何がために騎士は立つ
富士田けやき
第1話:何もない村
騎士とは何がために戦うのか。
よく少年の師である男は彼に問うた。少年はその場その場で師に駄目だしされまいとそれっぽい言葉を並べた。
人々を守るため。
正義を行うため。
魔を断つため。
秩序を保つため。
その全てに師である男は頷き、全てを肯定した。
「理想を語るは易く、理想を貫くは難し。されど、理想を抱き、語らねば、そう在ろうとする心が無ければ、騎士は騎士足り得ない」
少年には難しく、理解出来ぬ言葉で師は語る。結局、師が何を伝えたかったのか、少年は青年となり、様々な経験を、栄光を、挫折を経て辿り着く。
遠く、果てしない未来のお話し。
長き道程の先で、少年は騎士とは何たるかを、知る。
〇
「『先生』の所に行ってくるよ」
何の返事も返って来ないのはいつものこと。譲る畑もない小さな農家の次男坊。戯言ばかりで仕事もほどほどに出かけてばかり。あちらもこちらも期待はない。
それでも行き先を言うのは意地のようなもの。
自分は家族とは違う道を行く。
今は生活のために最低限の手伝いはしているけれど、それだけ。
自分はいつか巣立って見せる、この小さな村を、その中でも何の目立つところのないこの家を、自分の足で出ていくのだと、宣言していたのだ。
何の意味もない、ただの子どもっぽいこだわりであった。
○
何もないがある村、ゲリンゼル。
村の中心に小川が流れ、かつては名産としてそれなりに知られていた小麦も、隣の村が先んじてブランド化戦略を推し進めたことにより、あえなく沈み慌ててブランド化しようとするも後発ゆえの哀しさ、もはや勝負にならなかった。
小麦が名産とは言えず、さりとて他に推せるものは無い。
小川があって、山があって、自然は盛沢山。それだけ。
若者にとっては退屈極まりないだろう。
そんな村の端っこ、小高い山の中に寂れた小屋があった。
そこに少年、黒髪灰眼のクルス・リンザールがやって来た。
「遅れました、マスター」
「特に時間への縛りがあるわけではないが、約束を守れないのは減点だよ、クルス」
クルスを迎えるは、黒い外套に身を包んだ大人の男であった。声質からして男ではあるのだろうが、仮面を被っているため詳細な姿はわからない。
外套も大きな造りで、体格もよくわからない。
「す、すいません」
加えてクルスは彼の名前を知らなかった。ただ、『先生』、もしくは――
「申し訳ございません、と言いなさい。言葉遣いは丁寧に、所作は優雅に、騎士は隙を見せてはならない。如何なる時も、だ」
「イエス、マスター」
騎士が上役に用いる言葉である『マスター』と呼ぶ。
「分かればよろしい。では、今日も準備運動に山で蝶を五匹、捕まえてきなさい。時間に制限は設けないが、早く終わればそれだけ剣の稽古に時間が使える」
「いつも通り、ですね」
「そういうことだ。さあ、行きなさい」
「はい!」
全速力で駆け出していくクルスの背を見つめ、『先生』は静かに彼の帰還を待つ。いつもの準備運動、それに少し、彼なりの遊びを取り入れた。
少年の才能を伸ばすための、修練の一つである。
○
クルスと『先生』の出会いは四年前にさかのぼる。
ゲリンゼルの村に余所者がやって来ることなど滅多にない。行商人ですら顔なじみ、見知らぬ誰かが訪れることなど本来ならば一大事件であった。
しかし、その男の来訪に関して村で騒ぎになったことはない。男の風体があまりに不気味であったことと、彼が剣を帯びていたこと、さらに言えば彼もまた村人には近づかず、山の中に根を張ったことも一因であっただろう。
ただ、幼いクルスだけは違った。村の全てが退屈で、外からやって来た刺激を求めて一人コソコソと彼に近づいたのだ。
そして、見た。
『わぁ』
流れるような剣捌きを。足の運びも、剣を繰る手つきも優雅で、それでいて凄まじく速い。一発で見惚れてしまった。
