第396話:あきらめない

 重く、分厚い。

 歴史を背負う伝説を前に、ラックスは震えが止まらなかった。言葉を発しようにも、喉奥で潰されたように、呼気しか這い出てこない。

 それとてようやく、絞り出すようにして零れ出るだけ。

 呼吸すらままならない。

 このまま気絶した方が楽になれるのでは、そういう考えが過ぎるほどに。

「……っ」

 そもそもが過ぎたる役割であったのだ。王族に連なる者とは言えたかが学生の身分、しかも落ちこぼれの成績である。

 そんな自分が頂点に立つなど、伝説に並ぶなど、出来るはずが――

「……」

 そんな、王の圧に心が折れかかった自分の前に、何も言わずに槍を握り締めた騎士が戻ってきた。力強く、力の差を見せられてなおその足腰は揺らがない。

 その立ち姿が、その背中が、

「……駄目ですね、私は」

 自分が尊敬してやまない騎士たちと重なる。

 だから、

「ふん!」

 バン、と力強く自分の頬を両手で打ち付け、彼女は自らを鼓舞した。

 立つ資格がある、ない、ではない。

 立たねばならぬことを自身に刻むために。

「誰かに支えられねば立てぬ弱き者が王になれるか?」

 ごもっとも、手厳しい偉大なる王の言葉が突き立つ。

「きっと、これから先私は何度も彼らを頼るのだと思います。力を、知恵を、心の支えを求めて……強がってすぐ強くなれるほど世の中甘くありませんから。騎士は一日にして成らず。私の大好きな言葉で、これはきっと王もそうなのだと思います」

「……」

 長い時間をかけて騎士は作り上げられる。初めから騎士であった者などいない。首無し騎士、心が初めから仕上がっていたメラ・メルとて、その他の部分は幼少期の英才教育から、学生生活を経て磨き上げて行ったもの。

 無論、目の前の伝説もまた同じ。

 始まりは皆、何者でもなかった。どんな天才でも、それは同じ。

「教えてください。偉大なる王の眼に、父がどう映っていたのかを。父を排除する必要があったのかを。王としての言葉で」

 ゆえに問う。

 話さねばならぬと思ったから。

 知らねばならぬと思ったから。

 遥か遠く、彼方にて立つ先人の想いを。

「あれは理解しているようで、理解していなかった。利用できると、制御できると考えて手を取ろうとした。革新は確かに世を素晴らしいものとしただろう。その中心と手を結ぶ、道理だ。その結果、無責任な王が生まれ、それが今の混沌とした世の中を構築している。決して表に出てこず、裏から全てを操る。あれが選んだ道は、その者らにより大きな力を注ぐ行為であった。ゆえに、王として処断した」

「……それは、でも」

「無知は罪だ。あれに選択を唆した若者らにも当然責はある。が、統治者としてその支配が見えている中、どうにかなると相手を侮り、その手を取った者の方が責は重い。確かに楽ではある。王の役割を裏へ隠し、遊戯が如く世界を動かす。失敗しても咎める者はいない。誰がそう導いたのかも見えぬから……連中が目指す支配構造とはそういうもの。王を廃した、新たなる時代の行く末は、無責任に行きつく」

 無責任なる者たち、その潮流の一助と成ろうとしたから排した。その真偽を今のラックスは知り得ない。

 ただ、確かにそういうのはあるのだろう。

 何故なら、

『俺たちを信じ過ぎるなァ。組織としては所詮紐付き、自由はない』

 共闘の仲間である彼らに、信頼と安心を覚えていたタイミングで差し込まれた金言。秩序へのカウンター、よく考えたならそう考えるのが丸い。

 ただの無秩序な混沌が発生したと言うよりも、よほど飲み込むことができる。

 自由に見えても雁字搦め。より良く見えても、裏では支配のための布石に過ぎない。何が正しく、何が悪いのか。

「王政が、絶対に正しいと?」

「別に名前は何でもいい。だが、人を率いる以上、その責任は大きく、それを担う覚悟が要る。それが問われる構造であるか否か、それだけだ」

 正しい。ラックスもそう飲み込める意見である。無責任に世を動かす、存外流動的であり合理的な可能性もあるが、そうであっても彼女もまた責任を取る、そういう構造は大事なのだと思う。何故なら、失敗の被害を受けるのはいつだって民であり、その言葉を誰に届けていいのかもわからなくなったらあまりに救いがない。

