第55話:再び、最強

 散々倶楽部メンバーから「いよ、ご夫妻!」「仲イイね!」「お楽しみでしたか?」「マジ殺すぞおい」とか温かい言葉を投げかけられ、先ほどまでは上機嫌だったはずのミラは憤怒の形相で先輩たちを殴り倒していた。

 と言うのはさておき、

「拳闘倶楽部コロセウスにとってはこの大会が一年の総決算だ。クソ野郎にクソ淑女諸君、全身全霊でぶつかって勝利をもぎ取って来い!」

「イエス・マスタァー!」

 部長としては最後の一仕事、リカルドの檄を受けて加熱する倶楽部メンバー。当然、クルスもやる気満々であった。何しろ拳闘は得意種目である。

 ここ最近は色々あって調子を崩しがちだったが、これまた色々あって今は精神的に持ち直している。個人的には調子は上向いており、自分の現在地を知る上でも一戦でも多く経験を積み、その上で成長の実感、確たる証が欲しい、と考えていた。

 ミラ、フィン、この辺りには勝てていないが、決して手も足も出ないわけではない。勝負の場であれば全力で食い下がる。

 一つでも多く勝利する。

 ちなみにこの大会はユニオンを拠点とした様々な企業が協賛する学生向けの大会であり、一年から三年の部と四年から五年の部がある。六学年はこの時期すでに卒業済みのため部門は設けられていない。

 完全な個人戦、かつトーナメント方式で三日かけてガンガン回していく。勝ち上がる度に疲労、ダメージは蓄積し、決勝ともなると互いに満身創痍のヘロヘロ状態であることも珍しくないとか。規模としては学生カテゴリー最大。

 あまり見ないが騎士科でなくとも参加可能で、拳闘を愛する学生なら誰でもウェルカム、と言う非常に門戸の広い大会でもある。

 会場はとある高層建築物の屋上に設けられたドーム型の総合運動施設を丸ごと貸し切り、其処に数多くのリングが設営されていた。観客席はぐるりと二階部分に段々と設けられており、学校関係者や騎士団関係、近所の拳闘好きなどがひしめき合う。

 学生拳闘界、最大な催しであった。

「壁じゃないんだね」

「最近多いわね、このロープで仕切るやつ。壁より手軽だし周りからも見やすいって評判。たぶん、これからはこっちが主流になるでしょ」

「へえ」

 倶楽部や講義では壁がある、と言う想定で線を引いていたが、今日の舞台は四角を壁の代わりにロープが仕切る形となっていた。

 やることは変わらないが、圧迫感がない分やりやすい気もする。何よりも客席からでなくとも見物しやすいところもグッドである。

「と言うか一年から三年って範囲広くない?」

「普通の学校はこういう活動自体三学年からなの。アスガルドもそうでしょ」

「あ、そうか」

 クルスも良く忘れがちだが、アスガルドにおける俱楽部活動は三年時から、となっている。まあ、あくまで公式に所属するなら、と言う話で一学年、二学年でも倶楽部を出入りしている者は少なくない。ヴァルハラ、コロセウスにはいないのだが。

「だから下のカテゴリーの主役は私たち三学年。ま、ログレスとかは拳闘自体盛んだから、一学年からでも倶楽部関係なしに出てくるけどね。私も去年出たし」

「どれだけ勝ったの?」

「……三回戦」

「凄いじゃん、二学年なのに」

「凄くない! ってか、去年は調子が悪くて、あと相手も嫌いな奴――」

「久しぶりですね、ミラ」

 ミラと同じ声で、ミラと全然声色が耳に飛び込んでくる。クルスは首をかしげながらそちらの方を見て、さらに首をかしげる羽目になった。

 ミラがいるのだ。あっちにも、こっちにも。

「……ちっ。マリか」

「あら、相変わらず余裕のないこと。そちらは?」

「同じ倶楽部の仲間だけど」

「仲間、ですか」

「なに?」

「いえ、何も。一応、姉妹なので挨拶ぐらいはしておこうと思っただけです。昨年のように憎まれても困りますから」

「……今年は勝つから」

「妹は姉に勝てませんよ」

「ほざけ」

「では」

 マリ、と呼ばれた少女が去っていく。ミラの眼は蛇蝎を見るようなものであり、質問したいクルスであったが迷わず沈黙を選んだ。

 今の彼女に触れるのは危険と言う判断である。かしこい。

「双子。ほんの少し生まれた順番が違うだけなのに、あっちが主流でこっちが傍流、要はスペアってわけ。だから、好き勝手やれるとこもあるけどね」

「……そっか」

 全然立場は違うけど、少しだけ自分と似ているとクルスは思う。あの家で、あの村で必要とされる兄と必要のない弟。兄のことは嫌いではない。むしろ好きである。だが、同時にほの暗い感情もあるのだ。