何よりも彼の握る剣、その深い青色に目を奪われた。騎士が握る剣、魔力を伝達し刃に己の色を映す騎士剣が、とても美しく見えた。
欲しいと思った。ああやって動きたいと思った。
クルスは半ば無理やり男の弟子になって、気付けば四年の月日が経った。最初の一年はそれこそほとんど立ち方や歩き方の指導。騎士たる者、立ち姿は美しく在らねば、と『先生』は嫌になるほど細かな指導をしてきた。
途中何度も退屈で、地味で、やめたくなったが、あの日の光景がクルスを奮い立たせた。ああなりたい。その想いが地味な修練を重ねる原動力となった。
そして今――
「ほっ、よっ」
クルスは何故か蝶を捕まえる、と言う訓練に精を出していた。この訓練の意味を正直クルスは理解していない。ただ、師がやれと言えばやる。
それが騎士と言うものらしい。
それに蝶の捕獲は、元々クルスの十八番であった。村の子どもの中では断トツで上手く、幼き頃は結構皆に慕われていたのだ。
今ではまあ、変人に付きまとうろくでなしのような視線しかないが。
山を駆けのぼり、蝶のいそうな場所に素早く目を移す。とにかく時間との勝負、剣の稽古がしたいので、彼も本気で周囲を見渡す。
首を振って、出来るだけ大きな視界を確保し、僅かな機微すら見逃さない。
「おっ」
そして、獲物を見つけたら即接近。捕まえる時の手つきは優しく、真綿を掴むように、である。昔、急いで捕獲し蝶を殺してしまったことがあった。その時、『先生』はクルスをしかり、罰としてその日の稽古を切り上げてしまった。
必ず、全て生かして捕獲せねばならない。
されど素早く、時間を作るためにクルスは手首のスナップを利かせ、蝶が反応するよりも早く優しく掴み取る。
「あと、二匹!」
剣の稽古のため、クルスは加速する。
○
借り受けた剣を握り、クルスは『先生』と向かい合う。
双方、構えは同じ。すらりと立ち、身体は半身、剣を握る手は顔の前、向かい合う相手に切っ先を向ける。先端は、相手の中心へ。
「では、やろうか」
「はい」
「「エンチャント」」
その言葉がトリガーとなり、互いの剣が色づく。クルスの剣は透き通るような水の色、何処か小川のせせらぎを彷彿とさせるような色合いである。対する『先生』の剣は深い、大海を思わせるような紺碧、吸い込まれそうな色であった。
「…………」
『先生』は滑るように距離を詰め、クルスの間合いに踏み込む。クルスは動かない。相手が間合いに在っても、揺らがずにただ相手を見る。
「行くぞ」
「ッ⁉」
ここからが稽古、『先生』の猛攻をクルスが受け続ける、と言った修練であった。相手を見て、極力早く対処する。崩れず、揺らがず、鉄の心で捌き続ける。受けの剣、護剣こそが騎士の本道であると『先生』は言った。
ゆえにクルスは、とにかく受け続ける。
「ぐ、ぎ」
『先生』の剣は多彩である。上段、下段、中段、左右どちらからでも強力な剣を打ち込むことが出来、その上で攻撃の切れ目も、反撃に出る隙間もないのだ。打ち込みが強烈、打ち込んだ後の繋ぎも巧み、何もかもが途切れずに続く。
立つ訓練を終えて剣を握らせてもらえるようになった。構え方を、振り方を、一通り教えてもらった後、この稽古が始まったのだ。
『先生』が攻め、クルスが受ける。
「集中」
彼はクルスが苦しそうな様子を見せ、集中が途切れかけると決まってこう言う。彼は言った。武の神髄とはすなわち集中力の奥にある、と。
ゆえに彼は常日頃からクルスに深い集中力を要求する。
「はい!」
クルスもまた、それに応える。
受け違えたなら、剣の稽古は終わって座学に移行する。別に座学を軽んじているわけではないが、クルスとしても剣の稽古が楽しく、騎士ならば剣を振ってナンボだろう、と思う。だからこそ、必死に食い下がっていた。
少しでも長く、剣の稽古を続けるために。
「今日は随分粘る」
「少しでも、長く剣を握りたいので」
「良い心がけだ。だが――」
