9.10 トロワ包囲戦(5)砲撃と開門

 ジャンヌとアランソン公が率いる砲兵隊が、城壁の西——マドレーヌ門とコンポルテ門に向かって威嚇射撃を始めた。


「始まったな」


 私は西の高台に陣取り、トロワの町を一望していた。

 長い城壁と強固な門、平野の真ん中にそびえ立つ高い塔と鐘楼が見える。

 中心部には、トロワ大聖堂ことサンピエール教会が人家の上にひときわ高くそびえている。


「ジャン、八年前にあそこで何をしていたか知ってる?」


 教会の十字架を見つめながら、そばに控えているデュノワに話しかけた。


「確か、ヘンリー五世と姉君のカトリーヌ王女が婚約した教会ですね」

「そして……、父上と母上が二人の婚約と『王太子の廃嫡』を盛大に祝った場所だ」


 称号のデュノワではなく、久しく呼んでいない名前が口から出てきた。

 子供のころのように甘えたい気分だったのかもしれない。


「両親と死別したジャンと比べるのはおこがましいけど……。ごめん、言わせてほしい。王家の嫡流に生まれたからって、親兄弟が生きているからって幸せとは限らないんだよ。捨てられて忘れられたままの方が、ましかもしれない。何か事情があったのかな、もし会えたら喜んでくれるかな……って少しは希望が持てるからね」


 火砲が珍しい時代ゆえに、砲撃の音だけでも心理効果は抜群だ。

 威嚇射撃(空砲)と実弾射撃を音だけで区別するのは難しく、一般市民は「城壁が破られる」と思い込み、町の北西部から一斉に逃げ出した。


「親兄弟が不自由なく元気に過ごしていることを喜ぶべきなのに、そう思えない時がある。それでも人を恨みたくはないから、自分の卑屈さを恥じて心に蓋をする。……ジャンヌが言うには私もを聞けるらしいけど、この蓋の中から聞こえてくる声はきっと怨嗟えんさの声だろう」


 一般市民が避難するのと入れ替わるように、町中にいる駐屯兵たちが北西の城壁に向かって続々と集まってきた。


「父上は私のことを忘れたまま死別した。母上は私の命も人生も財産も友達もすべてを奪って破滅させたいと望んでいる。これは悲劇的な物語ではない、私を取り巻いている本物の現実だ」


 駐屯兵たちは被害状況を確認するために城壁を駆けずり回っているが、砲撃はただの空砲に過ぎず、攻撃してないのだから被害は見つからない。破損箇所があればそこに防衛を集中させればいいが、「あるはず」と思い込んでいるものがないと、人はますます冷静さを欠いてしまう。


「やり場のない怒りと悲しみ、筆舌に尽くしがたい痛みと恨み。全部まとめて蓋をして、奈落の底にとじこめた心の声は……、あの子には決して理解できないだろう」


 中身のない空砲に惑わされ、トロワの町は大混乱に陥っている。

 町に復讐するつもりはなかったが、ほんの少しだけ胸がすく思いがした。


「ちょっと感傷的になりすぎた。包囲戦に集中しよう」


 町の見取り図によれば、南東から城壁の北端に向かってセーヌ川が流れている。毛織物の染色には大量の水を使うため、川沿いに工房が立ち並ぶ。セーヌ川は町の中心部で二手に分かれ、再び合流し、川に囲まれた区域には大聖堂と広場があった。


 何も知らない一般市民は、大聖堂へ向かっている。

 城壁が突破されて敵が町へ侵入してきたら、ここが最後の砦となる。


 その一方で、数日前から私と交流のある一部市民は、空白域となった南西の城壁に集まり、街道に通じる城門をあけるタイミングを待っていた。




 トロワの町は、南東から城壁の北端に向かってセーヌ川が流れている。

 ロワール川を擁するオルレアンと同じく水に困らないため、十分な備蓄と防衛の準備をして城壁を閉ざせば長期間の包囲戦に耐えられる。


 昔から繊維産業が盛んで、読者諸氏の時代でいうとラコステというアパレルブランドの発祥の地だ。「柔らかい毛織物」を意味するフランネルは繊維・織物市場のあったフランドルが語源だともいわれる。生産地のトロワも、市場のフランドルも、ブルゴーニュ公の支配下にあった。


 14世紀末から15世紀にかけて立体裁断がうまれ、染色技術も向上した。

 中世らしいだぼついた地味な服から、体のラインに沿った濃い色の服へと服飾革命が進む中で、ブルゴーニュ公が力をつけたのは時代の流れだった。


 さて、トロワの町が包囲戦に耐える力を持っているとしても、閉じこもっていては商売ができない。フランドルの毛織物市場で、トロワの競合相手はイングランドだ。トロワ条約と引き換えにイングランドの毛織物業者は規制を受けたが、トロワ産の毛織物の流通が途絶えたら、再びイングランドの業者が進出してくるだろう。


 トロワから援軍を要請されたにもかかわらず、ベッドフォード公がいるパリからではなく、遠方の「ロンドンから派遣する」などと悠長なことを言っているのは、オルレアン敗北でパリに駐屯するイングランド軍に余力がなかったことも理由の一つだが、商業的な損得勘定もあったに違いない。


 ようは、トロワ包囲戦が長引いてくれた方が都合がよかったのだろう。


 しかし、トロワの民衆はイングランドに見捨てられたと考えて失望し、足元を見られていると気づけば憤慨する。その一方で、オルレアン包囲戦で援軍と兵站を送り続けたシャルル七世は、はたから見ればベッドフォード公より良い君主に見えただろう。


「シャルル七世は条約のことで復讐しないと誓った。城門を開けて迎えよう」

「シャルル七世は嘘つきの暴君だ。無怖公のときみたいに騙し討ちするかもしれない」


 住民感情は二分していたが、町の平穏を願う気持ちは共通している。

 議論の焦点は、シャルル七世を信じられるか否か。


「シャルルの本心は誰にも分からない。実際に開けてみなければ何とも……」

「城門を開けるなら、駐屯兵が北西に偏っている今がチャンスだ」


 シャルル七世が確実に市民の味方になってくれるなら、許可なく城門を開けたことで処罰される心配はいらない。なにせ、駐屯兵は500〜600人ほどで、シャルル七世の軍は1万人前後だ。


 有効な援軍が見込めず、ベッドフォード公はやる気がない。

 そんな状況下で、駐屯軍が故郷でもないトロワのために数的に不利な戦いをするわけがない。


「いちかばちか、シャルル七世陛下を信じよう」


 最終的に、司教が開門を決断した。

 駐屯軍の二人の司令官はイングランドとブルゴーニュから派遣されていたが、この司教は亡きシャルル六世に叙任されたためイングランドやブルゴーニュに恩義がなかった。このことが功を奏したのだった。




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