第57話:男同士のランチタイム
目を覚ましたクルスが見たのはキラキラと輝くライトの光。魔導革命によって生み出された発明の中でも、人類の生活様式を最も変化させたのが魔導による明かりであった。夜を照らし、このドームのように外界から隔絶された空間をも光で満たす。闇など存在しないかのように、キラキラと――
「起きましたか」
「バルバラ先生。俺……」
記憶にあるのは決死の一撃を放ち、それが自らと同じ方法で破られた辺りか。まああれをかわされたのでは何をどうしようと勝ち目はなかった。
あらゆる面で相手が上であった。
「惜しかったと思いますよ」
「……全然惜しくありませんよ。完璧に対応されちゃいましたし」
「いえ。あれしか対応策がなかったのです。あらゆる戦局に対応する術を持つ者にたった一つしか選択肢を与えなかった。確かに分厚い紙一重であるかもしれませんが、貴方が思っているよりも肉薄はしましたよ」
「……」
スリッピングアウェーは緊急回避の方法であり、見た目の通りリスクは高い。被弾前提の回避方法の中でも特に危険度は高く、普段使いには適さないだろう。
だからこその『緊急』回避なのだ。
「俺は、どうすれば勝てたと思いますか?」
「……まず、先ほどの戦いは全てを出し切った戦いでした。今の実力ではどうあがいても勝てない、と思います」
「……ですよね」
「ですが――」
あの後考えたわずかな勝機。今は掴めずともいつかは――
「決めにいった右ストレートを本気で打たせることが出来ていれば、俺は回避行動に移れなかった、と思うよ」
彼女の考えていた解答を、
「……ソロン」
「やあ、ようやく起きたね」
他ならぬ本人、ソロンが答えた。
「午前は一回戦しかないから一緒にお昼でもどう? ごちそうするよ」
「あ、でも、俺、皆の応援もしないと」
「大丈夫。君の同期や先輩たちの相手から見て、一回戦は皆順当に勝ち上がるよ。応援の必要はないさ。それに――」
突然、ソロンはクルスの身体をぺたぺたと触り、
「俺との昼食はきっと、君にとっても有意義だと思うよ」
くすりと微笑む。
(……こ、こいつ、まさか、あっちか!?)
ゾクっとしたクルスは人生で初めて貞操の危機を感じていた。
○
クルスは少し前まで色々と失う覚悟であった。
まず、旅先でお昼を食べるとすれば外食や買い食いが基本であろう。だと言うのにソロンは迷わず自身の宿泊先へ足を向けていたのだ。
この男、ホテルに自分を連れ込んでナニするつもりだ、とクルスは慄いていたのだが、哀しいかな先ほど戦力の差を痛感させられたばかり。
襲われたならひとたまりもないだろう。
バルバラ先生も酷い、とクルスは憤慨していた。いい機会ですね、じゃない。こっちは貞操の危機なんだよ。助けてくれよ、と半ば本気で彼女を恨んでいた。
加えて宿泊先も輝ける男とは思えぬほどに寂れた場所にあり、明らかに普通ではない空気が漂っていた。逃げるか、と何度も思案したが――
(……全部、相手の方が上なんだよなぁ)
力も速さも技も、視野すらも精々互角。どうあがいてもクルス・リンザールがソロン・グローリーから逃げ切れる絵が浮かばなかった。
と、色々と酷い妄想を浮かべていたが――
「狭いところですまない。さ、入って」
「……はぃ」
ここでなければならない理由はすぐにわかった。
「……料理するの?」
「ああ。外食じゃ計量できないだろう?」
「……」
ソロンが安宿を選んだ理由は、ここが長期の滞在やビジネス客に利用される場所で、部屋にキッチンが備え付けてあったのだ。小さな冷蔵庫には小分けにされた食材が詰め込まれており、一つ一つに数字が記載されている。
「食は大事だよ。体を作る源だからね」
「これ全部、計測して――」
