第136話:新しき倶楽部ヴァルハラ
クルス・リンザールは一部下級生から憧れのまなざしを向けられていた。その一部とは騎士の家ではない、一般家庭に生まれた学生たち、である。その中でも特に中流以下の子たちからは凄い先輩がいる、と水面下で話題となっていたのだ。
騎士の学校、御三家アスガルドに頑張って、努力して、必死になって入学の切符を掴み取った子たちも、入学して早々直面することとなる。騎士の家に生まれた者たちは随分と先回りした教育を受けている、と言うことに。
しかも彼らは得てして素材が良い。身体能力、魔力量、どれも平均を取れば騎士の家の方がずっと高い数値が出る。それはもう、連綿と続く遺伝子の世界。より強き身体の遺伝子を、より高き魔力の遺伝子を、と積み重ねた結果。
これはもう、覆せない事実である。
ゆえに多くは其処で心が折れる。どれだけ座学で頑張っても、結局騎士科で重要なのは実技であり、挽回の余地はない。腐り、折れ、退学か、卒業しても団入りせずに何処かで雇われるか、そういう道が嫌でも見えてしまう。
そんな中で、
『……本当に凄いなぁ、クルス先輩は』
諦めずに幾度も、幾度も、上位の壁に食い下がり、何度落ちても必ずあらゆる手を使って這い上がってくる姿は、心が腐り、折れかかっていた者の心に火をつけた。
しかも夏を経て、その壁を喰い破って見せたのだからそういう子たちからの憧れはなお高まった。それゆえの入部希望者の増加、である。
完全に折れ、腐りかける前に火を付けられた者たち。その数はそれほど多くない。そもそも騎士の学校、御三家ともなればそう言う子たちが門を叩くこと自体が稀なのだ。中流以下の、背伸びして御三家に入り込んだ者。
数少ない彼らが今、
「計算の際、一桁目から解いているな」
「は、はい」
「頭の中で上の桁から計算できるようにした方が時短になる。あと、二桁の足し引き掛け算ぐらいはひっ算を用いないように。騎士科の算術は処理力を競う問題が多い。無駄を削ぎ、少しでも効率化する。一秒の積み重ねが、抜きん出る力となる」
「やってみます!」
クルスのようになりたくて、彼が所属する倶楽部の門を叩いた。元々、今年クルスは倶楽部に参加する気はなかった。イールファナとの時間はともかく、それ以外は明らかに無駄であったから。その彼女との時間すら、今年は実技で抜きん出るつもりであったから過剰な学習である、と判断していたのだが。
「クルス先輩、剣のことで相談が」
新入部員、俱楽部への参加希望者の存在がクルスの参加に意義を与えた。もう返せないのだから、と諦めていたエイルとの貸し借り。
倶楽部の存続と自分と同じような者たちに時間を割き、向上させてやる。
「いつもこういう時に迷ってしまうのですが」
「あくまで俺の考え方だが、攻める時は守ることを考えない。逆に守る時は一旦攻めを手放し機を待つ。型や体格、相手によっても攻防の選択肢は変わるが、どちらにすべきか、と闘争の最中迷った時点でそいつの負けだ」
「はい」
「まだ三学年なら一度、勝ち負けを捨ててでも試す期間を設けるのも手だ。攻防は理屈と感性、どちらも納得させねば噛み合わない。思い切ってやってみて、やり過ぎるくらいから試し、少しずつ修正していく。俺ならそうする」
「ありがとうございます!」
それならばまとめて借りを返せると気づいてしまった。その気づきが今、この状況を生んでいる。無駄だとはわかっている。
すでに『あの男』から手痛い指摘も受けた。
今日も、それなりの覚悟は必要だろう。
「まずは一時間、この一時間で全てを出し切るぐらい集中してみろ」
それでもクルスはこれをやると決めた。借りっぱなしでは気持ちが悪い。切り捨てたはずなのに、今でも心の奥底で何かが蠢いている。
剣を握れば、感じなくなるのだが――
「はい!」
実技も座学も並行して見る。時間は有限である。それに、制限を設けた方が良いと今のクルスは思うのだ。物足りないと思うかもしれない。
でも、
『集中』
クルスは苦く微笑む。遅まきながら、『先生』の意図に辿り着いたから。もっとやりたい、この短い時間をより有意義なものとするにはどうすべきか。
長く、ゆとりのある状況下ではそのハングリーさは養われない。
ただでさえ持たざる者が、富める者たちと同じ時間感覚で生きていて良いわけがないのだ。切り詰めて、集中して、工夫する。
そうしてでも苦しい道のり。まずはそれが第一歩、である。
「あーあ、すっかりデイジーも取り込まれちゃった。つまんなーい」
アミュはぶーたれながら観葉植物とちょうちょの世話をする。どうせ一時間後には元に戻るのだから、その間はのんびりと時間を潰すだけ。
あの中に混じる気はない。それは『不公平』だと彼女は思うから。
「ふん、平民が無駄なことを」
フレイヤを姉と慕う新入部員が口走る。皆、むっとした表情を彼女に向け、フレイヤもそれをたしなめようとするが――
「集中」
クルスの一喝が不穏な空気を遮断する。
「黙らせるなら口ではなく結果で示せ」
「はい!」
意に介すな。結果を出せば相手は黙る。
「……偉そうな口を」
「それどっちの話? アミュ興味あるぅ」
「……アミュ・アギス」
三学年成績トップ3に入る彼女も、一つ下でぶっちぎりのトップを独走するアミュの前では何も言えない。
「去年までのアホクルスならもう楽勝だけど、今のだとアミュちゃん勝っても負けても面倒くさいからやりたくなぁい、ってレベルなんだけど」
「……」
自信過剰、と言うわけではない。天才と凡人では成長速度が違う。彼女は御三家も、準御三家も喉から手が出るほど欲しかった超天才である。
たった一年で、当たり前のように飛躍してしまう。
それなりに努力しただけで。
「……アミュちゃん」
あのアミュがクルスへの侮辱に対し、攻撃的な姿勢を見せたことにデイジーは驚いてしまった。基本的に彼女は自分とアマルティア、あと友達であるデイジー以外はどうでもいい、と言うスタンスである。
クルスに対してもそちら側だと思っていたのだが――
「デイジー、気の抜けた素振りなら時間の無駄だ」
「あ、すいません」
わずかな綻びすら見逃さない。たった一時間、それすら大事に出来ぬ者が向上など片腹痛い。そのための時間制限、無駄なことに思考を割く暇はない。
〇
一時間が経ち、クルスは宣言通り帰り支度をする。それを止めようとする者はいない。たった一時間とは言え、クルスが目を光らせている一時間の負荷はかなりのものである。実際に最初軽い気持ちで来ていた者たちは皆いなくなった。
残った者たちは皆やる気がある。情熱もある。
それでも疲弊する程度には、今のクルスが放つ圧は彼らへの負荷となっていた。
そんな彼らを尻目にクルスは倶楽部ハウスを出て行く。
其処で、
「ではこれより、サルでもわかる魔導学を始めます。静聴」
皆の前にででんとイールファナが立つ。この女、クルスが後輩に教え始めたのを見て、何故か闘争心を燃やしクルス用の猿でもわかるシリーズを拡大したのだ。
自分の方が教えるのは上手い、と言わんばかりに。
まあ実際にそもそものスペックが高く、それでいて意外とこれでも努力型であるため言語化も上手いとあって、後輩たちからはやんややんやと喝采を受けていた。
本人も、
「ふふん」
満更でない模様。
とは言え、クルスだから集中している者は、
「ちょうちょ探しに行く人ー!」
「「はーい!」」
彼がいなくなると同時にいつもの日課に戻っていたのだが。
「あ、あれ、お姉さまは?」
一人、おろおろとしている高飛車金髪ドリルちゃん。
「ちょうちょ、行く?」
「い、行きませんわよ。そんな、子どもっぽいこと」
「よし、じゃあ行こー!」
「言葉通じませんの!?」
後輩三人を引き連れ、いざ征かんちょうちょハンティング。
ちなみに、
「見つけましたわ!」
「すごーい! 才能あるよ!」
「ふふん、当然ですわ! おーほっほっほ」
「笑ってねえで捕まえろよ、ドリル」
「んな、アミュ・アギス!」
意外と楽しくやっていた模様。
〇
「何処に行きますの、クルス」
「……君に言う必要が?」
クルスの後を追い、話しかけたフレイヤの表情が曇る。そういう冷たい反応が返って来るのはわかっていたことなのに、それでも心は軋む。
「後輩への指導、感謝いたしますわ」
「……迷惑じゃなければいい」
「迷惑なんて誰も思っていませんわ。後輩にとって、ヴァルハラにとって、とても意義のあることですもの。エイル先輩も喜びますわ」
エイルの名を聞き、クルスは少しだけ立ち止まる。何かを、迷うような気配、あえてフレイヤは何も言わずに待った。
「……エイル先輩は、何か言っていたか?」
口に出すのを迷っていた問い。それが出されたことに、ほんの少しでも引っ掛かりが残っていたことに、フレイヤはほっとする。
「最後に会えないのは寂しいけれど、それでも元気になってくれたならそれ以上はない、と。あと、もう一つだけ――」
「……」
「君がユニオンを目指そうと思っているのは気づいていた。その背中を押してあげられなかったこと、許してほしい、と」
「……そう、か」
「わたくし、知りませんでしたわ」
「先生以外、誰にも言ってないからな」
クルスはつく必要のない嘘をつく。ミラには伝えた。それは己の弱さ、あんな場面で口にすべきことではなかった。弱いから、こぼしてしまった己の汚点。
今は堂々と言える。
「エイル先輩にも、君にも、ファナにも、大きな借りがある。だから、あれは感謝する必要などない。ただの返済だ。自己満足でしかない、がな」
「随分と、変わりましたわね」
