第63話:災厄の騎士、衝突
「……っ」
ゼロス・ビフレストは眼を見開く。
「……まさか、直接遭遇したと言うのか」
某国、深き森の奥地にて姿をくらましていたゼロスであったが、繋がりを逆流され自らの居場所が看破されたことを感じ取る。
そんな芸当が出来るのは――
「私のせいであの子を死なせるわけには……無事? 何故そう言い切れる? 私を介し貴方と繋がりがあった子だ。念を入れて殺されてもおかしくない」
ゼロスは己以外誰もいない場所で、まるで誰かと会話をしているかのように言葉を重ねる。其処には誰もいない。彼以外、動物すら寄り付かぬ領域ゆえに。
「……遠い、血の縁。そうか、そうだな。貴方と違い、彼はずっと『正気』だ。あの子の中のほんの少し、かすかに混じった血の分、甘くなったか。もちろん、今のあの子が微塵も脅威に映らなかったから、と言うのもあろうが」
かすかに安堵し、ゼロスは虚空へ手を伸ばす。
怨嗟の炎より来たるは、魔に堕ちた騎士の剣。かつてそれは美しく、国を代表する名工が拵えた二振りの一つであった。
今は闇が侵食し、憎悪と恩讐がこびりついた怒りの塊であるが。
「運が良いのか悪いのか。数年後であれば、見逃されなかっただろうに」
百年、騎士の在り方は大きく変わった。たったの百年でこうも変わったのだ。その十倍の年月にも渡るこびりついた価値観は、容易くは拭えまい。
例え、その中に在ろうとも、彼にとって『本物』の基準は彼が生きてきた時代のもの。理屈ではなく本能が、今のクルスを成り得る者と見做さなかった。
神話の時代、百年前などとは比較にならぬほど、騎士とは才能こそが全ての世界であったから。それは今、ゼロスが一番、嫌と言うほど理解している。
魔道に堕ち、相当増幅されているとはいえ――
「来たか」
ゼロスの眼前、森の木々がぐにゃりと歪み、そのまま夜色の球体が幾重にも発生し、木々を飲み込み、世界を塗りつぶしていく。
その一つ一つが、ダンジョンと呼ばれる世界を繋ぐ回廊。
その奥より、
「ようやく見つけましたよ、マスター・ビフレスト」
「それとも、マスター・イドゥンと呼ぶべきでしょうか?」
ゼロスも見たことがある騎士たちが現れる。
「……なるほど。あの時点でとうに堕ちていたか」
彼らは皆、アースでメラ・メルと共にアスガルドで封印していたイドゥンの左眼、その搬送中に戦死したはずの騎士たちであった。
「その節はどうも。死ぬのは初めてでしたが、くく、存外大したことはなかったですなぁ。貴方が節穴でなくば、今はなかったのでしょうが」
「そうだな。確かにあの時点では節穴であったよ」
ゼロスの左眼がぎょろりと蠢く。瞳の奥に怒りの炎を宿した、魔王の眼。
『今はもう、充分馴染んだ。折角生き延びた命だが、今日が命日となる』
ゼロスの身体が黒き炎に包まれ、漆黒の鎧姿と成る。災厄の騎士、ユーベル・リッターとして彼は魔王の剣を握り込む。
かつては守るための剣、今は滅ぼすための剣である。
「……我らもあの時と同じと、思われては困る!」
そして戦死したはずの第十二騎士隊、その面々もまた自らに剣を突き立て、噴き出た血が剣となり彼らの身を包む。
その姿は皆、ゼロスとは異なる装いであるが同種の存在であった。
災厄の騎士である。
『見よォ! 我らは人を超越し、究極の力を手に入れたのだ! 我らが王、サブラグ様によって我らは生まれ変わった。もう二度と、くく、あのクソ生意気な小娘にデカい顔などさせん。何が、成らず者だ。はは、ああ、もう死んでいたかァ!』
『……違うな。私が殺したのだ』
『ぬっ!?』
ゼロスはあえて、彼らが形成する布陣のど真ん中に飛び込んできた。少し機動するだけで易々と包囲できるポジションである。
『彼女は騎士だった。ゆえ、騎士として一騎打ちにて下したまで』
ゼロスは悠然と、敵陣の真ん中でゼー・シルトの構えを取る。
『騎士足り得ぬ者たちよ。全員で来るがいい。君たち相手に騎士の流儀を通す気はない。紳士足り得ぬ獣、貴様が最も唾棄する存在であろうが、友よ!』
ゼロスの中から、別の怒りが炎となりこぼれ出る。
『ぬかせ!』
騎士たちが一斉に殺到する。曲がりなりにも素体は元秩序の騎士。その中で際立った存在でないとはいえ、世代トップクラスの実力者であったことは間違いない。其処に魔道の力が乗り、かつての彼らとは別物の力を振るう。
その剣鋭く、数多の実戦経験で培ったチームワークは一糸乱れぬ動きで、間断なくゼロスへと襲い掛かる。瞬時の展開、前衛後衛が激しく入り乱れながら、その中でここまでの安定感はさすがの一言。
ただ、
『な、んだ、こいつは!』
『騎士もピンキリとは、ふふ、誰の言葉だったかな』
中央に君臨するゼロスは小動もせず、まるで赤子でもあやすかのような手つきで彼らを捌いていく。いくら王を内包しているからと言って、その王はすでに敗れた残滓でしかなく、彼自身は敗れた王の騎士でしかない。
紛れもなく同格のはずなのだ。
だと言うのに、
『く、崩せぬ!』
『心折れ、魔道にすがり、錆び付いた。どれだけ力を得ようとも、その淀んだ眼では何も見えぬ。剣が泣いているよ』
『あっ』
差し込まれたカウンターは、それほど速くもなければ強くもないものであった。来るとわかった。わかり切っていた。
それなのにいつの間にか自分は死に体で――首と胴が離れていた。
『燃えよ、高らかに』
『ぎっ』
炎が首と胴を焼き尽くし、骨の一片すら残さずこの世界から存在を消す。
『ぐっ、同じリッターでも、ここまで違うのか』
騎士たちは一斉に後退する。自らの主にやらせて欲しいと願った手前、撤退こそ出来ないが勝ち筋が微塵も見えない。騎士としての技量も、魔道の規模も、成り立ての彼らでは到底及ばぬ存在であった。
これが百年前、マスター・ウーゼルと双璧を成した騎士、ゼロス・ビフレスト。彼らはその姿に、圧倒的なまでの力に、それぞれ自分たちの心を折った天才たちを思い出す。秩序の騎士と言う上澄みの中でも傑出した者たちを。
『マスター・ビフレストォ』
彼らの多くは第十二騎士隊出身者ではなく、先輩の、同期の、後輩の天才たちに心折られ、異動を希望して第十二騎士隊へ移った者たちであった。
凡人の味方、博愛の騎士レオポルド・ゴエティアを頼って。
『こんなものが貴様の復讐か』
ゼロスに混じった者が哀しげにつぶやく。成らず者が出るのは仕方がない。ユニオン騎士団は学校ではないのだ。落ちこぼれ、剣を折る者は追うべきではない。
それどころか手を差し伸べ、人よりも醜き獣へと堕すは――
『これがミズガルズの本性。人の皮を被った獣が姿だ、マスター・イドゥン』
遠く、咆哮と共に何かが顕現する。
ゼロスの中で怖気が走る。
『本物』が、来た。
『兄上はそれを暴いたに、過ぎぬゥ!』
『……マスター・シャクス』
地の底より剣が森の如く湧き出し、ひときわ大きな剣の上にその騎士は仁王立つ。彼の登場に慄く騎士たちとは違う、オリジナルの災厄の騎士。
『憎しみを忘れたか。騎士の中の騎士ともあろう御方ががが』
『千年経った。それを向ける相手はもう、この世界の何処にもいない!』
『その言葉、我らが民に向けられますかな。神炎の騎士よ』
『……』
『それとも、器が我らの炎を騙り、言葉を紡いだか。やはり、許せぬ、許さぬ。断じて、断固として、必ず、確実、絶対、我が剣に、駆けてェェェエエ!』
シャクスの全身から剣が生え、地に根差す。