「では、この先彼らの手を跳ね除け続けられますか? 革新を握る者たちがいるのでしょう? 国家として、王として、それなしでの運営など可能でしょうか?」

 裏で操る者たちに損得が、悪意があろうと、それでも革新は万民に便利なものを与えてくれる。その恩恵を捨てる道は正しいのか。

 その代替案が存在するのか。

 それをラックスは問うた。

 偉大なる王が目指す先、彼女が最も問いかけたかったものである。

 王はしばし迷い、

「元々の計画は破綻した。すでに、俺たちが人造魔族を駆使し、様々な裏工作を行ったことを、若き騎士たちが暴き世に流布したからだ」

「マスター・クレンツェがやってくださったのですね」

「ああ。してやられた。なかなか、見所のある騎士だ」

 何故か少しだけ嬉しそうに、自身の窮地を語った。

 そうなることを少し望んでいたような、そんな表情である。

 だが――


「ゆえに俺は魔王と成ろう」


 次の瞬間には強き王の、冷酷な表情が浮かぶ。

「え?」

 理解が追い付かない。それゆえにラックスは素っ頓狂な声を上げてしまった。

「人は脅威を前にすると一つになる。ただ一つの絶対的な脅威に立ち向かう時こそが、あらゆるしがらみを捨て、皆が手を取り合う必要性こそが、今の時代に必要だと気づいた。理解した。ウトガルドが脅威であった時代、人はそのために戦い、奔走した。魔王イドゥンの到来もそう。苦しい時代ではあったが、大敵の存在が人同士の争いを抑止し、その意味で平和であったこともまた事実」

「そ、それは平和ではありません!」

「そうかな? 現にウトガルドと言う脅威が脅威であった百年前まで、人同士での争いなどほとんどなかった。革新がウトガルドを脅威ではなくし、その結果現在人同士の醜い争いが各地で勃発している」

「……」

「人は結局、本能には逆らえんのだろう。争う生き物なのだ。様々な理由を付けて、正義を掲げ、相争う定めならば……俺が王として人の敵と成る。人同士の争いは消える。秩序の腐敗も、その玉座を狙う欲深き者たちも、全てを俺が破壊し、綺麗にしてやろう。それは力を持つ王である、俺にしか出来ぬ仕事である」

 破壊による強制リセット。

 若き騎士たちの奮闘により追い詰められた王が出した、最後にして最も彼の考えを、絶望を反映した答えがこれであった。

 そこに、

「新たなウトガルドとなる、そうおっしゃるのですか?」

「しかり」

「それで、どれだけ多くの民が傷つくのか、理解した上で⁉」

「無論。どちらにせよ、民と呼ばれる者たちは利用されるだけだ。あちら側ならば民は糾弾する相手、憎むべき対象も、そもそも利用されていることにすら気づかぬだろうが……俺ならばただ、俺を糾弾し、憎めばいい。明快だ」

 民への、人への期待など毛頭ない。

 腐敗も、しがらみも、全てを裏で操ろうとする黒幕も、全部力で壊せばいい。壊して、リセットして、再生、再建する。

 そしてまた同じことが起きたら破壊する。

 スクラップ&ビルド、その前半部分を自分が成す、彼はそう言っているのだ。

「永遠に繰り返す。破壊と再生を。一つになった人が枝分かれし、それぞれの正義を掲げて争い始めた時に、俺が再び甦り破壊する。何度でも」

 無限に――

 理屈はわからない。それでもこの王ならやる。

 ラックスはそう感じた。

 だからこそ、

「私はその円環が、良いものとは思えません」

 止めなければならない、そう思った。

「当然だ。あくまでこれは人の本能を制御するための、ベターな方法でしかない。だが、仕方なかろう? 人は変わらん。革新がもたらす豊かさを、ただ口を開けて待つばかり。常に隣を伺い、妬み、嫉み、口を開けば悪口雑言。ただそこに座し、口を開くばかりの者に何が見える? 何がわかる? 真実を知ろうともしない」

