第61話:世界最強とのお茶会

 クルスは今、緊張の極致にいた。心臓が口から飛び出しそうなほどに追い詰められている。精神衛生上、危険な水域に達していると言ってもいい。

 その理由は――

「粗茶だが」

「あ、ありがとうございます!」

 目の前に全ての騎士の頂点、ユニオン騎士団第一騎士隊隊長にして全ての秩序の騎士たちを統括するグランド・マスターであるウーゼルがいたから、である。

 ここは秩序の塔。選ばれし者しか踏み入れられぬ神域、グランド・マスターにのみ与えられ、世界を見渡すために彼らは天に立つ。

 そんな場所に凡骨クルスがいるのだから震えるしかない。

「美味いか?」

「お、美味しいです」

「そうか」

 正直、味がしない。

 何故クルスがこんな状況になったか、順を追って説明しよう。


     ○


 ミラとマリの激闘はギリギリ、紙一重でミラが勝利を掴む。彼女の喜びようは凄まじく、士気だけは爆上がりであったが――

「残念。無傷ならもう少しはやれたかもね」

「……クソ」

 意志の力だけで勝てるほど甘くなく、ソロンと言う壁にぶつかって爆散した。開始早々、ミラの快足を活かした踏み込みに合わせ、彼もまた同じ速度域で接近。ミラの拳を叩き落とし、そのまま短く鋭い一撃を顎へと見舞い、決着。

 無傷だろうが何だろうが、まずは快足を活かし前へと突貫するミラの性質を利用したハメ殺しであったため、おそらく同様の結果となっていた。

 今回のソロンは例年よりも厳しかったと皆が言う。いつもならそれなりに近い相手には花を持たせ、観客のためにも盛り上げようとするのだが、今年のソロンは相手の良いところを完全に消し、基本的に何もさせなかった。

 それゆえ、

「……あれ、そう言うことか」

「今更気づいたの? 他の連中はとっくに気づいてるわよ」

 嫌でも輝く一回戦の戦い。クルスのカウンター以外、ソロンはただの一度も被弾を許さなかった。あの絆創膏以外、彼はかすり傷一つ負っていない。

 皆が悔しさを抱くことすら許さぬ完全試合。

 ソロンは最初からクルスに示していたのだ。今回はこの傷以外、絶対に許さない、と。そして、当たり前のようにそれを実行してしまう天才。

 ぴかぴかの身体が示す。

「優勝、ソロン・グローリー!」

「ありがとうございます」

 この世代における絶対王者は己であると。

 三学年以下の部、優勝はソロン・グローリー。第二位、ミラ・メル。第三位にログレス上位の男、アスラク・ティモネンが並ぶ。

 死闘を繰り広げたせいもあり、マリ・メルは屈辱の四位。ミラが煽るとぶちぎれている辺り、意外と似た者同士であった模様。

 そして今回、番狂わせを巻き起こしたのが、

「前だ前! とにかく突っ込め!」

「もう何でもいいからこのまま突っ走れ!」

「リカルド先輩、ファイトです!」

「ぶふ、おうッ!」

 一回戦から強豪に当たり続け、顔面が腫れるぐらいに打たれ続けた男、リカルド・バルガスが気合と根性でひた走る。決勝、昨年大活躍した優勝候補筆頭を相手に序盤ボロのカスに打ち込まれ続けるも、ガードを下げずに固め続けてボディを連打。一回戦から続く猪の方が賢い、と言われるほどの前進を繰り返す。

 相手の打ち疲れとボディに刻んだ貯金が徐々に形勢を変えていく。

 それでも優勝候補筆頭、拳闘の技術でガードをこじ開け、拳を滑り込ませるようにガードの奥、顔面へ突き刺した。決まった、皆がそう思う。

 だが、

「行け! リカルド!」

「……へ、人の心配する前に、自分の就活やってろ馬鹿たれェ」

 客席から見知った声が聞こえ、良いのを貰って倒れかけたところを、さらに前進する。対抗戦ではこれが出来なかった。アセナ・ドローミの圧を前に後退してしまった。愚直に前へ行くしか能のない男が、後方に退いて何とする。

