第1話
✳︎
「ねぇ、あんたサークルどーすんのさ」
「うーん。どうしようかな……。桃子はどうするの?」
埼玉県立大学1年生の
「私はこれ」
桃子の指の先にはD’s BARの文字。
「何これ。お酒でも飲めるの?」
「そうじゃないわよ。バカねぇ。ディーズバーって読んで、ダンスのサークルらしいの」
「桃子ダンスなんかできたっけ?」
「出来るできないは関係ないのよ。サークルなんて人との親睦を深める場なんだから」
「なるほどねぇ。人との親睦を深める場かぁ……」
少しの間考え込んだが、気になっているサークルの目星はつけていたようで桃子が癇癪を起こすまでには至らなかった。
「これにする」
「あんた正気?」
「正気だよ。これにする」
彼女が選んだサークルは彼女の首についた鎖を緩慢に、しかし確かに地獄へと引き摺り込んでいた。
✳︎
埼玉県立大学は埼玉県越後市にある公立大学で東部スカイツリーラインであるせんげん台駅西口からバスで5分のところにある。
大講義室や中講義室がある南棟に隣接する学生会館には部やサークルの部室があり、彼女は『こたつ研究所』と書かれた表札を掲げた小さな部屋の前で逡巡していた。
「好奇心だけでこのサークルに入ってしまったものの……本当に大丈夫かな?」
今日の埼玉の最高気温は30℃。4月としては異例の猛暑日で、『密林の王』と称されるトラも動物園では水浴びをしてるあろうこの日に、こたつの研究をしている変人達と同類として扱われることに躊躇を覚えないものはいない。
──「やっぱり間違いだったって事で取り消してもらおう……」
そう決心した時、後ろから無垢な子供のように明るい声が聞こえた。
「
「え?」
「沙織さん?沙織さんだよね!?そうだよね!?待ってた!待ってた!待ってたよ!!僕、3年の
嬉しそうに手を差し出す祐介に断ることもできず沙織は手を合わせた。
「いやぁ、まさかこのサークルに入ってくれるなんて思わなかったよ!だって今日みたいな暑い日にこたつの研究だよ!誰1人だって相手にしてくれないんだから……。沙織さんほんっとありがとね!!」
今のうちだ、と思った。彼を止めるのは今のうちだ、と。沙織は彼のテンションを断ち切るような低く、暗いトーンで話し出した。
「あ、あの、ごめんなさい。その話なんですけど、やっぱりサークルに入るの取り消してもらおうかなって……」
祐介は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で寸刻動かなくなり、ようやく口を開いた。
「また僕1人になっちゃうのか」
大げさに肩を落とし、それから何も言わず振り返りその場を後にしようとした。
──ん?今なんて言った??
沙織は峻烈な違和感を感じ、祐介の丸く小さくなった背中に向けて言葉をかけた。
「ちなみになんですけど、サークルには祐介さん以外誰が入っているんですか?」
「え?誰もいないよ?」
あっけらかんと放つがこれは爆弾発言だ。サークルは基本的に3人以上メンバーがいないとサークルとして認められない。しかし、『こたつ研究所』は至極当然であるかのように公認サークルの枠の中で動いていて、部室も分け与えられている。これはどんなカラクリがあったとしてもそう簡単に容認できる事ではない。
「沙織ちゃんには特別に見せてあげる」
沙織の言いたい事が分かっているのか、突然そう言い出してスマホを触り、見せてきた画像を見て驚愕した。そこに写っていたのは入学して間もない沙織達にも周知されている妻子持ちの鬼教師、田中先生がラブホテルから若い女性と出てきた画像だったからだ。
「しかも、これが自分の教え子っていうんだから驚きだよねぇ」
「まさか……この画像で脅してサークルを公認のサークルに……?」
「そうだよ!僕って頭いいでしょ!!」
ニヒヒッと笑う祐介を見て思った。
この人は──『普通』じゃない。
沙織の人生は『普通』に愛されてきた。彼女を愛してくれるごく一般的な両親のもとに産まれ、勉強も、運動も、恋愛も、人に語れるほどドラマチックな出来事は1つも無かった。いつの頃からだろう……?『普通ではない自分』を渇望していたのは。だからこそ、この得体の知れないサークルに足を踏み入れようとしていたのだ。そして出会った。『普通』ではない人。『普通』ではない場所。
「私、入ります」
「へッ??」
「やっぱり私、サークル入ります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます