7番目のシャルル、聖女と亡霊の声

しんの(C.Clarté)

第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編

勝利王の書斎11:亡霊の声

【あらすじ】

不遇な生い立ちの王が百年戦争に勝利するまでの貴種流離譚


フランス王国史上最悪の国王夫妻——

狂王シャルル六世と

淫乱王妃イザボー・ド・バヴィエールの10番目の子は

兄王子の連続死で14歳で王太子になるが

母と愛人のクーデターで命からがらパリを脱出


母が扇動する誹謗中傷に耐え

19歳で名ばかりの王に即位したシャルル七世は

没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる


父母の呪縛、イングランドの脅威

ジャンヌ・ダルクとの対面と火刑、王国奪還と終戦

執念の復権裁判へ


没落王太子はいかにして「恩人を見捨てた非情な王」

または「勝利王、よく尽された王」と呼ばれるようになったか





 私の名はシャルル・ド・ヴァロワ。

 父の名もシャルルで、祖父もシャルルだったが、曾祖父はジャンで、高祖父はフィリップだ。

 いずれもフランス王国ヴァロワ王朝に君臨した王で、私は五代目になる。

 名前のバリエーションが少なかったため、それぞれの個性をあらわす「二つ名」をつけられた。


 ヴァロワ王朝初代、幸運王ル・フォチュンフィリップ六世。

 第二代国王、善良王ル・ボンジャン二世。

 第三代国王、賢明王ル・サージュシャルル五世。

 第四代国王、狂人王ル・フーシャルル六世。

 そして、私こと第五代国王、勝利王ル・ビクトリユシャルル七世。


 勝利王よりも、この物語を読んでいる読者諸氏の時代では「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた非情な王」として有名かもしれない。さもありなん。

 あの子を助けられなかったのは事実だが、当時政敵だったイングランドによる私への誹謗中傷が600年以上も一人歩きしている状況には、大いに不満がある。フェアじゃない。


 このページをひらいたのも他生の縁だ。

 聞く耳のある読者は、ぜひ私の声を聞いていってほしい。


 英仏百年戦争は、高祖父フィリップ六世時代に始まった。

 四代目までの王は、生まれた時から王太子ドーファンだったが、私は父王の10番目の子で五男だった。王位を継承するとは誰も思わなかっただろうに、兄王子たちの連続死で14歳で王太子になってしまった。

 フランス王国の命運は帝王学さえ学んでいない、いたいけな少年に託された。

 私は精神を病んだ父王の摂政となったが、権力志向の母妃と愛人に命を狙われ、ついにパリから脱出。英仏間の戦いは休戦中だったが、イングランド王はフランスの内乱に乗じてまたしても「王冠をよこせ」と攻めてきた。百年間ずっと王位を要求し続けるのだから本当にしつこい!


 度重なる心労と重圧とトラウマで、私の心は10代半ばでズタボロになった。

 こうして都落ちした没落王太子は、史上もっとも不利な状況でヴァロワ王朝第五代国王として即位した。このとき、弱冠19歳!


 いくら「なろう」でも設定盛りすぎだろうが!と思うかもしれないが、すべて史実である。

 自分で言うのも何だが、生まれる前にスーパーハードモードなシナリオを選択したとしか考えられない。


 いつ死んでもおかしくなかったが、ジャンヌ・ダルクの活躍と数奇な運命の導きで、私はわずか一代でフランス国内からイングランド勢力を排除し、完全勝利を収めた。

 イングランドからすれば、この歴史的事実は面白くないだろう。


「あと少しでフランス王になれたのに! シャルルさえいなければ!」


 なるほど、逆恨みするのも無理はない。

 シェー……とかいう劇作家に「本当はイングランドが勝ってた!」とほのめかす歴史創作のシナリオを書かせたほどだ。超絶ロングランで上演しているからご存知の方もいるだろう。