「ふざ、けるな!」

「前前前前前前前ェ!」

 対抗戦、三人の中で最も出場時間の短かった男が、今この大会で誰よりも長い時間戦い続けている。あの日の悔いが、戦うことすら出来なかった、しなかった、逃げた自分への怒りが、リカルドを前へと突き動かす。

 負けたとして戦うべきだった。エイルのように、ロメロのように、歯を食いしばってでも足掻くべきだった。

 その後悔を糧に――

「優勝、リカルド・バルガス!」

「あああああああああああッ!」

 大会史上最も打ち込まれた優勝者、リカルド・バルガスが誕生した。コロセウスの面々は歓喜に沸く。優勝者より、この会場の誰よりもボロボロの男は大きく手を掲げ喜びを示した後、リングの上に倒れ込んだ。

 下のカテゴリーが順当だったのに比べ、上のカテゴリーはまさに大番狂わせ。昨年の成績もそこそこ止まり、今年の評価もそこそこであった男は大方の予想を裏切り、無冠であったアスガルドに一つの栄光をもたらしたのだ。

 打たれず勝つ王者も素晴らしいが、打たれてなお不屈の闘志で戦い続ける王者は大会を盛り上げる。まさに拳闘の醍醐味を凝縮した大会であった。

 自分も来年こそは、とクルスは前向きに意気込む。

 決して天才ではない。コツコツと努力を積み上げてここまで来たリカルドが栄冠を掴んだからこそ、そう思えたのだ。

「リカルドが優勝できた理由、わかりますか?」

「理由、ですか? 打たれ強さ、とか」

 バルバラはクルスに語る。

「彼は別に打たれ強くありませんよ。打たれ慣れているだけです。技術もトップレベルになく、体格も決して恵まれていません。貴方からすれば強打者に見えると思いますが、彼以上の強打者はいくらでもいます。今大会だけでも」

 ひどい評価である。だが、何故かそう語るバルバラの貌は誇らしさに満ちていた。だからこそ尊い勝利だったのだ、と言わんばかりに。

「正解は心です」

「心ですか?」

 そんなもので優勝を掴み取れるとは思えない。

「日々の修練をなまけず、結果の出ない日々を過ごし、それでも諦めずに努力し続けた。自分に特別な才能がないと知りながら。才能がない、と諦める者のなんと多いことか。諦めず断固抗う者のなんと少なきことか」

 先輩たちはリカルドの周りでやんややんやと叫び回っている。五年の同期はもちろん、四年の先輩たち、当然自分たちも部長を慕っている。

 それは確かに日々の姿勢、それへのリスペクトが強かったかもしれない。

「対抗戦では大いなる挫折を経験しました。それでも立ち上がり、また努力を積む。結果が出ないのではないか、意味がないのではないか、そう言った負の想いをねじ伏せ、踏み込んだから彼は勝ったのです」

「……」

「最後の一押しはきっと、貴方の奮闘でしたよ」

「……え?」

「後輩が怪物に挑んだのに、自分が退いたら格好悪い。意地もまた心。想いは時に才能を凌駕する。全てはここからですよ、クルス・リンザール」

「……イエス・マスター」

 自分はまだ登り始めたばかり。まだ駄々をこねるような経験などしていないではないか。先輩の良いところを学ぶ。高みを目指す凡夫の姿勢を、学ぶ。

 そんなこんなで大会は閉幕。先輩の祝勝会だ、と賑わうコロセウスの面々。クルスも気を取り直し、思いっきり戦い抜いたリカルドと何だかんだと二位まで勝ち上がったミラの祝勝、などしたら殺されそうなので触れないでおく。

 と言った感じに喧々囂々と賑わう中――

「失敬。ここにクルス・リンザールと言う学生はいるか?」

「!?」

 普段、あまり動揺しないバルバラでさえ顎が外れるほど、その人物に登場には皆が驚いた。満身創痍のリカルドも背筋を正し、横暴が服を着て歩いていると噂のミラも、面倒くさがりを極めたフィンも同様に背筋をピンと張る。

