【資料】シャルル七世が兄の王太子に送った手紙(3)

手紙ひとつで3話分も使うのは正直だるいが、今回の更新でけじめをつけて新章に突入したい。


(余談:書簡集によると、シャルル七世が戦争遂行に消極的だったのは「心身が疲れるから=だるい」なのだが、城ひとつ落とすのに一ヶ月から数ヶ月かかるところを、シャルル七世は一年で城60ヶ所攻略している。勝利王と呼ばれるだけあって、ただの怠け者ではない。いわゆる「やる気のない有能」タイプなのかもしれない)




1415年10月25日、アジャンクールの戦いの結末について簡単におさらいしよう。


フランス軍の戦力は2万人。うち、死者は1万人。

イングランド軍の戦力は7000人。うち、使者は112人。


イングランド軍はアルフルール上陸と包囲戦を経て、万全ではなかった。

にもかかわらず、フランス軍は三倍の戦力を保有しながら、歴史的な大敗を喫した。


本題の「シャルル七世が兄の王太子(ギュイエンヌ公)に送った手紙」は、アジャンクールの一ヶ月後に書かれたものだ。




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聡明で良き友である彼らは国王陛下のために剣を捧げました。

ギュイエンヌ公爵殿下のご助言とご配慮のもとでさえ、

私たちはこのような災難に見舞われました。

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一言で要約するなら「敗北お悔やみ申し上げます」といったところか。

当時のヨーロッパは、14世紀のペスト禍で人口が激減していたから、死者1万人というのは衝撃的な数字だ。


犠牲者1人につき、家族や友人などの遺族が何人いただろうか。

王政としても弱体化は免れない。戦地に行くだけの力のあるリソース(国力の中心勢力)がごっそりいなくなってしまったのだから。


これらの背景をベースに、12歳の私は「あること」を兄に直訴している。





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つきましては、ヴァンセンヌの森にある砦を

守護する隊長(砦の城主)を私に命じてください。

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ヴァンセンヌの森はパリの郊外にある。

平時は自然豊かな狩場として、非常時は王都を守る防衛拠点として重要な場所だ。

この砦の城主だったボルヌ・フーコーがアジャンクールの戦いで生死不明となり、責任者不在の状態で放置されていた。


おそらく私は、前の手紙でそのことを指摘したのだろうな……。





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前の手紙について検討していただけたのか確証を得られず、

したがって、この件について動くこともできず、

この仕事は、貴殿によって放置または先延ばしされていると

私に報告しました。


なぜなら、貴殿は他の仕事を抱えているからだと、

また、ボルヌ・フーコー(砦の本来の城主)の生死は未確認で、

多くの人々が彼は生きていると信じているからだと聞きました。

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ボルヌ・フーコーなる男は、みんなに愛されていたのだろうな。

彼が所有していたもの——役目・任務・財産・報酬などを取り上げたくなかった。せめて、生死がはっきりするまでは現状のまま残しておきたかったのだろう。


人間らしい感情(=人情)として、非常に理解できるが……。

為政者としては、人情に流されて王政・王国をさらなる危機に陥れてはならない。私は本来泣き虫だからよくわかるのだが、涙は視界を曇らせてしまう。





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ですが私は、本件について(砦を守る城主がいない状況)

たとえ王の息子であろうと、

このようなこと(状況の放置・先延ばし)を

決してすべきではないと考えています。

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前回で述べた通り、セーヌ川の河口があるアルフルールが奪われた。

ヘンリー五世はアジャンクール後にイングランドへ帰国したが、パリ周辺の防衛が手薄になっている状況はかなりまずい。


城主が生死不明で、人手不足ならば、王子である私をヴァンセンヌの森の砦の城代に任命してほしい。そういう直訴の手紙だなこれは。





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貴殿がこれらのことを考慮し、よく考え抜いた上で、

さらに当該地域の同胞に対して、

私たちに何ができるか、何を与えるかについて、

適切かつ迅速に遠距離通信することをお願いします。

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当時12歳か。

読者諸氏の時代でいえば、小学六年生から中学一年生くらいだろ。

偉そうだなー、若さゆえの身の程知らずだなー。





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それから、この件について再び説明したり、

再び使者(手紙)を送ったり、

主君に申し上げる必要がないように取り計らってください。

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そして、せっかち!

兄からの返信が来なくて、少し苛立っている様子がうかがえる。


まだ幼くて世間知らずだが、王国の状況をしっかり把握していて、自分に何ができるかを至極まじめに考えていることに好感を感じないだろうか。

それとも、年齢の割に大人びていて生意気な子供だと、疎ましく思うだろうか。




さて、この長い余談もそろそろ終わりにしようと思う。

新章の準備をしなければな。ついにが登場することだし。


ちなみに、この手紙は1425年11月23日付けと記されているが、一ヶ月後の12月18日、兄で王太子のルイ・ド・ギュイエンヌ公は死去。

おそらく、この手紙の返信は良い知らせではなく、想像の斜め上をいく訃報(=兄の訃報)だったに違いない。


さらに、次に王太子になった、もう一人の兄ジャン・ド・トゥーレーヌ公も一年足らずで急死し、末弟の私が、最後に残された唯一の王子(王位継承者)になる。


なお、ほとんど間を置かずに、私の養父であるアンジュー公も亡くなっている。


手紙の文末を、今一度思い出してみよう。




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そうすれば、別の方法で、貴殿の問題に対処することができます。

私たちに楽しい喜びを与え、

いざというとき、あるいは任務を譲るときが来ても、

私たちは今回の件をよく覚えていることでしょう。


この手紙を、さらによく理解していただくために、

私自身の意志に基づいていること、

また私がこの手紙に込めている愛情を示すために、

自筆で記しました。

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今、フランスは災難に見舞われてますが、兄弟で力を合わせて問題に対処していきましょう。そうすれば、私たちに楽しい喜びを与えて、いつかきっと良い思い出になりますよ。


そういう意図と、励ましと愛情を込めた手紙であることを考えると、

12歳のシャルル王子に待ち受ける過酷な運命を案じずにいられないのだ。








(※)この手紙の原文スキャン画像を「サポーター限定近況ノート」で公開しました。


▼【限定公開】資料:シャルル七世が兄の王太子に送った手紙の画像(原文)

https://kakuyomu.jp/users/shinno3/news/16818093074996002492

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