第179話:無名流

 今学期も終盤に入り、各講義もまとめの段階に入り始めた。

 特に五学年は六学年が就活にあくせくすることになるため、実質的に学校で腰を据えて学ぶ期間としては最後となり、教師も仕上げのつもりで臨む。

 ゆえに――

「この部分の回路が不十分です。こちらではなく、こう繋げる」

(こ、細かい。魔除けにはなっているんだから別に……)

「今、不服げに見えましたが」

「い、いえ、そんなことは」

「そうでしょうね。まさか、僅かに魔力の伝導効率が落ちるからと言って、ほぼ同じ効果なのだからいいじゃないか、などとたわけた発言をしていれば、問答無用で不可を叩き込むところでした。ほっとしますね」

「あ、あはは」

 教師の厳しさも普段とは段違い。普段から厳しいと目されている統括教頭クラスともなれば、ほんの些細なミスすら見逃さずに容赦なく詰めてくる。

 今も魔導学から派生した陣地構築の講義であるのだが、これがまた難しいのだ。蓄魔器を用いて、地面へ線を引く、紐などを使い形作る、原始的な方法で作成した陣に蓄魔器を組み込む現場で使うようなものから、都市戦を想定したそれ自体に導体が組み込まれた道具を組み合わせたものなど、多岐に渡る。

 多岐に渡る、と言うことは勉強すべきことも多いということ。

 その上、統括教頭リンド・バルデルスの目が光るのだ。

「かつて、陣地形成の観点から一小隊に一人、戦場で無防備となる魔法使いが配備されていました。自らが死ぬその瞬間まで陣地を維持、守り抜く。魔導革命後もその役割自体は代替手段がなく、騎士が兼務するなど続いていましたが……リンザール」

「三十年前、正確には三十二年前に蓄魔器が発明され、陣地を保つバッテリー役に代替手段が誕生し、その役目は終わりを告げました」

 すらすら、クルスは模範解答を答える。

「エクセレント。また、蓄魔器がそれなりに高価なこと、常に所持しているとは限らぬことからも、そもそも人がそれを担っていた、あくまで蓄魔器が代替手段であると理解していなければ――」

 リンドはリリアンが構築した理想的な陣地から蓄魔器を取り除き、代わりに自らが魔力を流すことで、陣地を機能させる。

「このように臨機応変な対応もかなわぬ、そう覚えておきなさい。貴方たちは学生生活を経て、素晴らしい力を得ました。ですが、所詮は人間一人。この手の届く範囲しか、この剣の届く範囲しか、備えなしでは守れません」

 五学年の皆が表情を引き締める。

「しかし備えあれば、より多くを、より広くを守ることが出来ます。陣地形成は退魔の特効薬にはなりません。しかし、騎士の本分を守護者とするのなら、効果が限定的であれ広く守ることのできる技術は、軽視してはなりません」

「イエス・マスター」

「今回の実技、良を与えていいのはキャナダイン、デゥン、リンザールぐらいですね。文句なしはキャナダインのみ、優を与えます。他は可です」

「ィエス・マスタァ」

「声が小さい」

「イエス・マスター!」

 どの時期だろうが容赦なしに成績をぶち込んでくる統括教頭の恐ろしさを、彼らは毎度のことながら噛み締める。

 気は抜けない。この時期の成績は就活にダイレクトで響いてくるから――


     ○


 剣闘の講義は逆にかなり雰囲気が穏やかとなった。やはり序列が固まった、と言うことが大きいだろう。クルスがディンとデリングを倒し、その二人が上を目指さないと宣言した以上、その下はこの二人を突破しなければならない。