「あの、自分がクルスです」

「面白い経歴の学生がいると聞いたのでな。少し話をさせてもらえるか?」

「あ、これから祝勝会が――」

「馬鹿野郎! お前、マスター・ウーゼルの誘いを断る奴があるかよ! 親を質に入れてでも話をさせてもらえ。一生に一度もないぞ!」

「……?」

 リカルドが耳元で大声による囁き、と言う世にも珍しい技を見せる。動揺し過ぎて混乱極まっているのだろう。他の者も似た感じである。

「マスター・ウーゼル。差し支えなければ監督者として同行したいのですが構わないでしょうか? まだこの子は子どもですので」

「子ども? 騎士と成るのだろう? なら、大人も子どももない。俺たちはこの世代から戦場に出ていた。守り手が守られてどうする?」

「そ、それは」

 バルバラの提案を一蹴し、

「随伴不要。秩序の塔に招くは選ばれし者か客人のみ。俺が客人と定めたのはクルス・リンザールだけだ。控えよ」

「……はっ」

 ウーゼルは圧力満点の雰囲気でクルスを見つめる。

「どうする?」

 世界最強の騎士はクルスに問いかける。選ぶのはそちらだ、と。正直クルスとしてはこの『怖い男』について行くのは嫌だった。ただ其処に在るだけで気圧されるほどのオーラ、騎士の頂点となるべくして生まれた男。

 彼から学ぶことはないとクルスの本能が告げる。

 いや、学べるわけがないのだ。生き物として違い過ぎるから。

 だけど、

「あ、い、行きます」

 断るのも普通に怖かった。


     ○


 クソ長い階段を経て、クルスは秩序の塔に登り前述のシーンに移行する。人工物における世界最高峰の眺めは見事なものであったが、それを楽しめるほどのゆとりは今のクルスにない。何せそばには世界最強、最高の騎士がいるのだ。

 威圧感の塊の。

 そんな人物は茶を淹れ、客人であるクルスに提供した後自身の机の中をごそごそと漁っていた。ちなみに恐縮したクルスが「自分が淹れましょうか」と気を使ったところ、客人を歓待するのが騎士の倣い、と一蹴された。

 怖い。

「あった。ふ、随分色褪せたな」

 何かを見つけたのかうっすらと微笑み、ウーゼルは机の奥よりそれを引き出す。写真立て、と思しきもの。これまたちなみにクルスが知る由もないが、ウーゼルが笑みを見せることは滅多にない。ユニオン騎士団でもよほど古株か、それこそウルのような昔馴染み以外は見ること叶わぬ、レアな景色である。

 まあ、それはさておき、

「これを見よ」

「は、はい!」

 クルスの前に置かれた写真立て。其処には色褪せた一応、カラー写真が飾られていた。何人も並び、笑顔の者もいれば若かりし頃のウーゼルと思しき人物も仏頂面で写っている。ウーゼルに関しては今とそれほど外見は変わらないが。

「見覚えのある人物はいるか?」

「……え、と。マスター・ウーゼルだけわかりますが、他の方は存じ上げないです」

「……この男もか?」

 ウーゼルが指し示した人物は、クルスにとって見たことのない人物であった。ウーゼルの隣で微笑む好青年。線は細く、この中でも頼りなく見えるが、不思議と何故かウーゼルと釣り合っているようにも見える。

 ただ、何故だろうか。何故か、既視感はあった。

「……ごめんなさい」

「……そうか」

 ウーゼルはほっとしたような、されど寂しそうな、えもいわれぬ表情を浮かべていた。そうであって欲しいような、そうであって欲しくないような――

「でも、その、変な話なんですけど」

「……む?」

「自分に剣を教えてくれた先生に、少し雰囲気が似ているなぁ、って」

「……どの部分が、そう思った?」

「何となくですけど……あと眼、ですかね。色褪せているので違うかもですが、同じ深い蒼色だった気が。その人変わった人でずっと仮面をしていたんですけど、眼だけは見えていたんです。だから、似ていると思ったのかな、って」

 クルスの言葉を聞き、ウーゼルは押し黙る。彼の眼の色は確かに特徴的ではあったが、同じ色合いが他にいないと言うほどではない。他人の空似、そちらの方が確率は高い。ただ、何故だろうか。何故か、そうではない気がしたのだ。