「もちろん。鶏肉はあらかじめ皮を剥いでおく。牛はなるべく赤身を、余分な脂質はこうして取り除く。よほど節制した料理でなければ、現代社会の食事で脂が足りないことはない。もし足りぬとしても、良質な脂と入れ替えるべきだ」
「良質な、あぶら?」
「飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸、少し長くなるけど聞くかい?」
「う、うん」
ソロンの説明はとても合理的だった。より良い体を構築するために何を摂取し、何を削ぐべきか。ざっくりと、たんぱく質を多めに摂っていただけの自分とは雲泥の差。食事一つとっても完璧な男は知識が、それ以上に意識が違う。
「自炊は良いよ。細かく調整できるから。あと、自分の眼も肥えるからね。食材を、調理後の姿を見るだけでどれだけのたんぱく質が含まれているか、炭水化物、脂質はどれぐらいか、数字が見えるようになったら完璧だ」
「……それってさ、食材の栄養素を全部覚えているってこと?」
「全部じゃないよ。わかる範囲だけ。まだ世の中わからないことも多いし、其処まで網羅するのは研究者でもない者には不可能だ。あくまでわかる範囲を、その手の本を二、三冊読むだけで得られる知識を備えているだけさ」
「す、凄いね」
「凄い? 精々二、三時間もあれば誰でも身につくことだろう?」
「……それは、そうだけど」
クルスは絶句していた。確かにソロンの言う通り、丸暗記は難しくともその手の本を読破するだけでそれなりの知識は得られる。一度で理解出来ずとも試行錯誤しながらやれば、不器用な者でもいずれは必ず彼と同等の知識を備えるに至る。
だが、ここまでやっている者はいない。
「必要なことは学べばいい。わからないことは調べればいい。今はあらゆる知識を少ない労力で入手できる時代だ。利用しない手はないさ」
「君の、言う通りだ」
「ふふ」
クルスは自らを恥じる。誰よりも努力したつもりだった。だが、目の前には自分よりも才能があり、自分よりも努力する男がいるのだ。クロイツェルの言っていた通り、彼はそれを努力とすら思っていない。
網羅するのが当たり前。
勝てるわけがなかった。とんでもない勘違いをしていた。
「あり合わせで申し訳ない。ただ、栄養は満点だから許してほしい」
「い、いただきます」
「どうぞ」
食材を見せられた時はこう、身体を作るための料理、みたいなのが出てくるかと思えば、赤身肉をソテーしたものに即席のソースを洒落た感じで垂らした、それこそ三十位ことアンディのホテルで出た料理と遜色ない見栄えである。寂れたホテル備え付けの欠けた皿すらも詫び錆びを感じてしまう出来。
しかも、
「う、うんまっ!」
「お口に合ったようで何より」
「お、お店で出せるよ!」
「あはは。セカンドキャリアはそうしようかな」
馬鹿みたいに美味かった。完璧な男は料理まで完璧であったのだ。これで栄養価まで完全に計算されていると思えば恐ろしい話である。
(マジで美味い。そりゃあさすがにアンディのとこやアーシアの、まああれは良いやジャンルが違う。あっちの方が美味しかったけどさ)
ちなみにクルスは料理が出来ない。厳密に言えばリンザール家で出るような食事は作れるが、あれは料理と呼ぶには色々と足りなすぎる。あとパンは粉を挽くところから作れる。何の自慢にもならないが。
勝てん、とクルスは心の中で脱帽した。
「まずは体作りだね。さっきの解答の補足だけど、俺が右を本気で打っていれば空かされた時に姿勢を崩していただろうし、その状態ではあの時ほど容易く回避など出来なかった。では何故、本気で打たなかったか、わかるかい?」
「……舐められていた?」
「正解に近い。正しくは打つ必要がなかった、だ。君の手打ちは弱く、有効打になりえない。怖かったのは身体を投げ出して打った捨て身の一撃だけ。それではリスクを冒し踏み込む必要などない。正直に言えば、ロープと言う緩衝材がなければ安全圏からの打突で倒せていた。それが今の現実だ」
