第58話:ライトの下で――
「はァ!?」
「そ、そんなに怒らないでよ」
「で、あんたまさか、その話受けたんじゃないでしょうね?」
怒髪天を衝くミラ。そもそもクルスが自分の試合を見ずに何処かへ行っていた時点で激怒していたのに、さらにソロンと一緒に昼食を食べていたと言ったもんだからもう大変。怒り心頭、触れたら爆発する魔導地雷さながら。
この答え如何ではクルスの命はないだろう。
「いや、その、驚いていたら笑いながら冗談だって言ったんだよ」
「本当でしょうね?」
「そりゃそうだよ。どう考えたって無茶なんだから」
「……そうかしら」
ログレスにとってのソロン・グローリーの価値を知るミラはいぶかしむ。ソロンは言わずもがなこの世代の看板。最優の学校にとって彼を保持していることこそがその証でもある。加えてグローリー自体、騎士も輩出したことがある一般の家柄だが、莫大な資金力によって息子の所属する学校へ多額の寄付もしている。
枠一つ、決して夢物語ではない。
「で、他には?」
「あー、あと、文通することになった」
「……男同士で?」
「うん」
「きもっ」
「……色々と質問したいこともあるし、なら後日紙でまとめてやり取りしようって話になったんだよ。俺、同じログレスのフレンとも手紙のやり取りしてるからさ。その話をしたらあっちも乗り気で。俺としてもありがたい話だし」
「ログレスのフレンって……あー、スタディオンか。知り合いなんだっけ?」
さすが騎士村の民、名門同士は当たり前のように横で繋がっている。
「同じ闘技大会で進路が決まった仲さ」
「あれ出来レースでしょ。名門から悲劇の主人公創るための。要は箔付けじゃん」
「……君って時たま最低だね」
「ぶっ殺すわよ?」
とりあえず納得したのか腹に一発で気が済んだ模様。まあこの一発に関してはクルスの一言も軽率だったので過失は九対一ぐらいだろう。
大体彼女が悪い。
「二回戦は目ん玉ひん剥いて見ときなさいよ」
「はいはい」
とりあえず何とかモンスターをいなし、事なきを得たクルスであった。最近手綱さばきが板についてきた様子。暴れる時は暴れるが。
「いやーいい勝負だったぞ、クルス」
「本格的にどうだ、パンクラやろうぜ」
「お前なら総合の王が目指せるぞ。拳闘はあんなのいるしさ」
「来年、こっちのカテゴリー来るんだよなぁ」
「……言うな」
勝手に上機嫌で誘い、勝手に気分を落として去っていく先輩たち(四年含む)。普段はとても親身になって技を教えてくれるのだが、如何せん剣闘との縄張り争いにだけは敏感な人が多すぎる。特に今の五年はほぼそれ。
唯一の例外、
「おつかれさん」
「リカルドせんぱ……っ!?」
リカルドが声をかけてくる。それと同時に敗北を喫したクルスよりもボロボロの姿を見ることになった。いくらインファイターでもこれは――
「ん、おお。一回戦からブロセリアンドの強豪と当たってな。去年、この部でベスト4まで上がった実力者だ。でも、勝ったぜ」
「去年、ってことは今の六学年も含めて、ですよね」
「そう。さすがに肝を冷やしたわ。ま、お前さんほどではねえか」
「……あ、あはは」
一年から三年を、それこそ今のリカルドたちの代含めて打倒してきた男、ソロン。いきなりこの会場で最強の相手と当たったのだから運が悪い。
「俺、実は三年の時にあいつと当たって負けたんだわ。さすがに対格差もあったから結構やり合えたんだけど、もう完全に別物だな。多分、俺でも手も足も出ねえ。完成度が違い過ぎる。けどさ、悔しいもんは悔しいよなぁ」
「……はい」
ソロンの壁は高かった。彼の人となりを知ってより遠のいた気もする。それでも負けたら悔しいし、勝ちたいと思ってしまう。
「お前だけはあの時、よくやったとか言わないでくれた。だから、あえて言うぜ。頑張れ、次は勝てよ。敵は強いぜ」
「あ……はい!」
「へへ。さぁて、俺も頑張りますかね」
同じ巨大な壁にぶつかり、潰された者同士。自分はまだリカルドほどの努力を積んでいないし、本当の意味で彼の苦しみはわからない。
それでも頑張れ、勝てと言ってもらえたのは嬉しかった。
自分の想いが伝わっていたのも――
○
ソロンは遠巻きにクルスを見つめていた。話している内容はわからないが、どうやらしっかりと次へ切り替えられたようで安堵する。成績の話を聞いて環境が悪いのでは、と危惧していたがそういうわけでもなさそうである。
「珍しいな、他人を食事に誘うのは」
「そう? よく皆で食べていると思うけど」
学友からの指摘に首をかしげるソロン。
「食堂では、な。手料理を振舞ったこと、あったか?」
「ああ、確かに。初めてだね」
特に意識していたわけではないが、改めて考えると家族以外に手料理を振舞ったのは初めてのことであった。ならば、今日は尚更良い日だと彼は思う。
(勧誘は少し踏み込み過ぎた。俺としたことがバランスを欠いていたよ。いけないな、良くない部分だと言うのは自覚しているんだが)
欲に負け、踏み込んだ瞬間、クルスの貌に、驚きの中にわずかな拒絶が混じったのをソロンは見逃さなかった。危うく嫌われてしまうところであった。
自重せねば、と自らを戒める。
そんなソロンを横目に、
(……お前が誰かに偏っていること自体、初めてなんだよ)
ソロンをよく知る学友は顔をしかめる。ソロンは誰に対しても優しく、親身で、博愛の精神に満ち溢れていると皆は言う。男も其処に間違いはないと考える。だが、博愛と無関心にどれほどの差があるのか、とも男は思うのだ。
誰に対しても同じ対応、同じ笑顔、本当の彼を誰も見たことがない。
そんな完全無欠の男が初めて、偏った。
しかも、
(……イールファスも、そんな感じだったか)
もっとわかりやすい男がクルス・リンザールへ偏っていた。あの闘技大会でイールファスが全力を出したのは、あの一瞬だけ。
あの時は何かの気まぐれだろう、と思っていたが、よりにもよって『この二人』が偏った事実を目の当たりにして思う。
何かあるのでは、と。
「そろそろ出番だな」
「ああ。行ってくるよ」
「……頬、そんなものを貼るほどなのか?」
「ん、ああ、これね」
ソロンは頬に張った大き目の絆創膏に触れる。
「これは、ただのしるし。大した意味はないよ」
そして、そのまま闘争の舞台へと向かう。
○
王者のワンツー。何も出来ずに沈む挑戦者。
クルスが頑張ったおかげと言うべきか、せいと言うべきか、ワンチャンあるのでは、と思っていた者たちの心をへし折るに値する王道二手必殺。
(……違うんだよなぁ)
騎士の世界、上位層にはあまりいないが下位だとたまに今の相手のような者が混じる。実力差がよくわからず、何となく勝てるかもしれないと思う馬鹿。こういうのではないのだ。求めているのは、わかった上で心底勝ちたいと思う愚者なのだから。
ソロンは自分の試合を観戦するクルスを見つけ、微笑みながら頬を指し示す。怪訝な顔をして首をかしげる彼を見て、さらに笑みを深めたソロンは難なく二回戦を突破した。勝てるかもしれない、そんな楽観を粉砕する勝利であった。
倶楽部の皆もガンガン勝ち上がる。
「ふにゃ、っと」
「あっ――」
相手の攻撃を楽々いなしながら、ぐるりと回って後頭部を打ち抜くフィン。さすが緊急回避の師匠、相も変わらず極力楽して勝とうとする。
これで強いのだからずるい。
「はい、わんつー、っと」
「ぶ、へぶッ!?」
