったより収穫も少ねぇし、散々だぜ。こんな日にゃぁ部屋に帰ったら熱燗で一杯やるのが一番だな。」


日付が変わる数分前、古ぼけたアパートの駐輪場では一人の男が自転車を停めながら独り言を呟いていた。

自転車の鍵は壊れているが、車体は鮮やかな赤色をしており、傷一つないところから新品同様に見える。草臥れた格好の男が持つ自転車にしては些か違和感が感じられる。


「こう寒くちゃ外に出る奴も少ないからなぁ。厳しい季節だぜ。」


やれやれと溜息を吐き、アパートに入ろうとする男の背後から声をかける者がいた。


「おじさん、これ、落としてるよ。」


声をかけた人物はパーカーのフードを目深に被り、顔を見ることは出来ない。その上、深夜ということで街灯が少ないこのアパートでは、パーカーの人物に言いようのない不気味さが漂っていた。

しかし、声をかけられた男は鈍感なのか、それとも大して雰囲気など気にしていないのか、特に怖がる様子もなく言葉を返していく。


「落し物ぉ?落としたって俺ぁなんも持って…。」

手ぶらでアパートを出、手ぶらで戻ってきた男に、落し物などあるはず無いのだが、パーカーの人物が手に持っているものを見て思わず言葉が止まってしまった。


持っていた落し物は、有名ブランドの財布だった。


“ さ、財布!!しかもよく見りゃ結構良いやつじゃねえか!!あのマークはブランド物を持たない俺でも知ってるぞ。…しめたぞ!誰のか分からんが、あいつは俺の落し物だと思っていやがる。パチっちまえばこっちのもんだ。外側も売ったらいい金になるぞ!”


瞬時に金になると判断した男は、慌てて言葉を紡ぐ。


「あぁ!あぁ!よく見りゃ俺のだ!!落としちまったのに全然気が付かなかったぜ!!それが無くなったら困っちまうところだったぜ。ありがとよ、兄ちゃんか姉ちゃんか分からんけども!」


自分のではないとバレる前にさっさと奪ってしまおうと早口で捲し立てるようにそう述べた後、ひったくるようにして財布を奪いアパートの中へと足を向ける。


「いえ、お役に立てたようで」


「僕も嬉しいです。」


そう言い終わる時には足元に男が倒れていた。背中には包丁が刺さっている。

「なっ、なんだ!なっ、おまぇっ、ぐっ…」

「流石に一突きじゃ死なないか…。」

「うー!!うーー!!!」


騒ぎ立てる男の口に布を詰め込み、軍手をした手で口と鼻を抑える。

なんとか逃れようと暴れているが、腐っても成人男性、運動不足の男1人の動きを封じ込めるのは簡単なものだった。


やがて男の反抗する力が弱くなったのが分かり、そっと男の上から退けると背中に刺したままになっていた包丁を抜き、ビニール袋に入れると自分の家へと帰路を急いだ。

真冬の深夜ということで、外を出歩く人は誰もおらず、すれ違う心配はない。

刺すような寒さが健人を包むが、目的を達成した満足感で気分が高揚し、何も気にならない。むしろ暑いくらいだ。


スキップしだしそうな気持ちを抑えてなんてことのないように振る舞うのがこんなにも難しいなんて。


優菜、待っててね。

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