「……はっきり言うね」
「現状の問題点は明確にしないと。ゆえに今、君が技術と共に備えるべきは体格(フレーム)の向上だ。闘争における体格の優位性は今更語るまでもないだろう。デカければ強い。これもまた現実。俺にとっても課題だ」
「俺はまあわかるけど、ソロンでも?」
「と言うよりも俺たちの世代はまだ、本格的に体を鍛えるフェーズではなかったからね。これから鍛えていくべき、という話さ。自らの骨格、可動域と相談しながら筋肉を載せる。そして、そのためにはトレーニングと同等に、いや、それ以上に食事が重要となる。あくまで筋肉を積載する上での主は、食事にあるからね」
「……だけどさ」
「ん?」
「俺が鍛えたってソロンには敵わないよね。同じように鍛えるわけで」
「そうだね。君が俺にフィジカルで勝つことはないよ。俺が何処かでサボらない限りは。だけど、そんなこと当たり前のことじゃないか。俺は自分より瞬発力に長けた男を知っている。反射神経に長けた男を知っている。だから諦め其処を鍛えない。これでは差が開くばかりだ。強みは大事だよ。だけど、それ以上に弱みを埋めることの方が大事だと俺は思う。相手の得意に出来る限り肉薄して、自分の強みで勝つ。それが理想だ。簡単な道じゃない。苦難の連続だ。だけどね――」
ソロンはクルスを見つめ、微笑む。
「君なら出来る、そう思ったから声をかけた」
「……」
「それにね、全てを網羅している人間なんていないんだ。この俺も含めて、皆何処かで妥協している。時間は有限だから」
人間である以上、完全無欠はあり得ない。
同じ世代で誰よりも其処に近い男が言い切る。
「有限の時をどう使うか。人生の命題だね」
「……同い年とは思えないよ」
「よく言われるけど、逆だよ。俺はね、とても子どもっぽいんだ」
「嘘だぁ」
「嘘じゃない。欲しいものはね、どんな手段を使っても手に入れたくなる。我がままで、悪辣で、幼い。だからさクルス、ログレスに来ない?」
「……へ?」
「編入。枠のことは俺が何とかするから。君は絶対に俺と一緒の方が伸びるよ。目標はさ、近くにいる方が良いだろう?」
「そ、そんな無茶苦茶な」
「それにイールファスじゃ君の参考にならない。ノアと同じで彼らは天賦の才を極め、一芸に特化したタイプだ。それに……俺より弱いからね、彼ら」
「……」
子どもかよ、と言いたくなる気持ちをぐっとこらえるクルス。無邪気な笑顔を浮かべながら猛禽のような目つきをするのは反則である。
先ほどとは別の意味で普通に怖い。
「な、なんで俺なんだよ」
「眼だよ」
「……し、視野の話なら君も同じだろ」
「視野、ああ、俯瞰か。あんなのただの技術だ。大した価値はないよ」
「……っ」
自分の強みだと思っていた部分を大したことはないと切り捨てられ、クルスは貌を歪める。自分の、唯一誇れる才能だと思って――
「心だよ。それが君の強み。目は口程に物を言う、なんて言葉はあるけど、あれは大嘘だ。口なんかより、眼はよっぽど雄弁なのさ」
じっとソロンはクルスを覗き込む。
「心は難儀だよ。体のように簡単には鍛えられないから」
何故かクルスには、顔立ちや体格、何から何まで違うはずのソロンとイールファスが被った。両方とも自分とは比較にならない天才。
それなのに目の奥には虚ろが揺蕩う。
「俺と共に来なよ。俺なら君を引き上げられる。君は折れない。何度、俺と戦っても、競い合っても、折れない。その執念が、執着がある限り」
「……あ、あの」
「どうかな?」
目の前には笑顔の超天才。自分は非力な凡人。
男同士、密室、お昼時、何も起きないはずがなく――
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