 劣等感に似たものが。

「まあいいや。あんなのより問題はソロン。あいつと何処で当たるか次第だからね、順位は。山が違えば二位を狙えるし」

「……ミラらしくないよ、二位狙いは」

「あのね、そう言うのは……ま、すぐわかるでしょ。あれは別格だから。とにかく祈っときなさい、くじの引きに」

「……うん」

 彼が別格なのは見ればわかる。あからさまに、ただ立っているだけで絵になるし、雰囲気も凄まじい。だけど、それが何故諦める理由になるのかがクルスにはわからないのだ。クルスにとって天井はいつだって遠いところにあったから。

『さあ、挑戦の時間だ』

『イエス・マスター!』

 何度も何度も、何度も繰り返した。負けて、砕けて、最後の最後まで届かなかったけれど、『先生』の底は見えなかったけれど――

 あの日々の天井が、クルスの基準だから。

 だって彼らも凄いけれど、『先生』の方がもっと凄い。

 彼は知らない。そう思えることが、その天井を得たことが、どれだけクルス・リンザールと言う凡人の限界を引き上げたのかを。

 それを知るのは、遥か先のこと。

 今はただ、

「くじ、自信ある?」

「……あっ」

 目先を生きるだけ。


     ○


「哀れ」

「引いた瞬間、会場がほっと胸を撫で下ろしたもんな」

「以前参加した闘技大会でも初戦イールファスだったんだろ?」

「逆にすげーよ」

 シードが存在しない大会。前年度、前々年度優勝者、ソロンがトップバッターで引いた1。ただのくじでも魅せる男である。誰もがその山を避けたい、と願う中、各選手がくじを引いていき、クルスはズバッと2を引いて見せたのだ。

 クルスは『ひゅ』と声にならぬ声を上げ、ミラとフィンは静かに冥福を祈る。ちなみにフィンもほど近い山なのでソロンが勝ち上がれば十六強で当たる予定。

 ミラは、

『っし!』

 見事向かいの山を引き当て、本人の希望通り二位を狙う気満々であった。ちなみに前年敗れた姉、マリもいるため容易いわけではない。と言うか、ログレスやレムリア、準御三家の出場者も多く、普通に考えたら大変ではあるのだが。

 あちら側を引き当てた者たちはそれだけで喜びを見せる。

 それがクルスにはどうにも、何とも言えない気持ち悪さを感じさせた。確かに強い。イールファスだって怪物。それと並ぶソロンも怪物なのだろう。

 だけど、彼だって学生なのだ。

 『先生』やクロイツェルほどに強いとは思えない。

 なら、

(やってやるさ!)

 少しでも根性を入れて食い下がって見せる。あくまで勝ちに行くとクルスは腹を決めた。イールファスとの時は人生がかかっていたが、今日は負けたとて失うものは何もない。高い壁に挑戦するのは得意なのだ。

 昔からずっと、そうしてきたから。

 リングの上で向かい合う両者。知り合い以外、全員の視線がソロンに集中しているのを感じる。誰も自分になど期待していない。

 ソロンもまた周りに愛想を振りまきながら、握手をする時も何処かピントの合っていない感じがした。クルスを見ているようで見ていない。

 あの時のイールファスと同じ、欠伸をして退屈そうにしていた分、まだイールファスの方が可愛げがある。同じだ、と思った。

 だから、

(あの時は瞬殺された。でも、一年経ったんだ)

 クルスはやる気に満ちた視線を敵に送った。

 相手は苦笑で応える。

(俺を、見ろよ!)

