第177話:商人と騎士

「戻りました」

「ご苦労さん。さすがは元騎士志望、相変わらずの手並みだ」

「……褒められている気がしません」

 支部、と言うには簡素な造りの建物に戻ったフレンを出迎えたのは、支部長の男と女性の中堅社員、たった二名である。

 フレンを含めた三名でこの臨時支部は稼働している。

「本当に褒めているんだがな。君が持つ最大の武器だよ、商人としての」

「商人に武力が必要ですか?」

「たった今君が武力で中抜きを阻み、あそこの工程を十億リア以上削減した。つまり、君は小一時間の間に武力で十億稼いだわけだ。実に素晴らしい」

「……」

「納得できていないようだねぇ」

「これを正攻法とは思っていませんので」

「むしろ王道中の王道なんだがね。んー、大旦那からよしなに、と言われているしなぁ。よし、では解説してあげよう」

「支部長、仕事してください」

「昼休憩を生贄にするさ」

「であればお好きにどうぞ」

 意気揚々と支部長が黒板の前に立つ。

「まず、商売とは何か、君はわかるかね、スタディオン君」

「需要と供給のギャップから価値を創出する行為、かと」

「うーん、硬いけどまあ良し。古来、商取引とは物々交換が主であった。こっちは小麦が潤沢、あっちは野菜が潤沢、じゃあそれらを交換してWinWin、わかりやすい。そして商取引が複雑化した現在も、この根幹は不変だ」

 支部長は黒板に文字を殴り書く。

「だが、物々交換では細かいニーズに対応できない。社会が複雑化していく中、それは必然として発生した。共有の価値、お金の登場だ」

 リア、と。

「これが登場したことで商取引は一気に円滑化した。貨幣経済の誕生、と言いたいところだが……残念ながらお金の発生から貨幣経済、と呼べる程度に至るまで、相当な年月を人々は要した。ウトガルドの侵攻など外的要因はあるが……重要なのは其処じゃない。まだ人は知らなかったのだよ、お金の価値を担保するものを」

 支部長はリアの隣に=と書き、

「では、それは何か?」

「……信用、だと思います」

「残念。正解は……暴力、デス!」

 =の先に暴力を書き込む。

「君の言う信用とは何か、それも暴力だ。貨幣は便利だが弱者の発行したそれに価値はない。精々が村同士の取引が関の山。強き力を持つ、強国が、大国が、覇国が、その金属に、紙切れに、価値がありますと言わねば信用に値しない」

「……」

「これは世の真理だよ。我々が当たり前のように守る法律も暴力が無ければ誰も守らない。罰則を設けても行使する力が無ければただのハリボテ。国家が法を設け、力によって裁く。この行程があって法は機能する。商売も同じさ」

 支部長はニヤリと微笑む。

「我々が扱うのは今、ユニオンが発行しているリア、ではない。それでは大金を動かす際に非効率だからね。小切手や手形、紙切れ一枚の約束事だ。こんな紙切れ知るか、なくした、払いたくない、払えない……さあ、どうする?」

「……それは、控えなどをしかるべき機関に提示し、法に訴えかけるのが正攻法だと思います。何にせよ、全てを暴力で解決するのは……」

「正論だ。だが、我々は国を股にかけて商売をしている。君は一々全ての国の法を把握しているかね? 私は主要国ぐらい網羅出来ているが……全ての商会員にそれを求めるのは酷だ。何より効率的ではない。だから、我々は主要国の法に抵触せぬ範囲で、独自の約束事を設けているわけだ。そしてそれを担保しているのが……」

「暴力、と言いたいんですね」

「その通り。もちろん、我々は私兵を持たない。その代わりにユニオンやミズガルズ中の騎士団と繋がりを持ち、我々のために動かす備えがある。だから、まともな国のまともな会社は、我々の規範に従い、その中で円滑に取引を行っている」

「……」

「では、この国のようにあまりまともじゃない国の、ほんのり残念な会社はどうか、簡単だ。我々を謀り、規範をこっそり逸脱し小金を稼ごうとする。嗚呼、哀しきは人のサガ、薄皮一枚剥げば、醜い獣が潜んでいる。国に訴えかけても無駄だ。我々はアルテアン傘下、ウィンザー商会、その末席に過ぎない。大旦那のように存在そのものが畏怖されておらず、いわば単なる力無き余所者と見做される」

「何故国へ訴えかけるのが無駄なのですか?」

「そりゃあ君、君が叩きのめしたスジ者は国家権力と懇ろだし、何ならその中に騎士がいても不思議じゃない。我々から見れば小物だったが、この国にとってはせこせこと外貨を稼いでくれる、地元の星だろうからね」

「そ、んな」

「ところで君、何人倒した?」

「いきなりですね。正確に数えていませんが、おそらく十名ほどは」

「その中に強者はいたかい?」

「……正直力の強弱は。全員、弱かったので」

「さすがは御三家最優のログレス出身。腕がなくともその辺の騎士には楽勝、と」

「だから、騎士がいたかどうかは」

「いたよ。私が確認済みだ。一応、君は大旦那から預けられた人材だからね。普通の人材よりは丁寧に扱っているのさ」

「……」

 事前に調べていたと言うことは、概算見積を精査する前から先方が何かを仕掛けてくると踏み、その際、フレンを勉強がてら使おうとしていた、と言うこと。

 軽薄に浮かぶ笑みが、途端に恐ろしく見える。

「秩序が揺らげば揺らぐほど、治安が悪ければ悪いほど、暴力の価値は上がる。ただ、この程度の案件に武力を外注するのもコスパが悪い。と言うわけで君が選ばれたわけ。今回のお仕事は、このちょっぴり残念な国に基地局を建造すること。明日、この地でお金を稼ぐための種まき、だ。なるべく安く、早く上げたい」

 そう、今回の案件はむしろこちらが金を払う側。もちろん国家にも恩恵をもたらす予定であるため、土地代などはかなり融通してもらっているが、この仕事単体で金を稼ぐと言う案件ではないのだ。

 全ては明日の稼ぎのため、その投資。

「少し長くなったが、要は治安の悪い国では暴力の価値が高く、当然需要も大きい。需要が大きければ供給も必然的に大きくなる。そしてより、暴力の価値が上がる。なので君に働いてもらった。うちはそれで得した。それだけの話さ」

「……わかりました。でも、この国は悪循環に陥っています。これは――」

「そうとも言えないな」

「……何故ですか?」

「今言っていた暴力の価値は我々民衆目線だ。だが、人間社会における暴力の値段は一定だと私は考えている。ならば、一等国における民衆目線で下がった価値の差し引きは何処に在るか。答えは簡単、国だ。国が独占している。スジ者はもちろん、民衆からも牙を引き抜き、見えざる力によって支配している。民にその自覚はない。果たしてそれは幸せかね? 真実の安寧と言えるかね?」

「……」

「君が商人を志すのなら、常に常識を疑いなさい。視点を複数持ち、表を、裏を、横から、斜めから、そうやって見て初めて……真実の欠片を得ることが出来る」

 常識を疑え、それは真っすぐと騎士道を歩んできたフレンにはなかなか難しいことであった。それでもここはそういう場所である。

 ならば、彼自身も変わらねばならない。

「少し長話が過ぎたね。よし、お昼をおごってあげよう」

「あ、その、先ほど帰り際にパンを食べてきましたので」

「それじゃあ不健康だ。食事は大事だ。能率にもかかわる。そう思うだろう?」

 支部長は女性社員に問いかける。

 が、

「さあ。サボる言い訳にしか聞こえませんが」

 返事は素っ気ないものであった。

「……お昼行ってきまぁ!」

 ダッシュで逃げ出す支部長。よくこの男と新入りのフレンを含めた三人で仕事が回るものだ、とフレンすら首をかしげてしまう。

「そもそも、お昼休憩の代わりに解説をしていたはずですが……どう思いますか、スタディオン君」

「あ、え、と」

「冗談です」

 感情が微塵も出ていない、仮面のような顔で言われても反応に困る。

「あんなのでもアルテアン全体で見てもかなりのやり手です。学ぶことは多いと思います。お金を払ってでも一緒に昼食を共にしたい者は誇張なくごまんといますので、行く価値はありますよ。あんなのですが」

「……すいません。行ってきます」

「どうぞ」

 フレンは一礼し、支部長の後を追いかけた。

 女性はそれを見送ると、黙々と事務仕事に取り掛かる。


     〇


「ここ美味いねえ。見晴らしもいいし」

「立ち食いなんですね」

「サッと食べる癖がね」

「仕事の出来る人は食事を摂るのが速いって本当なんですか?」

「ただの個人差でしょ。少なくとも大旦那は遅いよ、食事のペース」

「……説得力がありますね」

 開放的、なのは当たり前の屋台が立ち並ぶ通りで、とりとめのない会話をしながら二人は会話を交わしていた。

 時折商売の話が混ざることはあるが、基本は世間話である。

 本当にこんなもののために金を払う者がいるのか、疑問に思うほど――

「そう言えば対抗戦、商会内でも話題になっているみたいだね」

「ですね。一応、今回の案件の目玉ですし」

「ただ、我々の立場だと……大会の中継に携わる案件自体はとっくに過去のこと。正直今更感は拭えないのが辛いところだ」

「そうですよね」

 すでに主要国や優秀な騎士団、騎士学校を抱える国には基地局を建造済み。受像機も随時設置しており、それも手配済み。最も上流である彼らがやるべき仕事はない。

 川上が過ぎるゆえ、仕事の結果自体があまりにも遅れてやってくるため、そういう実感し辛いのがこの業界である。

「スタディオン君の推しはやはりログレス?」

「強いですよ。何よりもソロンがいますから」

「ああ、優秀みたいだね。私のような商人の端くれでも知っているぐらいには」

「支部長の推しは何処ですか?」

「んー、アスガルドかなぁ」

 その名に、フレンは少しだけ硬直する。親友の在籍する学校であり、きっと彼は今必死で頑張っているはず。フレイヤ、デリング、ディン、何よりもイールファスもいて、さらにミラなど他所にも名が通る人材の宝庫。

