9.9 トロワ包囲戦(4)天秤にかける

 トロワからの返信は……、残念ながら「拒絶」だった。


「私たちはイングランド王とブルゴーニュ公に忠誠を誓っているため、シャルル王を町に迎え入れることはできません」


 しかしながら、トロワ条約のような罵倒や中傷は鳴りをひそめ、それどころか私を敬称で呼び、弁解まで書き添えてあった。


「私たち市民は、彼らの許可がなければ何もできません。イングランドとブルゴーニュから派遣された駐屯軍はあまりにも強力で、さからうことは不可能です。どうかご理解いただきたい」


 私は返信に目を通すと、全軍に命じてトロワの町を包囲戦のごとく取り囲んだ。

 返信によると、市民は自分たちの無力さを強調しているが、内部では各勢力が拮抗し、したたかに争っていることを把握している。


 すぐに門が開かないことは想定済み。

 拒絶された場合は、何日か野営して様子を見るつもりだった。


 居座っている間に、秘密裏に面会したトロワの「シャルル七世支持者」たちが私の密書を町中に広め、王に復讐心はなく戦争や略奪よりも平和を望んでいることを知ってもらう。


 城壁のすぐ外側に王がいて、穏やかに門を叩いている。

 過去のわだかまりを忘れると言っているが、現在のトロワが敵意を露わにしたら平静でいられるだろうか。シャルルは16歳のときにフランス中で恐れられていた無怖公を殺したのだから、豹変しないとも限らない。

 きっと、町の人たちはそんな風に考えるだろう。


 その一方で、猶予のない危機がトロワに迫っているのに、イングランド摂政のベッドフォード公は「今からロンドンの援軍を派遣する」などと悠長なことを言っている。


 トロワ市民は大いに悩むだろう。これまで漠然とイングランドに従ってきたが、本当にこれでいいのかと天秤にかける。


 よく言えばな、悪くいえば大多数の民衆は、必死に保身を考える。遠くの味方と近くの敵……、しかしその敵は本当は同胞ではなかったか? 敵対するより、さっさと城門をひらいて出迎えたほうが得なのでは——?


 トロワにこれほど近づける機会はめったにない。

 今のうちに、できるだけ市民感情を和らげて寝返りを促す。

 私とて戦いたくはない。ギリギリまで「開門」の可能性に賭けたい。





 ラ・トレモイユに「ロンドンからの援軍が来る前に全部終わらせるから」と言ったものの。


「いつまでこの町にこだわるおつもりですか?」


 トロワの門前に来てから、すでに5日目だ。

 これまで通過した町では、一昼夜より長くとどまったことはなかった。

 歓迎されることが望ましいが、とざされた町を無理やり開門させるよりも迅速にランスにたどり着くことを優先する。好戦的な将兵をなだめるために、私自身がそういう理屈でみんなを説得してここまで来た。


 だから、トロワに入れないまま、何日もとどまっているのは矛盾している。


 ラ・トレモイユからすれば、「王が主導した計画がうまくいかなくて、大侍従が難局打開の献策をした」という流れになった方が、今後宮廷で主導権を握るには都合がいい。ゆえに、ここ数日は黙って従っていたが、そろそろ翻意を促す頃合いだと思ったようだ。私以上に戦闘を避けたがっているから、味方が暴発するか敵の援軍が来てしまうと都合が悪い。


 おそらくラ・トレモイユは、私とは別ルートでトロワと話し合いを進めていて金品と引き換えに迂回しようとしている。しかし、私はトロワを開門させることにこだわった。


 ただ、五日も待たされて、痺れを切らしているのも事実。


 開門のきざしはない。

 それどころか、城壁から何発か火砲を打ち込まれた。


「王太子さまを攻撃するなんてひどすぎる!」


 ジャンヌはたいそうショックを受けて、腹を立てている。

 聖女が攻撃を望めば、信者たちはわき目も振らずにに突撃するだろう。

 一度でも戦端がひらけば、止めるのは困難だ。アジャンクールもニシンの戦いも、司令官の命令を聞かない末端の兵士が勝手に戦い始めて、統制が取れずに敗北した。


「まずいな……」

「ええ、そうでしょうとも」


 ラ・トレモイユは自分の解決策が通りそうだと思ったのか、したり顔でうなずいた。大金をせしめることを覚えて前のめりになり、そのおかげで「私の本心」も「事態の把握」も読み違いをしている。


 トロワ側から砲撃されたが、砲手が射角を知っているならわざと「当たらない角度」で撃ったようだ。つまり、トロワ市民も駐屯軍も本気で戦う気概は持ち合わせていない。


 トロワが開門するか、私が去るか。ようするに根比べだ。


 想定外の戦いが勃発する前に、私はジャンヌ・ラ・ピュセルの怒りを解放するために、ささやかな策を講じることにした。


「お呼びでしょうか」


 呼んでいないアランソン公もついて来た。


「いい機会だから、ジャンヌに火砲の使い方を教えようと思ってね」

「それは名案です」


 アランソン公は私を牽制するつもりでしゃしゃり出てきたようだが、かえって好都合だ。二人をおとりにして、私は別の場所から敵味方の動向を見守りたい。


「これを見てほしい」


 数日前にトロワの使者から提供された町の見取り図を広げると、北西の城壁に砲兵隊を配置するように命じた。ジャンヌは、自分の手でトロワを奪ってみせると張り切っていた。アランソン公もまた別の意味で張り切っている。


「撃てーーーー!!」


 ジャンヌが号令を叫ぶと、空砲が何発も打ち上げられた。

 石弾の代わりに、ぼろ切れやおがくずを砲身に込めたおかげで、爆音ばかりがうるさくて実質的な被害はない。しかし、威嚇効果は絶大だった。



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