 自分を見ていない相手に自分を刻む。あの村で常にまとわりついていた気持ち悪さ。空気のように扱われることがクルスは一番嫌いなのだ。


     ○


 観客席にて、

「お、ピコさん。珍しいですね」

「皆の調子はどうです?」

「テラ君に拳闘やるように言ってくださいよ。去年はいい子がいたんですけど、ちょっと今年は望み薄ですかね。あの子たちには言えませんけど」

「そうですか」

 メガラニカ陣営の席にスカウト兼騎士のピコが現れる。拳闘のみ、とは言えここまで大きな大会であればどの学校のスカウトも顔を出すのだが、彼は例年このクラスの大きな大会には顔を出さず、小さな大会ばかりを見て回る傾向があった。

 無論、彼以外のスカウトが見ている、と言うのもあるのだが、こういった大きな大会は皆が見に行く分、容易く情報が集まるのだ。だから、其処は他人任せ、掘り出し物を探しに逆張りを続けるのが彼のスタイルである。

 ただ、今年は――

「誰狙いですか?」

「いえ、今回は近くを寄っただけなので。私用ですよ」

「なんだ。まあ、この大会はカテゴリーの幅が広すぎて、低学年のアピールが難しいですからね。しかも、何といっても今年も彼がいる」

「ソロン、ですか」

「ええ。本来不利も不利の一学年から優勝を飾り、無傷の連勝街道をひた走る超ド級の天才児ですよ。全員、二位狙い。彼がいる限りはずっと」

「……スカウト的には困りものですね」

「あはは。拳闘部顧問としても困りものですよ。お、早速王者の出番ですよ」

「どれどれ」

 ピコは階下のリングに視線を映し、相変わらず肌のハリ艶絶好調の王者を見る。大人顔負けの周囲への対応も素晴らしいの一言。彼には隙がない。

 時に、少し怖れを抱くほどに。

 そして、

「ぷ、あはは、ははははは!」

「ど、どうしました?」

「い、いえ。これ、一回戦ですよね、時間的に」

「え、ええ」

「ふふ、凄いな。持っているのか持っていないのか……時間通りに来てよかった」

 彼のお目当て、クルス・リンザールに視線を向ける。イールファスに続きソロンまで引き当てるとは大した悲運か、はたまた豪運か。

 多忙ゆえ三日通して見ることは出来ないな、と思っていた矢先にある意味最高のカードが実現しており、少々胸躍るピコであった。


     ○


 ソロンは目の前の対戦相手を見て微笑む。初めて会う人物。たまにいるのだ。自分を倒して名を挙げてやろうといきり立つ者が。別にそれ自体は何も悪くない。むしろソロンとしても嬉しいことであるのだが――

(すぐ、その敵意は消える。怯えに。畏怖に。はたまた尊敬か)

 少し本気を出すだけで、彼らの心は折れる。その度に期待し続けられるほど、ソロンは夢見がちではなかった。今日もまたそうなる。

 いつも通りに。

(さあ、義務を果たそうか)

 本当は一学年で優勝した時点でこの手の御遊びはやめたかった。ただ、学校側からどうしてもと頼まれ、仕方なく今年も優勝を『受け取り』に来たのだ。

 退屈な日々。戦うほどに色褪せる。

 輝ける男は内心を押し殺し、王者として構えた。


 その瞬間、クルスに凄まじい圧が押し寄せる。ただ、ソロンが構えただけなのに、空間が圧迫されるような感覚。そう、感覚としか言いようがない嫌な感じがクルスの正面を圧すのだ。其処にクルスはあの夜を思い出す。

 竜の尾を手に、向き合ってくれた怪物を。

 そしてもう一つ、

『拳闘において最も重要なことは空間の使い方です』

 ずっとしっくり来ていなかった言葉が、今、ソロンと言うお手本を前にして腑に落ちる。彼の射程範囲が迫る。空間が触れ合う。

「あっ」

 刹那、何かが光る。

 クルスはロープまで一気に吹っ飛んだ。

 お手本のようなワンツー。しかし、放ったのはあのソロン・グローリーなのだ。会場の誰もが今ので決まったと思った。倶楽部メンバーですらそう思った。

 それほどに今の左のジャブ、右ストレートは速過ぎたのだ。

 だが、

「……」

 何人かはそれを見た。

 何よりも、

「……今のを反応した、か」

 打った本人が一番わかる。クルスの顔面を射抜いたはずの両拳は、そのどちらもヒットすることなく直前でクルスの掌に阻まれていたのだ。

 受けは、クルスの真骨頂。容易くは抜かせない。

「……ふぅ」

 クルスは笑みを浮かべる。二発しのいだ。あと一発しのげば、記録更新。イールファスと仲良くしていても、あの日の悔しさを忘れたことはない。

 瞬殺など意地でもやらせん。

「……」

 ソロンもまた、ほんの少しだけ口角を緩める。

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