 ただ、硬直した理由はそこではない。

 今、どうしているのだろうか、そう思っただけ。

「やはりイールファスです?」

「いや、違うよ」

 支部長は薄い笑みを浮かべながら、

「クルス・リンザール」

「……え?」

 そう、答えた。

「知り合いがね、注目に値する子だと言っていたから」

「……その知り合いって、誰ですか?」

 フレンの雰囲気、その変化に支部長は目を見張る。

「知り合いは知り合いさ。どうやら、君もお知り合いのようだが」

「……親友です」

「なるほど。尚更面白い。大旦那肝入りの君とも繋がりがあるわけか」

 警戒を顕わにするフレンを見て、支部長は少しばかり考え込む。ただ知り合いから聞いた名を出しただけで、この会話自体に他意はない。

 騎士として優秀な子であればそれなりに名が通っているもの、会話のきっかけになるかな、程度のものであったが――

(……名が通っていない理由でもあるのかな? それにしても、ふふ、随分と大事な友達なのだろうね。青春だなぁ。あれの所有欲とは大違いだ)

 彼とあれの違いに支部長は笑みをこぼした。

「支部長、クルスの件を詳しく――」

「残念、珍客だよ」

「え?」

 二人の前に還暦を超えた老人が杖を突き立っていた。

 痩せ、細り、それなのに何故か背筋はしゃんとしている。

 杖を突いているのに、『立って』いる。

「久しぶりよなぁ、アルテアンの小坊主」

「ご無沙汰しております、マスター・クリュニー」

「ッ!?」

 フレンはその名を聞き、驚愕する。会ったことがないため顔は知らなかったが、その名に関しては知っている。いや、騎士ならば知らぬ者がいない。

 第五騎士隊隊長、カノッサ・クリュニー。

 名人と謳われる練達の騎士である。

「奇遇とは思わぬか? 仕事で訪れたわしの前に、偶々卿がおるのだぞ」

「合縁奇縁。大事にしたいですね。これからも」

「……小坊主が」

 クリュニーは杖を知己である支部長へ向けた。

「秩序の敵と成れば、わしらは容赦せぬぞ」

「それは見方の話でしょう? ユニオンの秩序とアルテアンの秩序は違う。時代が求める秩序もまたそう。私はまあ、古いものよりも新しもの好きですので」

「……大旦那様も同じ意見か?」

「さあ。あの御方は一線から退いて以降、自身の考えを発信しませんので。ただまあ、一応、全て筒抜けだとは思っていますがね」

「……ウィンザーが泣いておるわ」

「それもまた見解の相違。人物像を聞く限り腹を抱えて笑っているんじゃないですかね? 賢しき獣たちの饗宴に。見世物としては……これ以上ないでしょうし」

「これだから商人は信用ならぬ」

「時代遅れの騎士の信用など要りませんよ」

 睨み合う両者。フレンはわけもわからずに立ちすくむ。

 この二人が放つ、異なる威圧感に。

 それが妙に、釣り合って見えたから――

「ああそうだ。お仕事、大丈夫ですか?」

「案ずる必要はない。すでに第三の連中が向かっておる」

「それは結構。では、失礼いたします」

 支部長はフレンに視線をやり、付いてくるように促す。クリュニーの隣を悠々通り、二人は老騎士の視界から消えた。

 そして、入れ替わるように、

「隊長、お待たせしました」

 老騎士の部下であり、第五騎士隊副隊長でもあるユーグ・ガーターが現れた。

「遅いぞ、ガーター」

「申し訳ございません。ところで、今の方は?」

「アルテアンのウィンザー商会に籍を置いておる者だ」

「商人でしたか」

「ただの商人と思うな。大旦那様が鍛えた直弟子の一人、おそらく此度の仕事、その仕掛け人ぞ」

「……まさか」

「ユニオンとアルテアン、魔導革命から百年、何とか重ねてきたものが今、じわじわとズレてきておるのだろう」

「……」

「覚悟せよ。敵は身内だけにあらず。千枚の舌を持ち、益を貪る獣共もまた、我ら秩序の敵である。わかるな、ガーター」

「……はい」

「では現場へ向かおうぞ。女傑がお待ちだ」

「あまり待たせると何を言われるかわかりませんからね」

「しかり。気の強さはユニオン随一であるからな」

「間違いない」

 二人の気配が薄れたと思ったら、いつの間にか陽炎のように消えていた。騎士が本気で動く時、常人の視界に入ることはない。

 気配を感じることすらない。


     〇


「我の道を遮るな、下郎がァ!」

『■■■!』

 戦士級の魔族を蹴飛ばし、特注の偃月型騎士槍を振るう黒髪の乙女。乙女と呼ぶには少々、獰猛ではあるが――

「もっと我を楽しませて見せろォ!」

 言葉とは裏腹に巧みな槍捌き、かつ豪胆極まる位置取りで打ち合う。

 彼女こそが第三騎士隊隊長、

「ははははははは!」

 『黒百合』の騎士、ヴィクトリア・ブロセリアンドその人であった。

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