第六章〈救国の少女〉編

勝利王の書斎16:ニシン樽はずっとニシンくさい

 第五章から第六章へ——。

 は、歴史小説の幕間にひらかれる。


 こんにちは、あるいはこんばんは(Bonjour ou bonsoir.)。

 私は、生と死の狭間にただようシャルル七世の「声」である。実体はない。

 生前、ジャンヌ・ダルクを通じて「声」の出現を見ていたせいか、自分がこのような状況になっても驚きはない。たまには、こういうこともあるのだろう。


 ただし、ジャンヌの「声」と違って、私は神でも天使でもない。

 亡霊、すなわちオバケの類いだと思うが、聖水やお祓いは効かなかった。

 作者は私と共存する道を選び、記録を兼ねて小説を書き始めた。この物語は、私の主観がメインとなるため、と心得ていただきたい。


 便宜上、私の居場所を「勝利王の書斎」と呼んでいる。

 作者との約束で、章と章の狭間に開放することになっている。





 恒例のフランスの慣用句シリーズ、前章からの流れを汲むならこれしかない!


 "La caque sent toujours le hareng."


 直訳すると「ニシン樽はずっとニシン臭い」

 その意味は、内側に染み付いたものが外側に漏れている。


 樽に詰め込まれた「塩漬けニシン」の臭いは強烈で、いつまで経っても生臭さが消えない。そこから転じて、高い身分や地位・莫大な財産を築いた成り上がり者は、その出自の卑しさを完全に隠すことはできず、下品さがにじみ出ている。


 お里が知れるとか、血筋は争えないとか、そういうニュアンスだ。


 言葉の矛先が誰であろうと、正直、あまり聞きたくない言葉だな……。

 発言者は、マウントを取って優位に立ちたいのだろうが、他人をけなす言葉そのものが下品であることに気づいていない。自分のみならず、高いポジションを築いた祖先とすばらしい出自に泥を塗っているようなものだ。


 実は、この慣用句は、英仏百年戦争と無縁ではない。

 一説によれば、イングランド王位を簒奪してランカスター王朝をひらいたヘンリー四世に由来するのだとか。


 第五章のニシンの戦い——。

 一般的に、戦争の命名は地名に由来する。「ニシンの戦い」は珍しいパターンだ。

 イングランド軍がニシン樽を運んでいたこと、フランス軍の砲撃で樽が壊れて戦場がニシンまみれになったことがきっかけだが、もしかしたら、この慣用句の差別的なニュアンスも含まれているのかもしれない。


 なぜなら、敗軍の将となったデュノワは王弟の子だが「オルレアンの私生児」と呼ばれている。あやうく死にかけたデュノワを「ニシン臭い」と見下し、おとしめる意図があってもおかしくない。


 この戦いは、フランス軍にとって痛恨の敗北で、私自身も心が折れかけた。

 しかし、危険を顧みずに友軍を救おうとしたデュノワのどこに見下す要素があるというのだろう。高みの見物を決め込んでいる連中よりも、勇敢かつ慈悲深さを見せたのほうが私はずっと好きだ。


 オルレアンに帰還したデュノワは血と汗とニシンにまみれて本当に生臭かっただろうが、もしその場にいたら、私は躊躇ちゅうちょなく親友ジャンを抱きしめただろう。友として、王として、彼を誇りに思う。



 さて、時間が来たようだ。

 これより青年期編・第六章〈救国の少女〉編を始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る