「何も変わっていない。ただ素直になっただけだ。元々俺は、俺以外どうでもいい人間だったんだよ。弱かったから、弱過ぎたから、そう在れなかっただけで」
「……わたくしはそう思いませんわ」
クルスは振り返り、フレイヤの眼を見る。真っ直ぐに己を見据えるそれは、今の自分には少しばかり眩し過ぎた。
「君は、俺のことより自分のことを考えた方が良い」
「あら、進路のことならご心配なく。貴方もこの前言ったでしょう? わたくしはヴァナディース、平等ではない、と」
「対抗戦に出られなかったら、どうする?」
クルスはあえて、
「気づいていないとは言わせない。君よりもディンの方が強い。デリングもそうだ。あの二人が、ヴァナディースである君を引きずり下ろす気がないだけで、実力だけなら君は四番手だぞ。まあ、あくまで俺の見立てでしかないがな」
冷たく、尖らせた言葉をぶつける。
「……ええ、気づいていますわ。で、それが何か? あの二人にその気がない以上、わたくしが安泰であることに変わりはないでしょうに」
「あの二人にその気はなくとも、俺はその気だ。ディンはともかく、デリングはナルヴィ、対抗戦に出ないわけにはいかない。俺が割って入ったら、その席が安泰とは限らないんじゃないか? それとも、その状況でも彼らの善意に期待するか?」
「……気の早いこと」
「俺は遠慮しない。ヴァナディースだろうが知ったことか」
「……」
クルスの宣戦布告、それに対するフレイヤの表情を見てクルスは彼女に背を向けた。これ以上は、毒だと思ったから。
「俺は全員を引きずり下ろす。くじ運で二位になって知った。意味がないんだよ、一等賞じゃないと。結局何者でもない。俺にはそれが我慢ならない」
言うだけ言って、クルスは歩き始める。問答すればするほどに揺らぐ。自分の弱さに呆れ果てるしかない。
何が切り捨てただ、と。
「わたくしの志望先はクルスと同じ、ユニオン騎士団ですわ」
「……」
クルスはほんの少しだけ立ち止まる。すでにアンディ主催のお疲れ様会に出席した者たちは知っていることだが、クルスにとっては初耳。
ヴァナディースである彼女が、アスガルドの外に出ると言うこと。
すでに丸二年、騎士の世界に、アスガルドの中にいた。
その大きさは多少なりとも理解しているつもりである。
「お兄様すら成し得なかった対抗戦優勝。久方ぶりの栄冠をこの国にもたらし、わたくし自身の器がこの国に収まらぬことを示す。ただ優勝するだけではなく、誰よりも貢献する。それがわたくしの夢ですわ。幼き頃の、浅はかなる夢」
「……今は諦めたのか?」
「今までは。でも、今成すと決めましたわ」
「……」
「負けませんわよ」
「……夢が砕けても泣くなよ」
「そちらこそ」
クルスはそのまま歩き去る。本当に、実に不愉快な話である。
(……敵に挑まれて、笑ってんじゃねえよ)
ディンも、デリングにも悪気があるわけではない。だからこそ彼女は何も言えぬままここまで来た。善意、厚意、それらが彼女を縛る。
騎士の世界のことなど知ったことか、とヴァナディースに噛みついてくるやつ自体が希少なのだ。それだけで彼女が喜んでしまう程度には。
(……不自由、か)
隣の芝生は青く見える。恵まれた境遇、羨ましい、狡い、許せない、と憤るのは簡単であるが、特権の裏に潜むがんじがらめとなる鎖を見ると、逆に何もない自分の方が恵まれているのでは、と思ってしまう。
どうでもいい、無駄なこと、切り捨てなければいけないのに――
「……」
己が向けた敵意に対し浮かべた、嬉しそうな貌が脳裏に焼き付き、削れない。
〇
「無駄なことしとる余裕あるん? えらい余裕やね」
毎度のことながら口の悪い師を前に、
「俺が余暇時間をどう使おうと、俺の勝手でしょう?」
クルスは剣を構えながら、
「それとも、四六時中鎖で繋げておきますか? 別に俺は構いませんけど……えらい暇ですねぇ、マスター・クロイツェル」
同じように悪口で返す。
「……最近、随分口が回るようになってきたんやない? 成長やねえ、僕嬉しいわぁ。これが教師の気持ち……反吐が出るわ、ボケカス」
クー・ドラコ、クルスは対峙するプレッシャーに顔を歪めた。幾度も、毎日顔を突き合わせてもまだ慣れない。一生慣れることはない気がする。
レフ・クロイツェルが放つ、獰猛な殺気には。
「剣に曇りが出たら……ほんまに殺すで」
「構いませんよ。ただ、うっかり俺に殺されないよう気を付けてくださいね」
「ぶは、千年早いわゴミカスゥ!」
(来いよ、クソカスがァ!)
殺し合いとしか思えない殺気同士、剣同士が衝突する。どちらも安い攻撃が、安い受けが出たら殺す気しかない。
間違えたら死ね。
それがこの二人の、歪な師弟の関係性である。
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