 歴史劇の主役ヘンリー五世はハンサムで魅力的な王だが、実際のあいつは終わった戦争を蒸し返して王位簒奪を計画し、捕虜が多すぎるという理由でフランス軍の騎士数千人を家畜小屋に閉じ込めて生きたまま焼き殺した残虐非道な王だ。

 血も涙もないヘンリー五世より、戦争と流血を嫌ったシャルル七世の方が「非情」なイメージとは——歴史創作の印象操作おそるべし。


 言っておくが、シェー……の人はすばらしい作家だ。

 イングランドの溜飲を下げるためだけのつまらない歴史劇だったら、シェー……の名声は色褪せて作品ともども消えていただろう。しかし、当事者としては文句のひとつも言ってやりたくて、私はこうして「怨霊」となり化けて出てきてしまった。


 ……ちょっと待て、悪魔祓いはやめてもらおう。

 いま言った「怨霊」は言葉の綾だ。私は人畜無害な「声」にすぎない。


 そう、実体のない「声」だ。

 かのジャンヌ・ダルクも「声」に導かれて、私のもとへ来た。同じ類いのものだと解釈していただきたい。


 話を戻そう。偏ったイングランド史観を鵜呑みにして、本来は英仏のしがらみと無関係な人たちから「シャルル七世は恩人を見捨てた、見殺しにした」と悪印象を持たれるのは、どう考えても理不尽だ。


 かつて、ジャンヌ・ダルクは不当な密室裁判で異端者におとしめられた。

 火刑から25年後、身分に関係なくすべての者に門戸をひらいた(証言と傍聴を許した)復権裁判であの子の名誉を回復したように、私は私自身と関係者のために「シャルル七世の回顧録」を書こうと思う。


 ——ジャンヌ・ダルクの物語は、ヒロイズムとイデオロギーを刺激する。

 筋書きは単純明快だ。火刑エンドを迎えた後、取って付けたように「ジャンヌの死後、フランスが勝って百年戦争は終わった」と締めくくられる。すぐに戦争が終わったかのように聞こえるが、実際は、火刑から終戦まで22年もかかっているのだ。とても長い!

 ジャンヌの物語ではその辺りのクライマックスがまるまる抜け落ちている。没落王太子から勝利王に至るまでの葛藤とか活躍とか、色々あるのだが……。600年近く、作家からも識者からも注目されない私の悲しみがわかるだろうか。おかげでこうして怨霊に——いや、ただの「声」です。


 ジャンヌの活躍と火刑はフランスが盛り返す転機となったが、勝利の決定打ではない。

 もちろん、勝利王ひとりの功績でもない。あの子以外にも魅力的なキャラクターがたくさんいたし、難題が山のようにあった。


 生前、私はことあるごとに数奇な運命を嘆いたが、死後に振り返ってみても設定盛りすぎな人生だったと思う。

 今は国王の務めから解き放たれて自由な亡霊ファントム生活を満喫している。

 そう、怨霊ではなく亡霊ファントムまたは霊魂スピリットなのだ。

 ジャンヌが「声」に導かれたように、私の「声」を聞く者がゴーストライターをやってくれるのでありがたい。できれば毎日更新してほしい。


 私は1403年生まれだから、もし生きていれば今年で618歳になる。

 いわば、ジジイの回顧録みたいなものだ。長い話になるだろう。

 親愛なる読者諸氏には、肩肘張らずに楽しんでいただければ幸いである。


 さて、時間が来たようだ。

 これより青年期編・第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編を始める。




***




 余談になるが、いまご覧いただいている「勝利王の書斎」の通し番号が(10)から始まっているのは、前作「7番目のシャルル、狂った王国にうまれて(通称・少年期編)」で9番まで使用済みだからだ。


 「書斎」があってもなくても歴史本編は変わらないが、「語り手ストーリーテラー」およびシャルル七世の数奇な生い立ちについて知りたいならば、下記URLを参照されたい。


▼【完結】7番目のシャルル、狂った王国にうまれて 〜百年戦争に勝利したフランス王は少年時代を回顧する〜

・カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614

・アルファポリス:https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/595255779

・小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

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