ぎゅん、とこんなところで手首が返せるのか、と言うタイミングで『先生』は手首を捻り、剣の軌道がクルスの予測を大幅に狂わせた。
クルスの剣が跳ね上げられ、隙だらけとなったところで、
「座学も大事だ。騎士ならば、ね」
「……イエス・マスター」
『先生』は稽古が長くなることを好まない。集中力の質が落ちるだけ、彼はそう言うし、実際に真剣を打ち合う稽古は、とにかく集中力を要し、必要以上に体力が削られてしまうのだ。今はまだ集中力を持続させることよりも、集中力の深度にこだわるべき、と『先生』は言ったが、クルスにはよく理解できていなかった。
「今日は算術にしようか」
「……はい」
「数字は大事だよ。騎士も仕事だからね」
『先生』の表情は仮面で読み取れないが、おそらく苦笑しているのだろうことぐらいはクルスにも読み取れた。名前不詳、正体不明、年齢もわからない。
それでもクルスは彼を尊敬していた。
彼の落ち着いた声色や、威風堂々とした剣を見て、惹かれた。
だからこうして、騎士への理解が薄いままでも彼の弟子となったのだ。
いつか、彼のような騎士になりたいと、そう思ったから。
その彼が、何者かを知ることもなく――
○
「クルス」
「ん、ああ、エッダ」
今日の稽古を座学も含めすべて終え、家に戻る途中にクルスは少女に遭遇する。近所の幼馴染、村の人間は皆近所であるが彼女は家が向かい、しかも同い年の少女であった。昔はよく一緒に蝶を捕まえに遊んだものである。
「また変人と騎士ごっこ?」
「ごっこじゃなくて、本気で騎士になろうとしているんだよ」
「馬鹿じゃないの。こんな村から騎士なんて出るわけないでしょ。ああいうのは都会の、貴族様がなるもので、ゲリンゼルからなんてただの一度だって、騎士なんてなった人はいないもの。そんなことよりも畑仕事を手伝いなさいよ」
「うるさいなぁ。畑は兄さんが継ぐんだよ。俺が頑張ったって継ぐ土地がないんじゃ意味ないだろ」
「婿養子になれば土地も継げるでしょ、例えばさ、うちとか……」
「俺は農家になんかならない。騎士になるって決めたんだ」
「……ば、バッカじゃないの!」
顔を真っ赤にして起こる幼馴染を見て、クルスは憤慨しながら家路につく。成れない、そう言われることには慣れている。
誰だってそう言う。こんな村から、騎士になんて成れるはずがない、と。
そんなことはない。絶対になれる。
だけど、たまに不安になってしまう。自分はこの土地で、畑に縛られて、生きていくのではないかと、そう考えてしまう。
それがとても苦しく、より外を求めてしまうのだが。
「私たちはずっとこの土地で生きるの!」
「……うるさい」
騎士になりたい。違う、この土地を出たいのだ。何者にもなれなければ、この土地で生きるしかない。何者かになれたなら、出ていける。
騎士はそのための手段、そう思うと自分がとても不純に感じてしまう。師にも言えぬ薄っぺらで、浅はかな己からクルスは眼をそらす。
家に帰っても――
「このタダ飯食らいが!」
「今時期、手のかかる畑仕事なんてないだろ!」
「家長に口答えするな!」
家長である父に蛇蝎の如く忌み嫌われ、居場所なんてない。唯一、父が寝静まった頃に年の離れた兄がやって来て――
「父さんは狭量なんだ。気にするなよ」
「ごめん、兄さん。家の空気悪くして」
「いいさ。父さんがカリカリしているのなんていつものことだろ」
こうして慰めてくれる。兄は穏やかで、村の中でも人望が厚い。村長らの仕事を手伝ったり、様々な場面で頼りにされるクルスとは真逆の人物。
「やりたいことがあるなら、何をしたっていいんだぞ」
「兄さんは?」
「俺にはそう言うのがなかった。だから、こうして村で生きているんだ」
「……そっか」
兄のことは尊敬している。それでも兄のようになりたいとは思わない。この村で一生を終えるような人生、真っ平だとクルスは思う。
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