「この者は百年前に戦死した」

「あ、そうなんですね。あはは、じゃあ違う人です」

「……そうだな。この写真は当時にしては珍しくカラーでな。俺は魂を抜かれると言う噂を魔に受けて、ご覧の通り酷い顔つきだろう?」

「そ、そんなことないと思いますけど」

 クルスは背中に汗をかきながらやんわりと否定する。だって今とさして表情が変わらないのだ。今も不機嫌なのかもしれないが、それはそれで辛い。

「一人だけ空気を読まずに前に出ている男が、貴様も良く知るウル坊だ」

「ウル、ぼう?」

「ウル・ユーダリルだ」

「ええ!?」

 お調子者なのは変わらず、しかし若い。物凄く若い。満面の笑みで写真に写るウル少年は、見た目の上ではその辺のクソガキと変わらなかった。

 紳士的なオーラは皆無である。

「中心の二人がエレク、リュディア、二人は知っているか?」

「も、もちろんです!」

「二人は幼馴染でな。俺もウルも彼女に好意を抱いていたのだが、哀しいかな相手にされなかった。ゆえに俺もウルもこの男のことは嫌いだ」

「む、昔の話ですよね?」

「今もだが?」

「……そ、そうですかぁ」

 困ったように微笑む自身と同じ黒髪のエレクと、その隣で幸せそうに微笑み腕を組む伝説の勇者リュディア。この写真だけで見ると偉人とは思えない。ただの恋する乙女そのものであった。問題があるとすれば――

「あ、あの、エレクさんのもう片方、隣にいる人物は?」

「アルスラン、今はイリオスとなったが、その再建に携わった人物だ。俺と同じくソル族の血が濃く、今も存命だが隠居の身。ただ、エレクから商売を叩き込まれ、その手腕を発揮し彼の後継者として未だ、財界ではその影響力を残す」

「何か、むくれていませんか?」

「俺たちがエレクを嫌いな理由だ。あの男は好意に対しはっきりとした態度を示さず、リュディアらの好意を散々利用した。人の皮を被った魔畜生だな」

「ふ、複雑ですね」

「この男が悪い。それだけの話だ」

「な、なるほどぉ」

 この嫌悪、相当根深いぞ、とクルスは理解する。クルスにとっては郷土の偉人なので複雑な胸中である。ただし、ゲリンゼルはエレクがもたらした付加価値を付け、ブランド品として売り出すやり口で割を食った隣村なので、村でエレクの話はご法度とされている。クルスも彼のことはよく知らなかったほど。

 今となってはゲリンゼルのぼんくら共が悪い、とクルスは思っているが。

「む、すまんな。老人の昔話は退屈だろう」

「いえ、そんな」

「そうだな。その先生とやらの話を聞かせてもらっても良いか?」

「構いませんけど、自分も良く知らないですよ」

「指導法やその時々にかけられた言葉など、覚えていることだけでいい」

「それなら――」

 クルスは何でだろう、と思いながら『先生』の話をウーゼルの前でする。最初の出会いから、剣を持たせてもらえるまでの長い修業期間。初めは立ち方からだった。その間もレクリエーションでの山を駆け回り、課題をこなした。