 まあ誰がどう考えたって厳しい壁である。

 今も挑戦し続けているのは――

「くそぉ! 俺にも攻めて来いよ!」

「断る」

 アンディくらいのものであった。この男だけは空気を読まずに、察することもなく果敢にディン、デリングにぶつかり、ものの見事に弾き返され続けていた。

 今回もデリングの堅守に阻まれ、あえなく撃沈。

「調子いいな」

「対抗戦は譲ったが、その先まで譲る気はないからな」

「はは、ま、六学年もまるっきり講義がないわけじゃないし、やり合う機会もあるわな。俺も、その辺目処に整えとくか」

 ディンとデリングの会話もまったりとしている。まあ、彼らは彼らで努力を続け、何だかんだと虎視眈々にリベンジの機会を窺っているのだが。

 対抗戦まではそうしない、と言うだけで。

「さて、噂のクルスは……休憩中か」

「珍しいな。最近はイールファスに張り付き続けていたが」

「じゃあ、うちの一等賞は――」

 第三位まで駆け上がったクルスは休憩中。ヴァル、フィンらと剣の型について話し合っている様子。ミラはフラウ、ラビと共にこれまた何かの会話中。そしてアンディはたった今デリングに敗れ、地面に大の字で転がっている。

 イールファスは――

「は?」

 その瞬間を全員が見逃していた。エメリヒですら他の子たちを見ており、注目していた者は一人もいない。

 だって、あの男が絡むと結果がわかり切ってしまうから。

 同学年相手に、この学校で負けなし。

 三強の一角、

「……」

「……あら、これ、わたくしの勝ち、ですわよね?」

 イールファス・エリュシオンが盾で押さえつけられ、地面に転がっていた。本人は目を大きく見開き驚愕を浮かべ、勝ったフレイヤも驚きに目を見張る。

 周りの者たちは――

「は?」

 誰もがその結果を見ても信じられない。ソロン、ノアならわかる。そりゃあ誰が呼んだか三強だもの。しかし、それ以外の者が勝つとなると――

「……もう一本」

「え、ええ、構いませんわよ」

 不服な様子を隠そうともしないイールファス。誰もがその再戦に注目する。特にどれだけ挑んでも糸口一つ得られていないクルスなどは、

「……」

 物凄い表情で二人の再戦を見つめていた。

 あのイールファスから挑戦する、と言うとんでもなく珍しい光景。それこそ一学年、二学年の時代にティルとやり合っていた頃まで遡らねば、ない。

 皆、息を呑む。

 何が起きたのか。何が起きるのか、を。

 目撃するために。

「行きますわよ!」

「ん」

 勢いよくフレイヤが突っ込む。盾を構えて、ただ突っ込む。

 本当にただ真っすぐに突っ込み、

「こう」

 大きく変化したイールファスを捉え切れず、

「あっ」

 あっさりと敗れ去る。

 秒殺である。

「……ど、どうなってんだ、これ」

 皆の困惑はさらに深まる。あのイールファスが敗れるなどただ事ではない。ただ、今の勝負を見る限り、そういう勝ち負けをするようにも見えなかった。

 だから、

「どういうことだ?」

 クルスがいの一番にイールファスへ問いかけた。

 なぜ負けた、そんな感情が滲む。

 それに、

「自分でやってみればわかる。ちょっと、驚いた」

「……わかった」

 イールファスはそう答え、クルスもまたそのまま受け取る。

 そして、

「次、俺とやってくれるか?」

 今まで意味がないと避けていたフレイヤとの戦いを望んだ。

 フレイヤは嬉しそうに相好を崩し、

「ええ、もちろんですわ!」

 クルスの挑戦を受ける。突然の出来事、皆が手を止めてその戦いを見守る。これまで名勝負を量産してきたクルスと、とうとうあのフレイヤが戦うのだ。

「ヴァナディース的にはいいのか?」

 ディンの問いにデリングが返す。

「何故かお許しが出たらしい。そう嬉しそうに語っていた。なんか、マスター・グラスヘイムに相談したとか」

「……な、なんであのおじいちゃん先生が出てくるんだ?」

「……わからん」

 なんか知らんけど問題は解決した。まさか其処にヴァナディースの成り立ちや、もっと遠大な何かがあるとも知らずに彼らは首をかしげるばかり。

 とにもかくにも――

「外に出すかはともかく」

「これで本当の序列が決まるなァ」

 フィン、ヴァルの言う通り、五学年の内々だけであってもこれですっきりする。長きに渡るクルスの挑戦に端を発した、この学年の激闘、その結末。

 見るな、などエメリヒも言えない。

 と言うか、エメリヒの方が見たい。

「行きますわよー」

「ああ」

 盾を前面に押し出した新型を携えたフレイヤと後傾したゼー・シルトと言う難敵を幾人も下したクルスの対決。

(……フレイヤがイールファスを倒した? 本当に? 確かに新型となってから対峙したことはなかったが……そこまで変わるものか?)

