第84話:遠い昔の――

 自然と調和した美しき都市の郊外、山のふもとにたたずむ寺院の境内にて無数の剣戟が響き渡る。その音の中心には一人の男が腕組みし、仁王立つ。

「連携が甘い! 一人で戦おうとするな。相手を頼り、相手に頼られよ」

 十名ほどの子どもたちに囲まれながら、男は悠然と全てを受け止める。

 剣は遠く、

「神術の練りも足りん。剣と神術あってこそ、人を超え騎士へと至るのだ!」

 色とりどり、様々な魔法の如し攻撃が男へ向かうも全てが男の操る剣を前に撃墜されてしまう。圧倒的な精度と威力、あらゆる敵を遮断する地の剣。

「さあ、どうした騎士の卵たちよ。一人前の騎士と認められたいのなら、この私の腕ぐらい解かせて見せよ! 深く踏み込まねば見えぬ頂がある。試練を乗り越えねば届かぬ境地がある。踏み込め。そして、私を越えてみよッ!」

 騎士の卵たちの前にそびえるはウトガルドが正騎士『人剣』のシャクス。王より二つ名を与えられた騎士の頂が一角である。


     ○


「シャクス、陛下から招集、だ。……おいおい」

「おお、兄上」

「……やり過ぎだ。まだ子どもだろうに」

 シャクスを呼びに来た一人の男が目の前の光景にあきれ返る。この寺院は学び舎も兼ねており、ここでは騎士の卵たちが『先生』であるシャクスによって日夜鍛えられている、のだが、とにかくこの男、実技となると厳しいのだ。

「ま、マスター・サブラグ、だ」

「うぐぅ、立たなきゃ、いけない、のにぃ」

「か、かっけえ」

 死屍累々、容赦なくボコボコにされた卵たちは地面に倒れ伏しながら、敬意を表すべき相手の登場に立ち上がろうとする、も立てず。

「ほほう、話せるようなら余力があると見た。修行の続きと行こうか」

「……」

 しーん、沈黙が横たわる。全員、死んだふり作戦を取っていた。

 その光景にシャクスは苦笑しながら、

「話せぬのなら仕方がない。しばし留守とするゆえ、私が戻るまでは自習とする」

 教え子たちに自分の不在を伝えた。

 その瞬間、

「イエス・マスター!」

 地面から元気な声が響く。

「……ほーん」

「イェス・マスター」

「はっはっはっは! ではな、皆の衆」

 シャクスは兄サブラグと共に寺院から離れていく。しっかりと気配が消えるまで子どもたちは地面に這いつくばり、気配が消えたところで、

「よっしゃあ! しっぽ取りやろうぜ!」

「シャラァ!」

 元気よく遊び始めた。

 そんな気配は――

「あれで意外とタフなのですよ、子どもと言うものは」

「ふっ、そのようだな」

 寺院から離れた二人の探知範囲内であった。あとでこってりと絞られることに成るとは露知らず、子どもたちの楽しげな雰囲気が二人の相好を崩す。

「だが、もう平和な時代だ。俺たちのように死に物狂いで鍛える必要などないぞ」

「逆ですよ、兄上。平和を保つためにも騎士が要るのです」

「……ご両親からのクレームは?」

「そりゃあわんさか来ますとも。平和の証です」

「……お前を教師としたのは陛下唯一の誤りであったと思うよ」

「私は天職と思っていますがな。がっはっは!」

 二人は実の兄弟であるがウトガルドの民に共通する黒髪以外で似ているところはあまりなかった。シャクスの顔立ちは少しごつめであるのに対し、サブラグは端正な顔立ちであり美しさも兼ね備えている。当然婦人方には馬鹿ほどモテる。

 シャクスは男受けのみ。でも妻子持ちはシャクスの方である。

 背がとんでもなく高い弟と背がそれなりに高い兄。初見の者が見れば誰も彼らが兄弟であるとは思わないし、兄と弟も必ず逆を答えてしまうだろう。

「それで、陛下は何と?」

「おそらくは廻廊絡みだと思うが。俺も詳細は知らぬ」

「最近不安定ですからね」

「ああ。千年続いた戦争がウトガルドそのものを疲弊させた。大規模な神術の多用が土地を痩せさせ、其処が特異点と化しつつある」

「また英知が流れて来たのかもしれませぬぞ。我らの家に伝わるゴエティアのように。昔はよく流れ着いたらしいですからな。異世界のものが」

「だと良いが」

 兄サブラグはあまり良い予感がしていないのだろう。先ほどからずっとしかめ面であった。それと比べると弟シャクスは楽観的である。

 まあ、何があろうとも――

「何があろうとも我らが守ればいい話です」

「また戦争か? それこそ騎士が足りんぞ。まさかあの子たちを実戦に出すわけにもいかんだろうに」

「当然です。剣も神術もあまりに未熟。万民の盾足り得ません」

「ならば、何も起きぬことを祈れ。俺も戦いはこりごりだ」

「……ですな」

 自分たちは生まれた時から戦争があった。サブラグは八歳、シャクスは十歳で戦場に出て、以来歴史に残る戦争終結まで戦い続けてきた。自分たちはいい。いくらでも戦える。命を失う覚悟もある。