 王はぐにゃりと微笑む。

「面倒くさいから……それが人だ。大多数の、有象無象である」

 絶望、失望、王が何を見てそうなったのか、やはりラックスにはわからない。いつか、自分が玉座に座り続けると、同じことになるのだろうか。

 そう思うと怖くなる。

「そのくせ欲望は人一倍……それでも俺は愛そう。愚かで醜く、何がために生きているのかもわからぬ有象無象を。そのために役割を、責任を果たそうと言うのだ」

 この王は、心の底から人を嫌悪している。

 それだけはわかった。伝わった。

「まだ何かあるか?」

「……愛してなど、いない」

「ん?」

「あなたは愛することも、信じることも諦めてしまったのですね」

「……」

 諦める。かつての自分がそうだった。騎士に成りたかった。だけど自分以上の熱量に当てられ、その道を諦めてしまった。踏み込みが浅いのは何度も注意されている。動きも振りも鈍い。わかっているのに、身体が、心が動いてくれない。

 苦しい。自分が嫌になる。変われないから諦めた。

 本当は変わりたいのに――

「本当は信じたい。本当は愛したい。本当は……変わってほしい」

「……黙れ」

 王が、歪む。

 二人、同時に。

「私も変わりたい」

 ラックスは静かに、心を込めて自分が目指したものの象徴に触れる。

「変わらねばならない」

 抜き放つ。

 騎士の象徴たる――剣を。

「私は信じます。人は変われるのだと。信じねばならない。あなたの言った、取るに足らぬ有象無象……彼らがそうでなくなる明日を」

「ありえん」

「そしてまず……私が、大言を放つ自分が……その範を示さねばならないッ!」

 そして、自らの足で偉大なる王へ踏み出した。

「……っ」

 無意味である。

 愚かである。

「はっはっはっは! 実に大器ッ!」

 首無し騎士もまた槍を旋回させ、偶然帯同することになった未熟者の、未完の大器と信じたくなる王の一歩目に、殉ずる。

 今まさに、彼女は変わろうとしている。

 誰よりも自分を諦めていた少女が、人の可能性を諦めぬためにまず、自分を諦めることを辞めたのだ。

「青二才が。ならば俺は、卿に現実を示そうッ!」

 王は向かってくる愚か者を払わんと、その拳を握り締め『衝撃』を圧縮し、全てを薙ぎ払おうとする。

 現実は非情である。

 信じて変わるなら苦労はしない。

 何も変わらず、むしろ悪化し続けたから、彼らは昨日に思いを馳せたのだ。

 二人の王の敵意が今、放たれようとしている。

「あああああああ!」

 剣を突き出し、ただひたすらに突貫する若く、未熟な少女へと。

 吹けば飛ぶ、その歩み――


「「天晴れ!」」


 二人の騎士が応えた。

 何処から現れたか、この異様な状況を諸共せずに、その騎士たちは逆方向から結果として挟む形で、ウルティゲルヌスへ攻撃を企てた。

 一人は腰に手を当てながらの鋭き突き。

 もう一人は大きく振りかぶり、巨躯に見合った大矛を叩きつける。

 二つの攻撃は『衝撃』のバリアを前に阻まれる。だが、現行の騎士剣のそれを受け止めるために、さしもの『獅子王』の力すら攻撃の解除を強いられた。

「何奴?」

 王が問う。

 二人の騎士は示し合わせるでもなく同時に、

「休暇中の騎士だ」

「仲間を探すしがないならず者よ」

 てんでバラバラにそう答えた。

「「誰?」」

 決死であったラックス、首無し騎士は茫然と、呆気に取られながら当然の疑問をぽつりとこぼした。

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