 そのおかげで今や立派なちょうちょマスターである。

 さすがにそれは言ってないが、蝶や獣などを捕獲する一風変わった修行法については話した。それは修行なのか、と言う反応が返ってくると思ったが――

「なるほど。手の内の柔らかさと視野を広げるための修業か。理に適っている。小さい子も退屈せん。さすがに考えられているな」

「そ、それは考え過ぎじゃ」

「逆にそれ以外でやらせる理由があるか?」

「た、確かに、理由はないですけど。あまり長時間見たくなかったとか」

「長い修練は集中力を欠く。子どもなら特に。それが癖となれば後々仇となろう。集中力の深度を高めるための短時間だ。ふふ、面白い」

 『先生』の話をしていると、ウーゼルから普段の圧が消え、笑みが頻繁にこぼれるようになっていた。いつの間にか怖さは消え、クルスも饒舌となる。

 あまりこうやって『先生』の話をする機会など無かったから。

「――『先生』の剣は深いんです。飲み込まれるような感じで。たぶん受け寄りの人だと思うんですけど、攻めの時も懐が深いと言いますか」

「攻防に置いて受ける、攻めるは機次第。巧者にとってはどちらも同じ。攻めて良し、守って良し、完璧でなくば騎士とは呼べぬ」

「うぐ」

「その者の攻めを思い出し、幾度も反芻することだ」

「……あっ」

「答えはすでに明示されている」

「そっか、そうですね。その通り、です」

 ウーゼルの言葉にクルスは目が開いたような感覚を得た。そう、『先生』はクルスに受けを覚えさせるため、常に攻め立ててきた。捌くので精一杯であったが、よく考えたらあれは同時に攻め方も教えていたのだ。

 クルスが片方しか飲み込めきれていなかっただけで。

「自分は、出来の悪い生徒でした」

 そんなことにすら気づけなかった。己の愚かさを嘆く。

「それを決めるのは独り立ちした後だ。だが、師の価値を決めるのは弟子の仕事。ゆめゆめ忘れるな。恩を返したいのなら――」

 ウーゼルは真っすぐとクルスを見つめる。

「師を越えよ。それ以外、恩を返す方法はないと知れ」

「……イエス・マスター」

「うむ」

 たくさん話した。茶が冷めてしまうほどに長い時間を。気づけばずっとクルスが『先生』の話をしているだけ。それなのにウーゼルはとても楽しそうに、その話を聞いていた。時折返ってくる言葉も金言ばかり。

 まるで『先生』の意図をすべて把握しているかのようで。とても話しやすかった。話したくなった。自分にとって唯一の逃げ場であり、楽しかった思い出だから。

 誰かと共有したかったのかもしれない。

 『先生』のことを。

 全部、語ってしまった。語り尽くしてしまった。

「最後、きちんと挨拶できないままだったので、もう一度会いたいです」

「……そうか。会えるとよいな」

「はい」

 全てを語り尽くした後、気づけば外は赤い夕焼けが空を彩っていた。

「あの、すいません。自分ばかり話してしまって」

「よい。面白い話だった。在野にも優秀な騎士がいる。それを知れたことは僥倖であった。本当に、僥倖であった」

 ウーゼルはしばし天を仰ぎ、目を瞑った後立ち上がった。

「俺ばかりが受け取るだけでは公平ではないな。だが、無骨者故与えられるものは一つしかない。立て、クルス・リンザール」

「は、はい!」

「先に言っておくが俺は指導者ではない。その素養もない。そして俺の剣は貴様にとって何の参考にもならぬだろう。学びはない。されど、一見の価値はある」

 マスター・ウーゼルがその剣を抜き放つ。ただそうしただけで部屋の中の空気が重くなったように感じる。凄まじい重圧、それをただ一人が放つ。

 桁が違う。次元が違う。

「構えよ。しかと刻め。これは、いつかの貴様が越えるべき山巓である!」

「う、わ」

 無意識にゼー・シルトを構えさせられた。それを見てウーゼルは一瞬顔を歪め、苦く微笑んだ。そして、動き出す。

 百年前、リュディアらと共に魔王イドゥンと戦い、ミズガルズの歴史を変えた英雄が一角。その片鱗をクルスは知る。

 自分とは違う山巓、その頂上を知る。


     ○


「ま、マスター・ウーゼルに稽古をつけてもらったァ!?」

「あ、あれが稽古だったかどうかは、わからないですけど」

 秩序の塔から戻り祝勝会に途中参戦したクルス。当然先輩たちから質問攻めにあう。ミラは相変わらず不機嫌極まりなく、何故かフィンもぶすっとしている。

 それだけの珍事であり、大事であるのだ。

「う、羨まし過ぎる。ありえねえだろ、騎士の頂点だぞ。何なんだよお前よぉ。幸運の星から生まれたのか? 神の加護か? なあおい」

「す、すいません、先輩」

 この先輩、よく考えたら不滅団である。たぶんこの涙の半分はウーゼルとのお茶ではなく、別の成分が含まれていた。

「で、どうだったよクルス。世界最強は」

「……凄かったです」

「いや、どう凄かったのか聞きたいんだけど」

「凄かったです!」

 リカルドの質問にただ凄かったとしか返せないクルス。何と言ってもあの剣を言い表す言葉が見つからず、凄かったと素晴らしかったしか言えなかった。

 世界最強の看板に偽りなし、である。


     ○


 ウルは剣の手入れをしながらのんびりと過ごしていた。何せ受験期間中、学園長など暇で仕方ないのだ。現場は忙し過ぎて常にひりついており、茶々など入れようものなら容赦ない罵詈雑言と軽蔑の視線が飛んでくるだろう。