 だが、大戦から二十年。戦争を知らぬ世代もどんどん生まれてきた。若き騎士たちは実戦を知らず、上の世代はどんどん引退して血が入れ替わっていく。

 そもそもほぼ相打ちに近い戦争の結末、無事に生きている騎士自体が少ないのだ。この二人はその中でも数少ない最前線を張り続けてきた歴戦の騎士である。

 人は彼らを騎士(リッター)と呼ぶ。


     ○


「天剣のサブラグ、参りました」

「人剣のシャクス、参じました」

 玉座の間、其処にはずらりと騎士が居並ぶ。両翼に分かれた騎士の列、その先頭二つ分が空く。対面には――

「遅いぞ、サブラグ」

「五分前だ。間に合っているぞ、イドゥン」

 イドゥンと呼ばれた騎士ともう一人若き騎士が並ぶ。

「ほう、それを御前で申すか」

 イドゥンのからかいに対し、

「申すとも。出来れば陛下には定刻通りの動きをしていただきたいものですな。こうして真面目な忠義者が割を食う羽目となる」

 サブラグはイドゥンより先、御前に向かい堂々言い放つ。

「い、如何に『天剣』とは言え、あまりに無礼ではありませぬか!」

 イドゥンの隣、若き騎士が口を挟むが、

「よい。余が悪かったな。最近暇ゆえ早く着き過ぎた。許せ、サブラグ」

 他ならぬ御前、玉座に座す王から許しが出た。

「わかればよろしいかと」

「はは、こ奴め。いつか打ち首にしたる」

「忠義者を失いますな。国にとって大きな損失です」

 王とサブラグの嫌味の応酬。古参の騎士たちは苦笑いを、隣のシャクスも呆れ果てやれやれと首を振る。若き騎士たちはどうなってんだ、と思うがそれは戦場での彼らを知らぬがゆえ。サブラグ、イドゥン、そして王の三名は幼き頃より大戦で同じ釜の飯を食らった仲であり、彼らなりの距離感があるのだ。

「さて、全員揃ったな」

 王は今一度ふた振りの剣に目配せし、

「よくぞ集った、ウトガルドの守護者たちよ!」

 二つの列を形成する壮麗なる騎士たちへ言葉を向ける。この場にいるのは全員が二つ名を冠せられた正騎士の中でも一握りの騎士たちである。ウトガルドが誇る最高戦力であり、万民の剣、万民の盾。

 世界の守護者が今、並ぶ。

「卿らに集まって貰ったのはほかでもない。耳にしておる者もいるやもしれぬが昨今、廻廊が辺境を中心にいくつも発生しておる」

 廻廊の発生だけならばおそらく全員既知の情報である。

 だが、

「その奥より、人間が現れた」

「っ!?」

 王から放たれた一言が全員を驚かせる。

「言葉が通じず意思疎通は出来ておらぬが、廻廊の先から現れたのは間違いない。しかも一人ではなく、別々の廻廊から数名、同時期に迷い込んだのだ」

「……同時期に、か」

 サブラグは険しい表情で考え込む。

「廻廊のことであれば卿が一番詳しかろう、サブラグよ」

「……廻廊は未だ不明な点が多く、断定出来ることは多くありません。しかし、そうですね。同時期と言うのは偶然とは思えません。今までそれぞれ別の次元と繋がっていたはずの廻廊が一所と繋がった、と言う可能性はあります」

「要因は?」

「……これも断定は出来ませんが、目下悩みの種である魔力の欠如……神術の乱用による異常気象、自分はそれが遠因であるかと思います」

「まあ、そうなるか」

 二十年前、戦争終結の際に両軍が打ち合った超規模の神術。それによる自然への影響は未だ消えず、むしろ広がりすら見せていた。

 そんな中起きた異常、となれば必然其処に結び付くだろう。

「イドゥンよ。現れた者たちへの処遇、どうすべきと考える?」

「これから先も廻廊が繋がり続けるのであれば、付き合っていくよりほかに道はありません。なれば友好的に、こちらの食事でも与えて帰すべきかと思います」

「ふむ。サブラグは?」

「争いの芽を摘みたいところですが、相手の戦力がわからぬ今は事を荒立てても仕方がないかと思います。イドゥンの意見に倣いましょう」

「はっは、珍しいな。二人の意見が揃うのは」

「「そうでもありません」」

 王が腹を抱えて笑う中、言葉まで揃った二人は互いを睨み合う。

「では、一度彼らを帰し様子を見てみるとしよう。あとは……そうだ、シャクスよ」

「はっ」

「心苦しいのだが人手がいる」

 シャクスの表情が強張る。

「辺境まで今の戦力では手が回らぬのだ。これから警戒が必要となるかもしれん。ゆえに寺院での育成を切り上げ、年長の子どもたちを実務に充てたい。無論、戦となれば卿らをすぐに派遣する。余が出張ることもあろう。どうだ?」