大地が、ゼロスの足元が隆起する。
『人剣の騎士シャクスゥ! 参る参る参る参るゥゥゥゥウウ!』
『炎を借りるぞ!』
地より顕現する剣をゼロスは跳躍して回避し、虚空より黒き巨大な炎を生み出す。憎悪に囚われ、魔道に堕ちようとも『本物』は失われない。
狂気の中に在っても、彼の騎士は錆び付かない。
民がための騎士、天と対を成す人の剣を振るう騎士、その柱は今も揺らがず、それだけが彼を支えている。
存在しない者を守り、それを脅かす存在しない敵を討つ。
自己矛盾を塗りつぶす、狂気と共に。
『剣よ、剣よ、剣よ、剣よ、剣よ! 獣を討ち、我が民を守り給えェ!』
『怒りの炎よ、全てを塗り潰せ!』
これが千年前のトップレベル、神話の騎士たちの戦い。次元の違う戦いを目撃したならず者たちは皆、剣に、炎に飲み込まれ、ちり芥のように消える。
『来たれ、我らが同胞たちよォ! 全ては、忠義のためにィィイ!』
さらに空間が歪む。
其処から、
『ォォオオァアア』
『マモ、る、マモマモルるルるるルル』
さらに騎士が追加される。彼らもまた、『本物』。とうの昔に自我はかすれ果て、残滓のみが其処に在る。それでも騎士として彼らは生き続ける。
『くっ、龍脈上で休んでいたことが裏目に出たか!』
ミズガルズで彼らは真の力を発揮できない。それはイドゥンを宿すゼロスも同じこと。だが、この場は限りなくウトガルドに近い領域であった。
大気中の魔力が、地面より湧き出る魔力が、濃く、世界を彩る。
ゆえに、
『アアアアアアアアアアア!』
暗雲が立ち込め、天を覆う。黒き雷が空を走る。魔力があれば、魔力さえあれば、彼らは奇跡のような力を行使することが出来るのだ。
かつて騎士とは、そう言う生き物であった。
『……三騎は勝てんな。悪いが、利用させてもらうぞ!』
ゼロスは腹を決め、
『怒りの日が来た。今、復讐の時! いざ集え、ウトガルドの御旗の下に!』
彼らの言語に魔力を乗せ、咆哮する。
降り注ぐ雷、されどそれはまたしても歪んだ空間より現れた漆黒の巨大な鳥が貪り喰らう。まるで餌の如く。
『イシュトリヤ、ギムレー。許せ』
雷を喰らう漆黒の鳥を操る騎士。ゼロスの代わりに雷を放った騎士とは別の、全てを破壊する鋼鉄の拳を持つ騎士の攻撃を受けながら小動もしない死なずの騎士。
『おお、なんという悲劇か。同胞が、相争わねばならぬとはァ! やはり許せぬ、ミズガルズの獣どもよ! 我らが神罰を受けよォォォオオ!』
『『……』』
『……あれらは騎士の理を失い、姫様の敵と成った』
鈍い反応であった新たに現れた騎士たちは、ゼロスの一言で強烈な反応を示し、眼前の騎士たちに『怒り』を向ける。
『戦え!』
『『イエス・マスター!』』
『民を守れ!』
『『イェズ・マズダァ!』』
これより始まるは魔王イドゥンの騎士と魔王サブラグの騎士、災厄の騎士(ユーベル・リッター)と呼ばれた怪物たちの戦いである。
それも互いに虎の子同士、最上位の騎士たちによる攻防は、土地の影響もありこの時だけ、かつての時代を映し出す。
騎士とは選ばれし者。世界の守り手。
神話が、災厄が、人知れず巻き起こる。
○
夢を見ていた。
それが夢だとわかるのはクルスの知らない景色であったから。花は手折れ、城は焼け、砕け、哀しいほどに其処には絶望が広がっていた。
二人の騎士は泣きながら王城へ剣を向ける。
美しき炎と、幾多の名剣を浮かべて――
其処には異形の怪物がいた。騎士二人もまた異形と化しつつあったが、それでも彼らは剣を向けた。血の涙を流しながら、ただ一つの忠義を抱きて――
「征くぞ! ■■■■!」
「わかって、いる! ■■■■!」