ミラは快足を活かし、相手の目測よりも早く距離を詰めて、相手の頬にショートフックを一発。顎にショートアッパーを一発。と目にも止まらぬ速さで決着。
「は、速っ!」
「ミラ・メルだ。今年さらに仕上げてきたなぁ」
「山的にも二位あるぞ」
徒手格闘で食っていくつもりのミラにとって、今回の大会は絶対に上位には食い込みたいところである。だが、今の彼女にその思考はない。
ただただ、クルス・リンザールの戦う姿勢が、何が何でも勝ちに行った姿勢が、彼女の脳裏に刻まれてぐつぐつと腹の中が煮えたぎっていた。
それはきっと、自らへの失望。それ以上に、
「見たか!」
「見たよ」
「優勝、するわよ!」
「……それでこそミラだ」
失望されたくない、という思いが先行していた、のかもしれない。
先輩方も、
「くそ、ここで投げが打てたら!」
「関節さえ使えたらテメエなんざバキバキだぞオラァ!」
「一個でも多く勝って、取るんだよ! 後輩に……マウントをなァ!」
辛勝を重ね、めちゃくちゃバルバラ先生に怒られていた。
特に四学年。
そして我らが部長は、
「また乱打戦かよ!?」
「あいつ、今日死ぬんじゃねえか?」
「明日も順当にいけば強い奴と当たるなぁ」
「死の山過ぎんだろ」
「おかげで俺らは勝てたけどな」
「んだんだ」
一回戦と同じく強豪と激突し、とんでもない乱打戦を繰り広げていた。勝ったら明日も明後日もあるのだが、今の彼らには関係がない。
ここで勝たねば、その明日など無いのだから。
お互い二回戦など通過点だと思っていた。リカルドにとっては一回戦も同じであっただろう。組み合わせを見た時絶望したほどである。
対抗戦のこともあり、其処まで神は自分が嫌いなのか、と。
だが、もっと神に嫌われていた男が見せた奮闘。自分が出来なかったことを彼はやった。あの日、自分は何も出来なかった。自分とほぼ実力が変わらないエイルも歯が立たず、それで心折れ悔いの残る戦いとなった。
インファイターが圧に負け、前へ出られなきゃそう在る意味がない。
あんな情けない姿は見せられない。二度と、見せない。
「行きなさい、リカルド!」
「ああああああ!」
リカルド・バルガス、強敵を日に二度下し、三回戦進出。なお、三回戦の相手も御三家レムリアの強豪である。ちなみにパンクラチオンの大会がメインで、そっちでも様々な大会で優勝する徒手格闘自体が強いタイプ、が対戦相手。
普通に優勝候補であった。
「俺らが援護してやらねえとな」
「ああ。リカルドが勝つと信じて、こっちの山の優勝候補を――」
「――全力で削ってやりますよ。先輩のために」
「足を引っ張るのは、得意なんでね」
ちなみに彼らはその優勝候補相手に雑魚負けかまし、優勝候補は新品同然のまま勝ち上がっていくのだが、それはまた明日以降のお話である。
そんな彼らを尻目に、クルスは応援しながら思っていた。
さすがに上のカテゴリーは先輩たちが危うく負けそうになるくらいにはレベルは高かったが、自分のいる下のカテゴリーは年下が混ざっていることもあり、正直全然勝ち上がることが出来た、と思う。ダサい考えではある。
だけど、そう思わずにはいられない。
(俺、性格悪いのかな)
戦いたくても戦えない。最強の敵と当たり、多くを得た。その彼の厚みを知り、より高みを目指そうという気にもなれた。また一つ成長できた気がする。
それでも――勝ち上がりたかった。
「よっしゃー!」
勝利し、ライトの下で輝く勝者を見て、クルスの貌に陰が刻まれる。
うっすらと、されどそれは確実に――
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