 シャクスは返事に窮していた。その廻廊より現れた人間が敵か味方かはわからない。戦力も不透明である。それに対して警戒をせねばならない。それは道理である。

 手が足りない。それも理解している。

 それでも――

「出せます」

「っ! 兄上!」

「年長組は十五です。十三までは出せるでしょう」

「教師は私です! その判断は私の――」

「俺もお前もとうに戦場で活躍していた歳だ」

「時代が違うでしょうに!」

「御前で声を荒げるな、シャクス!」

 サブラグの気迫に当てられ、シャクスは口をつぐむ。

「……どっちが声を荒げているのやら」

「黙れイドゥン。俺の派閥の問題だ。派閥の長である俺が出せると判断した。それに異を唱えたものを叱責した。それだけのことだ」

「卿は厳し過ぎるよ」

「卿らがぬるいからそうなる」

 サブラグとイドゥン、先ほどのじゃれ合いから一変、殺気の如し圧が二人の間でせめぎ合う。若き騎士たちが背中に汗をかいてしまうほど――

「やめよ見苦しい」

 だが、その圧をより大きな圧が吹き飛ばす。

 王の威、であった。

「……シャクス、子を思う気持ちはわかる。されど国難。許してほしい」

 一転、穏やかな声で許しを乞う王の言葉に、

「いえ。私の間違いでした。任務を限定すれば充分、運用可能です」

 シャクスは頭を下げて王の要請を受け入れた。いや、受け入れる以外の選択肢など初めからないのだ。今は騎士が足りない。戦える者が少ない。引退した者を引っ張り出して誤魔化し続けているのが現状であるのだ。

 さらに手が必要ともなれば、そうする以外の道はなかった。

「では子どもらには従騎士を与え、銘々を警戒の任に就かせる。配属は卿らに任せてよいな、サブラグよ」

「お任せください」

「うむ。廻廊の調査に関しては神官らが絡むゆえイドゥンらに任せよう」

「御意」

「皆も心せよ。これが吉兆か、はたまた凶兆かはわからぬ。だが、警戒は必要である。場合によっては戦の可能性もある。未だ大戦の傷は癒えず。されど我らには勝利者ゆえにこの統一王朝を、この大地を、ウトガルドを守る責務がある。万民のため、命を捧げる覚悟だけはしておくよう。余もまたそのつもりだ」

「御意!」

 王の言葉に騎士たちが一斉に応じる。

「うむ。では、解散。サブラグ、イドゥンは話があるゆえ残ってくれ」

「「はっ」」

 新たな時代か。滅亡への序曲か。

 騎士たちは時代の変わり目を知る。今はまだ彼らの名すら知らなかった。


     ○


 シャクスは寺院に戻り、子どもたちに従騎士昇格を告げた。自らの実力が認められたのだと喜ぶ子どもたちを見て、シャクスは無理やり笑みを浮かべるしかなかった。ようやく訪れた、やっとのことで掴み取った平和の時代である。

 その象徴である子どもたちを危険になどさらしたくない。自分が傷つくのは良い。死ぬことも厭わない。常にその覚悟で戦ってきた。

 だけど、

「マスター・シャクスの期待に応えます」

「僕も!」

「自分も!」

「見ていてください、先生!」

「……ああ」

 それが子どもたちに向けられない。死を恐れたことなど一度もなかったのに、この子たちに危険が及ぶかもしれない、ただそれだけが苦しいのだ。

 たったそれだけのことが――耐え難い。

「先生また明日ー!」

「気を付けて帰りなさい」

 いつかは巣立つ時が来る。今までも納得し切れぬ巣立ちはあった。されど、それでも最低限は仕上げた。覚えの悪い者にも親身に付き合い、備えるに至った。

 だが、今回は違う。明らかに足りていない。

「では、私たちも帰るか。ヴィネ」

「はい、父上」

 愛する息子がそうであるように。

「父上に認められてうれしいです。十四で従騎士は有望ですよね」

「ああ。だが、父さんは十で従騎士、十二で準騎士、十五で――」

「……じ、時代の違いです」

「ははは、その通りだ」

 自分の宝物である息子の頭をぐしゃぐしゃ撫でシャクスは微笑む。戦争で摩耗した心を女房が、彼女から生まれたこの子たちが癒してくれた。

「や、やめてください。もう子どもじゃないんですから」

 守らねばならない。この命に代えても。

 そう思っていた。

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