黒髪の騎士二人、世界の魔を凝縮したような異形を前に戦いを挑む。その異形の獣もまた、黒き鬣を持ち、その貌には人の名残と、砕けた王冠が残る。
そんな夢を、見た。
「……あ、れ」
ただ、起きた時にはそんな夢、さっぱりと頭の中からは消えていたのだが。起き上がったクルスは見知らぬ風景に首を傾げた。
「おや、起きたね」
「あ、あの、ここは?」
「駅員の休憩所。君はマスター・ゴエティアに運び込まれたんだ。私はさっきの列車に乗っていた運転手ね。今日はあれで交代、上がりだったから」
「……ご、ご迷惑をおかけしました」
ようやくクルスは思い出した。急に頭が痛くなり、吐き気も覚えて倒れ込んだことを。体がピクリとも動かず、意識はかすれていたが――
「あの、マスター・ゴエティアは?」
「君を運び込んですぐに秩序の塔へ向かわれたよ。忙しい方だからね」
「そ、そうですか」
倒れ込んだ自分を覗いた眼、何処か寂しげで、遠くて、それでも何故かほんの少しだけ温かみを感じた。それが何故かはわからないが。
「あの御方の口利きで、今日中なら別の便にその券で乗れるから」
「ほ、本当ですか?」
「内緒だよ。気分はどう?」
「あ、もう大丈夫そうです」
「それならよかった。君が無事だったことは今度私から伝えておくよ。あの御方は世界中を飛び回っているからね。運転手の僕は結構会う頻度も多いから」
「ど、どうも」
何故か得意げな運転手にペコペコ頭を下げながら休憩室を後にする。今まで一度もなかった体調不良を振り返りながら。だが、思いつくことはない。
しいて言えば昨日、暴食の限りを尽くしたが、あれしきのことで壊れるような胃袋ではない。田舎者は幼少期、とにかく目につくものは一度口に含み、色々と痛い目を見ながら鋼の胃袋を手に入れるものなのだ。
ストレス、と言うのも考えにくい。それが原因であれば、学校に入ったばかりの時、もっと激烈に体調を崩していないとおかしいのだ。あの時ほど色々と辛かった日々はないから。今でも思い出すとたまに胃が縮こまる。
が、それだけ。
「まあ、いっか」
ここでクルスのわからないものはわからない、と切り捨てる感性が爆発する。今わかること、今出来ることに関しては煮詰めるタイプであるが、今わからない、今出来ないと判断するや否や、クルスはバッサリと切り捨てるきらいがある。
特にテストの時は顕著で、わからないなりにもう少し粘りましょう、と算術の先生から名指しで言われたほどであった。しかしクルスにはそれが良くわからない。わからないものをその場で粘るより、わかるものを先に解いた方が効率的であるし、わからないことは後で調べて補完しておけば良い、と言う考え方なのだ。
そんな男が何もわからぬことに思い悩むわけもなし。
明日には今日のことは思考の外であろう。
繊細なようで結構図太い生き物なのだ、クルスは。
「よーし、メガラニカへゴー!」
一人、出遅れたクルスはメガラニカへ向かう。今日起きたことを彼は、それこそレオポルドと再会する時まで思い出すことはなかった。
それはもっと、ずっと先のことである。
クルス・リンザールは新たな経験を求め、私立の星メガラニカへ向かった。今この時、ある場所で巻き起こる戦いのことなど知る由もなく。
「……ユニオン、物価高いなぁ。駅弁代も馬鹿にならないよ、とほほ」
お財布の中を覗き、肩を落とす。
駅弁を食べながら車窓に映る己の顔を見て、相変わらず締まりがない顔だなぁ、などとどうでもいいことを考えつつ、都会では少し珍しい自身の黒髪を弄る。
特に、何を考えることもなく。
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