 半信半疑、されど剣を握れば、構えれば、惑いは消える。

 だから――

「むん!」

「ッ!?」

 これは純粋な驚き。よくよく考えたら本気のフレイヤと対峙した経験自体がクルスにはほとんどなかった。ノア、とまではいかないが充分人間離れした加速力。体格もあり、ノアのような軽やかさはないがその分、圧が半端ではない。

 だが、それはさすがに想定済み。彼女はクルスにとって重要な、越えるべき壁であり続けていたのだから。それこそ二年前からずっと。

 ただ、

(これか!)

 問題は盾を押し出して突っ込んでくるフレイヤ。豪速で突っ込んでくる盾持ちへの解答、その少なさにあった。

 驚くほど、今までの応じが意味をなさない。

 剣と盾、ここまで違うのかと驚いてしまう。

 そして驚いている内に距離は消え、

「騎士は度胸!」

「さすがに舐めるな」

 そのまま猪の如く突っ込んできたフレイヤを紙一重で回避し、反撃に移ろうとするクルスであったが――

「……ちっ」

 ここでも剣と盾の違いが出る。かわして、旋回し、反撃をする。イールファスが大仰にかわした理由が今、わかった。

 ほんの少し体軸を回すだけで、反撃する隙間が消えるのだ。

 剣での対応のままでは――

「騎士は、思い切りッ!」

「こ、のッ!」

 フレイヤはそのまま、体を力ずくでぶん回す。シンプルな手の甲を向けた振り回し。ただし其処には盾がくっついている。クルスは瞬時に受け止めようとした。

 流すには隙間が足りない。自分が回避を絞り過ぎたから。だから、加速し切る前に前で受け止めるしかない。

 守備のスペシャリストである男がそう判断した。

 なお、

「は?」

 力で持っていかれたが。

 クルスが宙を舞う。全員、呆気に取られながらその美しい放物線を見送った。空中で姿勢を整え、しっかり受け身を取ってクルスは着地した。

 しかし、

「……なるほど」

 口の中を切ったのか、口の端から血がこぼれ出る。

 解き放たれたフレイヤの身体能力、何よりも剣と盾の違い。それがクルスの目算を狂わせた。おそらく、イールファスもそうなったのだろう。

 剣に精通する者ほど、違える可能性も上がる。

 そして、ほんの少しでも違えたなら力で持っていけるエンジンを彼女は積んでいるのだ。剣を主体で戦っていた時は、もう少し技術的な、悪く言えば小さくまとまった剣を使い、生まれ持った力をセーブしていた部分も大きかった。

 今は、どうやら水に合うのか盾を力ずくで振り回すのがお気に召した模様。

「無名流、盾殴り二式……アックスボンバー、ですわ」

「……命名は君か?」

「名もなき騎士のイカしたネーミングですわよ」

「イカレた、の間違いだろうが」

「……?」

 どうやらあの殴り書きの中に、この技とも呼べぬ盾でぶん殴る、と言う技術が記載されていたらしい。自分には読み解けなかったが、あの僅かな時間でしっかり読み込んでいたとは、一体全体どういうことなんだ、とクルスは困惑してしまう。