 なので日がな一日自室にこもり、受験期が過ぎるのを待っていた。

 そんな中、

「む?」

 部屋に備え付けてある通信機が鳴る。まだこの商品は一般に広まっておらず、基地局の問題もありかかってくることは稀。専ら出張中のウルから連絡するために使っていた。先生方や王国の使いなら直接この部屋に来るだろう。

 であれば――

「もしもし、ウル坊です」

『……信じよう』

 単刀直入な言い方。相変わらずだとウルは苦笑する。

「……そう言えば、そちらに行っておりましたな。まさか、ふふ、マスター・ウーゼルともあろう御方が、拳闘を見に行かれるとは。さすがログレス出身、本場の血が騒ぎましたかの? ふっはっはっはっは」

『野暮用だった』

「ソロン・グローリーですかな?」

『貴様に言う必要はない』

「相変わらずいけずですのぉ」

『黙れ。第十二騎士隊隊長、レオポルド・ゴエティア』

「……」

『おそらく魔道と関わっておる』

「そこまでわかっておきながら、何故未だに泳がせているのですか?」

『正規の手段で騎士と成り、正規の手段で隊長となった男だ。会議の場では俺もまた十二分の一にしか過ぎぬ。規範の中であ奴はクリーン。手は出せん』

「相手も同じ十二分の一でしょうに!」

『それなら苦労はせん』

「……まさか」

『判明していることはない。だが、俺の味方は存外少なく、企業や政治家とも癒着するあ奴は味方が多い。多くなった。団内でもな』

 予想以上にきな臭い状況である。まさか魔に秩序を利用されるとは思わなかった。秩序のための規範はグランド・マスターとて覆せない。

 ユニオンの成り立ちが彼らを縛る。

「と言うかこの通信、まずいのでは?」

『傍受されておろうな』

「ちょ、なんで落ち着いて――」

『俺があ奴を疑っているのは周知の事実だ。昇進の度に反対票を投じてきたからな。それにメラ・メルのこともある』

「……わしに出来ることはありますかの」

『ない』

 通信が切れる。よほど今回の出会い、彼にとっては得難いものであったのだろう。そうでなければこうして己を曲げ、ウルに真実を告げる気ことなどありえなかったはずである。ウルはクルスに感謝し、思考を回転させる。

 ウーゼルはウルに協力を求めるため通信したわけではない。今のウルにアスガルドの外での力はなく、単純な暴力で解決できる問題であればそもそもウーゼル自らの手で幕引きとなっているだろう。

 そうなっていないのは相手が上手いから。ウーゼルの意図としては首を突っ込むな、そしてレオポルドとやらに隙を見せるな、と言うこと。

「どうしたもんかのぉ」

 百年の平和、その裏で蠢く闇は決して看過出来ぬものとなってきた。守り手である秩序の騎士から先んじて内部崩壊へ、随分迂遠なやり口であろう。

 かつて魔王イドゥンは力で向かってきた。こちらも力で立ち向かった。

 ただ、どうやら今回の敵にそういう単純さはないらしい。

 だからこそどうすべきか、ウルは考え込む。

 平和のために失った命、犠牲、二度と繰り返してはならない。場合によっては秩序の騎士とも対峙する。規範で手が出せないのなら、外側の自分が手を出して終わらせればいい。最終手段だが、その覚悟はある。

 ウルは写真立てを見つめ、哀しげに微笑む。

「守りますよ、必ず」

 かつて愛していた人と、今も大嫌いな、それでも信頼に値する男へ誓う。彼らが築いた平和を、自分の目の黒い内は必ず守る。

 例え全てを敵に回し、自らが散ろうとも。

 平和のために差し違えるなら――本望である。

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