 しかも二、と言うことは一もあるということ。

 たぶん三とか四もある。

 そんな気がした。

 その全部が、基本力任せにぶん殴ったりぶん回すだけ。

 そんな気もした。

「……ふぅ。オッケー、修正した」

 クルスは思考を切り替えた。対人、対魔、自分の中で分けた戦い方を魔の方へ傾ける。人と、既存の騎士と思うからドツボにはまる。

 最初から兵士級とか戦士級の魔族と思えば、人の形をしている分、やりやすい。

「来い」

「言われずとも!」

 シンプルイズベスト、と言わんばかりの芸のない盾タックル。ただ、思っていたよりもずっと、厄介な代物であった。常人ではなくフレイヤがする、と言う点に意味があるのだ。力こそ正義と言わんばかりの、今までの彼女らしからぬ――

(……)

 無骨極まる戦型。

 されど、クルスは無意識に笑みを浮かべてしまう。

「けっ、戦闘中にデレデレすんな」

 とても彼女らしい、と思ってしまったから。

 突っ込んできたフレイヤ。それに対しクルスはイールファス同様大きくかわす。いつも紙一重での回避を身上とする彼には珍しい動きである。

 かつ、かわした方向はあえての剣を持つ方、利き腕側であった。

「まだ、盾と剣の融合、までは至っていないだろ?」

「むぅ!」

 クルスは徹底的にフレイヤの利き腕側に立ち、彼女から盾ではなく剣を引き出す。それに応じ、立ち位置だけで今の彼女を攻略していく。

「うわぁ……嫌な奴だなァ」

「ヴァルにだけは言われたくないと思う」

「そうかぁ?」

 器用、とは言い難いフレイヤが揺らぐには充分な揺さぶり。剣に意識を切り替えようとしても、一度盾に寄せた意識は戻り切らず――

「ふゥ」

「う、うぐぐ」

 クルスが詰み切った。最後はお得意のカウンター。相手からそうするための剣を引き出しての、完璧な一撃であった。

「ようやく一勝、だ」

「も、もう一回!」

「今のフレイヤはもう学習した。隙をなくしたらな」

「ぶぅ!」

 何とか勝ち切ったクルスであったが、背中には当然開幕の時に浮かべた嫌な汗が滲んでいた。剣の時は何か心理的抑圧でもあったのか知らないが、盾を扱うことで全力全開の彼女が出てくる。盾なら良いとでも思っているのだろうか。

 普通に殴り、押し、いくらでも人を破壊できると思うが――

 剣と盾の違いは初見でこそ苦しいが修正可能。ただ、彼女自身のスペックはどうしようもない。未完成で、この破壊力である。

「……おいおい、こりゃあ」

「一発、あるかもな」

 不完全、まだまだ隙も多い。ただ、一発かませるだけのものはある。現に初見かつはまった時は、現時点でもイールファス相手に一発決められたのだ。

 それはこの場の誰にもできなかったこと。

 今、勝利したクルスでさえ――

「今回の勝利は参考記録でお願いします」

「ヴァナディースに気を使う必要はなくなったよ?」

「……殴りじゃなく抑え込みなら、勝敗は逆でした」

「あはは、かもしれないね」

 とうとう真の序列が決まった、とは思えない空気感。まさかここにきてずっと安定して強かったフレイヤが、馬鹿みたいに不安定だが上振れすると馬鹿みたいに強くなるとは、誰も考えていなかったのだ。

 それこそ改造計画に付き合っていた者たちですら。

「今がチャーンス」

 ただまあ、

「あ、私も参考記録でいいからね。ちょっと手合わせおねがぁい」

「ええ。もちろんですわ!」

 やはり隙は多く、まだまだ粗い。何よりも――

「もろたで」

「むぐぐ」

 たった今、クルスが現段階の攻略法を示してしまった。

「……あれはさすがに俺より嫌な奴だと思わんか?」

「……かもしれない」

 ミラ・メル、フレイヤから念願の一勝を手にする。

「……」

 皆の心証を犠牲にして。

 隙を見せた方が悪い、とはモンスターの弁である。ちなみに再戦はしない。何故なら盾だけ、剣だけに割り切られると普通に負けるから。

 そもそもフレイヤは強いのだ、当たり前であるが。

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